本公演のご感想(パノラマ式サーカス団長Saaya様)
vol. 26 2025-08-08 0
2025/7/26 本公演にご来場いただきました。
インディーズブランド
パノラマ式サーカス団長 Saaya様からのご感想を掲載いたします。
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それはとても暑い夏の日、令和の7月26日に開かれためくるめく夢の幕開けでした。
グランドサロン十三。電車から降りて、賑やかな商店街を抜け、街並みや人並みを縫うように進んだ先にある、かつて煌びやかだった頃の残響が聞こえてきそうな場所。
中の広さとは裏腹にひっそりと小さな入り口を潜ると、
初めて来たはずなのに、どこか心の奥で覚えていた場所に戻ってきたような気がしたのです。
サーカス・キャバレーノスタルジア。
まず、入場してすぐに感じたのは、ふわふわとした浮遊感でした。
私の大好きな人たちが、初めて来たはずの場所なのに、どういうわけか皆そこにいて、皆それが"そうあるべき"という感じで、そこにいました。
まるで眠っている時に見る夢の中で、かつて出会った人達が、時系列も関係性もばらばらなのに、どういうわけか同じ場所、同じ時間に存在していて、それに特に疑問も持たず極めて自然に自分も接しているような……。
非現実的だけど、はっきりと輪郭を持ってそこに存在している、夢のような人や世界。自分の手のひらを確かめるように見てみたくなるような、そんな感じがしたのを覚えています。
どういうわけか、席に着くまでにお話した初対面の方々に対してもそのような感覚がありました。それがまた、夢じみていて素敵な楽しい時間でした。
赤い幕、仄暗い照明、静かに鳴る音楽。
すべてが、“非日常”で、初めて見る光景なのに、やはりどういうわけか一つ残らず懐かしい。
いつかどこかで見たことがあるような……?
いや、違う。
見たことがあると言うよりは……私はいずれ見るべきだったものを、いまから見ようとしているような、そんな感じでした。
やはりここでも極めて不思議な感覚を覚えた記憶があります。
パフォーマンスが始まると、まばたきをするのも惜しくなるほど引き込まれてしまって、気づけば時間の流れさえ感じなくなっていました。
目、耳から入ってくるパフォーマンスに、脳と心臓が震えました。どこか内に秘めた強さや祈るような静けさが、ゆっくりと身体の奥底に沁み込んできて……。
「見る」というより段々と「出会う」ような感覚に近くなっていって、ひとつひとつの演目が、“この場所の記憶”と対話しているように感じたのです。
途中、ふと客席を見渡したとき、皆さんが舞台に心を預けているような、そんな空気になっていました。
誰もがパフォーマンス中は無言で、でも歓声をあげたり、歌ったりする時は一同に声帯を震わせる。
舞台の息づかいに耳を澄ませていて、「この一夜を見届ける責任は、きっと私たちにもあるのかもしれない」と思いました。
幕間。休憩、そして再演……クライマックス。
"芸術というのは、言葉では伝えきれないどうしようもないほどの想いや感情を伝えたくなった時に、生まれるものだと思う"
かつて純ちゃんが言っていた言葉を、思い出していました。
まさに今晩のショーは、そうだったのです。
これは言葉を超えた想いそのものを、この上なく美しく、かけがえない形で表現されたものを、今夜、共にめくるめいてしまったのだ。
涙が止まりませんでした。
止めようとしても、止まりませんでした。
ああ、声、出るな。迷惑じゃないか。
涙、どうか大人しくなれ。もういい大人なのに。
そう思っても、思っても、それ以上に溢れて止まらないのです。
あまりにも、素晴らしすぎた。
どうしようもなく、壮絶でした。
過去にあった輝きを再び灯すには、ただ形や姿を復元するだけではなく、「そこに人がいること」が何より大切なんだということを、この舞台は教えてくれました。
終演後もしばらく動けなくて、言葉も、考えることさえも、全部どこかに置き忘れてきたような気持ちでした。
キャバレーが、本物の夢を見せる魔法なのだとしたら、サーカスは、夢そっくりの本物です。
そしてノスタルジアは、その狭間で美しく、揺れて光っている。
私たちは確かにあの舞台で、そのすべてを一夜に見たのだと思いました。
私はまだ、あの夜のことを思い出すたびに、ふっと現実の輪郭がぼやけてしまいます。
夢と現実の間で揺れるような感覚こそが、『サーカス・キャバレーノスタルジア』という舞台が生み出した“魔法”なのかもしれません。
パノラマ式サーカス Saaya
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