プロジェクトをブログやサイトで紹介
テキストエリアのコードをあなたのブログやサイトのHTMLに張り付けると、右にあるようなプロジェクトウィジェットが表示されます。
現土方巽の舞踏資料の倉庫の保存・再生をクラウドファンディングで実現!
山梨県大月市にある土方巽の舞踏資料庫は旧中西夏之アトリエでした。中西の主な個展の出品作品はここで制作されました。戦後芸術を代表する二人の芸術家の創造の痕跡が残る建物を再生し、新たな創作活動の場とする事業を推進しています。
テキストエリアのコードをあなたのブログやサイトのHTMLに張り付けると、右にあるようなプロジェクトウィジェットが表示されます。
NPO法人舞踏創造資源の代表です。NPO法人舞踏創造資源は舞踏家土方巽の舞踏資料を収集、保存、公開することを主な活動としています。土方巽の舞踏資料の一部は、慶應義塾大学アート・センターに移管され、土方巽アーカイヴとして運営されています。土方アーカイヴは日本におけるアートアーカイヴのパイオニアで、海外から多くの舞踏のリサーチャーが訪れます。土方巽の舞踏資料は、山梨県大月市の猿橋倉庫にも大きな舞台美術や写真パネルなどが保管されていて本法人が管理しています。今回のファンディングでは、この倉庫を広く創作活動の場にするための資金を求めています。
山梨県大月市にある土方巽の舞踏資料庫は旧中西夏之アトリエでした。中西の主な個展の出品作品はここで制作されました。戦後芸術を代表する二人の芸術家の創造の痕跡が残る建物を再生し、新たな創作活動の場とする事業を推進しています。
床板が腐り落ちていく倉庫を放棄するか保存するか。いずれを採るか悩みました。
その結論が、保存し再生させることでした。
土方巽の舞踏の資料庫(旧中西夏之アトリエ)。応急処置の床の改修直前(7月)。<アトリエ+スタジオ>の運営に参加しているメンバーの記念写真。舞踏家、ダンサー、デザイナー、制作者の面々
奇橋で知られる猿橋をご存知でしょうか。猿橋の下を流れる川は、鮎漁で知られる桂川です。このほど近くに、画家中西夏之はかつてアトリエを構えていました。このアトリエが縁あって、現在は土方巽の舞踏資料庫となっています。中西夏之は1990年から2006年にかけてアトリエとして使用していました。中西はここを制作の拠点として生涯で最も旺盛な制作活動を行い、愛知県美術館(1995)、神奈川県立近代美術館(1995)、東京都現代美術館(1997)、愛知県美術館(2002〜2003)、東京藝術大学美術館(2003)、川村記念美術館(2004)といった、日本の代表的な美術館において開催された個展に出品された新作は、このアトリエで制作されました。2006年にアトリエとしての役割を終え、その後は大きな油彩画などの保管庫となり、それに合わせて土方巽記念資料館(アスベスト館)が所蔵する土方巽の展示作品・資料の収蔵を担うことになりました。この倉庫としての管理はNPO法人舞踏創造資源が行ってきました。
アトリエで描く中西夏之(写真提供・愛知県美術館、撮影・石川裕修)
愛知県美術館で開催の個展「中西夏之展 広さと近さ−−絵の姿形」(2002〜2003)
土方と中西は舞踏と美術のジャンルは違え、互いに大きな影響を与えあう存在でした。中西は土方の求めに応じて、1965年から土方の舞踏公演の舞台美術を手掛けることとなりました。とくに、1968年の「土方巽と日本人〜肉体の叛乱」でのコラボレーションは日本の芸術史に残る成果をあげましたが、観客に強い印象を与えた舞台美術としての「真鍮板」もこの倉庫に保管されています。二人のコラボレーションの様子を下の写真で見てください。
土方巽の背に解剖図を描く中西夏之(1967年 撮影・中谷忠雄)
中西夏之の移動幕の前で踊る土方巽(1967年 撮影・中谷忠雄)
「肉体の叛乱」で中西夏之の真鍮板と踊る土方巽(1968年 撮影:中谷忠雄)
中西は、1960年代の前衛的な活動を経て、1970年代以降は独自の油彩画を描き発表するようになります。「ハイレッドセンターの一員であったものが古い形式の油絵とは、私自身にもそのところは説明がつかない。肉体者である土方巽との交流から、最も素朴で最も知的な作業、絵に想いいたるようになっていた」と中西は述べています。土方はいろんなアーティストと交流しつつ、さまざまな形で影響を与えてきました。横尾忠則さんのデザイン、唐十郎さんや麿赤兒さんの演劇活動、四谷シモンさんの人形師への転身などはよく知られています。土方巽はこの時代に舞踏を創造し、海外でも舞踏のfounderとして広く知られています。たえず自らの舞踏を革新しつつ、1970年代には舞踏ブームを牽引し、1980年代以降には舞踏は海外で高く評価され、21世紀の今日に至るまで世界のBUTOHとして広まっています。いずれにしても、土方は世界で最初の舞踏家なのです。
2016年の中西夏之の死去後、中西作品はすべて旧アトリエから搬出され、未使用のキャンバスが残されただけで、オイル・オン・キャンバスならぬオイル・オン・フロアだけが、この倉庫が中西夏之アトリエであったことを証しています。そして、土方巽の舞踏の歴史を知るためのいろんな資料がこの倉庫に保管されています。とくに、土方自身がつくった多くの写真パネルを見ることができます。いずれにしろ、ここは土方巽と中西夏之という二人の芸術家の創造の痕跡が強く残されている稀有な場、貴重な空間ということになります。
油絵の具が落ちた床板(写真提供・愛知県美術館、撮影・石川裕修)
昨2019年10月には、東京藝術大学のグループが「実践考古学」として、この倉庫を使ってパフォーマンスと映像・展示のイベントを行いました。そのことで、この建物が倉庫としての役割だけではなく、アーティストが地域の自然と土地の記憶を学びつつ、作品制作の意味を問いかける場となったのです。さらに、リサーチから始まり、ワークショップ、作品制作、作品発表、シンポジウムの一連のプロジェクトは、ここが中西夏之の制作の場であったこと、さらに土方巽と中西夏之や細江英公ら美術家、写真家とのコラボレーションの成果の収蔵庫に由来することを証してくれました。いずれにしても、この倉庫が、旧中西夏之アトリエを使った思考と創作の場、さらに作品発表の場として魅力的な空間であることをあらためて可視化してくれたのです。
実践考古学のパフォーマンス(2019年 写真提供・井上潤美)
さらに続いて、この空間で創作活動を行いたいというダンサーやアーティストの要望が寄せられたのです。しかし、この建物は経年によって、近年、とくに油絵の具が落ちた床板の損傷は著しく、倉庫内を歩くのも危険で、アトリエとしての保存もままならない状態でした。したがって、管理してきたNPO舞踏創造資源としては、資金的にも維持するのが困難であり、倉庫として放棄しようとも考えました。一方で、旧中西夏之アトリエとして保存するかどうか、また利用したいというアーティストの要望に応えるかどうか迷いました。アトリエとして保存し、倉庫としても利用することを継続するにはどうすればいいのかを問うなかで、このコロナ禍に遭遇して、この時期だからこそ、むしろ再生の道を選ぶべきだと考えたのです。こうして、この夏以来、まずは床板の改修をすすめ、ゆくゆくは創造環境の整備を行い、地域の創作の場にしようというプロジェクトとして活動を始めています。
今春以降、新型コロナウイルスによってアーティストの手足をもぐように公演活動や展示活動が制限され、今後とも予断を許さない状況が続いています。都市においてもまだまだ厳しい条件下にあります。それだけに、都市を離れた地域での活動を模索することは、創作にあっては有効な手立てです。都市を離れやや不便な環境ですが、アーティストが創造活動を維持し、コロナ後にも絶えることなく創作を継続していくには、豊かな自然とつながる、こういった地域のスペースがその役割を果たすこととなるでしょう。そのために、旧中西アトリエを保存し、「土方巽/中西夏之メモリアル猿橋倉庫<アトリエ+スタジオ>」として再生することで、ジャンルを超えた創作のために活用することは望まれるべきことと考えています。
床板を剥がすことから始める
プロジェクトの始まりは、倉庫の床板の改修です。床板は腐食しつつあり根太も傷んでいるので、旧中西夏之アトリエとしても収蔵庫としても放棄せざるを得ない状況になっていました。この倉庫の広さは、左右幅が8間(15メートル)、奥行きが12間(22メートル)ですが、2020年は第1期工事として、そのうち倉庫の中央部の修復を行います。あわせて、アトリエの西側、左右いっぱいに設置されている白い大きなホリゾントを整備します。
工事が始まる(2020年8月)。絵の具が落ちた床板を剥がし根太を修復
創作活動のための設備や機材を導入
ついで、倉庫での創作や発表を行うために、基本的な照明や音響機材を導入し、プロジェクターやパソコンなどの設置をすすめます。奥の左右の小部屋の一方を楽屋や文献資料庫として活用し、もう一方を展示室(ギャラリー)として活用するための整備を行います。この開放感ある倉庫を、絵を描いたり写真を撮影する美術作品の制作の場として、そして作品の発表の場とします。また、舞踏やダンスのワークショップ、演劇のリハーサルなどパフォーマンスの活動の空間とします。こうして、<アトリエ+スタジオ>として活用することが望まれます。
現在は、リストレーションとしての施設整備とクリエーションのための環境整備を行うプロジェクトを進行させています。まだまだ改修、整備のプロセスですが、これを第1期工事として、創作活動ができるまでを目指します。まずは、倉庫の改修、創作環境の整備に要する費用を皆さまのご支援で実現したいと願っています。
開場を記念してホワイトホリゾント芸術祭
この第1期の改修、整備を終え<アトリエ+スタジオ>の開場を記念して、「土方巽/中西夏之メモリアル猿橋倉庫<アトリエ+スタジオ>」としてのイベント「ホワイトホリゾント芸術祭」を10月に開催します。大きく芸術祭と名乗って意気込みを示しました。芸術祭の名称は、中西が残した白い大きなホリゾントに由来します。
多彩なプログラムにも注目!
イベントは中西と土方に出会い舞踏の道に踏み出した舞踏家ビショップ山田と1960年代の前衛をモチーフとして作品をつくるダンサー立石裕美のダンス公演を軸に、映像上映、現代音楽のライブ、そしてシンポジウムで構成されています。さらに、アトリエでの中西夏之をドキュメントした映像、1968年の土方巽のソロ舞踏公演「肉体の叛乱」を撮影した映像、伝説の舞踏公演「塩首」の終演後の、土方巽、麿赤兒、室伏鴻、松山俊太郎、吉岡実ら錚々たる顔ぶれの宴のドキュメント映像などの上映もあって見逃せません。
踊るビショップ山田。近年は「ラスコーの壁画」をモチーフに踊りの始原を探っている
「1960シックスティーズ」のシリーズを踊る立石裕美。倉庫の空間を再発見
舞台美術や写真の展示
開催期間中(10月17日〜10月25日)は、舞台美術や公演写真パネルなどの展示も行います。中西が土方の舞踏のために制作した「バラ色ダンス」(1965年)の「ビクターの犬」や「形而情学」(1967年)の「移動幕」、中西の作品のフラグメント、細江英公や中谷忠雄らが撮影した土方巽の舞台写真、深瀬昌久の珍しいカラープリントなどを展示します。また、香川大介が中西の未使用のキャンバスを使用して公開制作を行います。今後の倉庫での展示の方法や方向を示すことともなるでしょう。
中西夏之の舞台美術「移動幕/イエロープリント」照明で中西本人の裸体プリントが浮かび上がります
人を求めます! オーガナイザー、メンバー、スタッフ
なお、芸術祭の主催は、これまで倉庫を管理してきたNPO法人舞踏創造資源と、<アトリエ+スタジオ>のオーガナイザーとなる運営委員会です。運営委員会のメンバーは、土方巽や中西夏之ともゆかりのある人たちですが、このプロジェクトをきっかけに若い世代や地元大月の有志が加わって、活動が広がっていくことを期待しています。プロジェクトはこのイベントで終わるわけではありません。土方巽の大きな写真パネルや舞台美術などが収蔵されているスペースなどの床工事を第2期工事として2021年に実施する予定です。さらに、ギャラリーや文献資料室の本格的な整備も必要です。倉庫を保存するだけではなく、<アトリエ+スタジオ>として再生させる活動は人を求めています。歴史的な場があり、資金を求め、そして場を担う人を求めます。いずれ、地域に根ざした豊かな創作の場として成長することを願っています。
床の改修と創作環境の整備の資金として
倉庫のある猿橋は、東京(新宿)から中央線で90分、高速バスで80分。東京から遠くはない距離と時間です。ここに、新たに地域に根ざした創造活動の拠点を誕生させたいのです。画家中西夏之は作品制作に集中していたために、地域の人たちとの交流はほとんどありませんでした。しかし、旧アトリエを保存し活用するためには、この倉庫を地域に開放し、地域の美術家や地域で活動している人たちとの交流が求められます。ここで地域の人たちと語り、創り、演じ、発表するための環境を整備する必要があります。床の改修工事は8月から始めています。続いて、アトリエとスタジオとしての基本的な設備を導入しなければなりません。これを第1期工事として、まずはその資材費や工事賃のために、皆さまの支援をお願いしたいのです。
倉庫内を片付けながらの改修工事。作品制作のために倉庫内でドローンを飛ばしている
コロナの状況下での芸術祭開催の資金として
床の改修を進めて10月には芸術祭を開催します。山梨県や大月市の後援をいただいてのイベントです。これまで、とくに文化活動が限られた地区での芸術祭だけに期待されています。前衛的でもあり実験的でもあり、美術やダンスの歴史も包摂し、土方と中西に由来する空間にふさわしいプログラムです。まずは倉庫内のイベントですが、これが地域のほかの機関や施設、さらには近くの川や野など自然の環境とつながる活動へと展開することも期待されています。しかし、今日の状況ではまずはコロナ対応を慎重に行う必要があります。地域の人々に不安を与えることなく、芸術祭を実施することが求められています。観客を限定しての開催などコロナ対応の中での実施だけに、支援をいただくことで、プロジェクトを予定通り実現することができ、さらに地域での継続的な活動を担保するためにもご支援をお願いしたいのです。
2021年に向けての活動 海外からのダンサーを迎える
倉庫の再生のために、地域の作家や文化活動をされている人たちとの交流をすすめています。今後は地域で生まれた作品も展示し、文楽人形を使った民俗芸能を演じてもらうなど、地域の人たちに活用してもらいます。そして、東京をはじめ他県の作家や観客にも来訪していただき、東京を離れた自然環境のなかで、身体への新たな息吹や表現への新たな刺激を感受していただく場にしたいところです。ここに、ジャンルを超えた活動が生まれる成果を期待します。さらに、コロナが収束すれば、舞踏を求める海外からのダンサーも多数訪れることでしょう。そのためには、倉庫の床の全面的な改修をはじめ、創造環境の整備、宿泊できる生活環境も整える必要があります。これらを第2期工事として2021年には実施します。
・旧中西夏之アトリエ(現倉庫)の改修、保存のための工事費
第1期工事費 150万円
・創作活動の環境整備費
基本的な照明、音響、映写設備の整備、床敷きや遮蔽幕などの整備 80万円
・ホワイトホリゾント芸術祭の軽費
フライヤー・冊子の印刷費、展示の運送、設営費、消防法対応、コロナ対応の軽費 50万円
・目標金額を上回るご支援をいただいた場合は
第2期工事(120万円、2021年)の費用に充当します。
■土方巽の写真カード、写真集、ポスター
トリックスターとも言える土方巽は、舞台だけではなく、写真の中でも見る人を引きつけます。
・鎌鼬美術館オリジナル「鎌鼬」写真はがき
田んぼで跳び、踊る土方巽 撮影・細江英公
・『[写真集] 土方巽−−肉体の舞踏誌』
収載写真350点超、オールオブ土方巽。愛読書に。
・ポスター「スイカを喰う土方巽」
撮影・深瀬昌久 B全版モノクロ写真5色刷、文字なし
秋田の山村で撮影された写真は「鎌鼬」として世界に知られている。この写真が美しい絵はがきに(5種類)
「スイカを喰う土方巽」 この写真(同種)が大判ポスターに印刷
■舞踏を知るための貴重な冊子、図録、書籍
非売品や一般には入手しがたい資料です。
・舞踊批評誌『復刻 20世紀舞踊』
1960年に刊行されたダンス批評誌の第1号〜第5号の合本(12月刊非売品)。幻の1号、2号も発見、掲載、初の活字化。ダンス研究必携!
・文集『アスベスト館通信』(1号〜10号)
土方巽死後、土方巽を偲び関係者が寄稿。執筆陣には、澁澤龍彦、種村季弘、飯島耕一、吉岡実、高橋睦郎、永田耕衣、加藤郁乎、松山俊太郎、矢川澄子、大岡信、金井美恵子、吉増剛造、宇野邦一、黛敏郎、奥野健男、三浦雅士、松岡正剛、白石かず子、唐十郎、赤瀬川原平、風倉匠、池田満寿夫、池宮信夫ほか。二度と編集できない文集。
・図録『THE BUTOH OF HIJIKATA TATSUMI』(英語版)
ロサンゼルスでの「土方巽展」のために編集、制作(2019年刊、非売品)。土方巽の写真を多数掲載。
・冊子『肉体の叛乱−−舞踏1968/存在のセミオロジー』
中西夏之寄稿、横尾忠則のデザイン資料、舞台美術、中西夏之の舞台美術ドラフト、多数の舞台写真など「肉体の叛乱」をめぐる資料を収載(2009年慶應義塾大学アート・センター刊)
図録「TEH BUTOH OF HIJIKATA TATSUMI」英文版 表紙とウラ表紙
『肉体の叛乱』の1ページ。横尾忠則デザインの公演ポスター。横尾のデザインの手法が明解に示されている
■鎌鼬美術館オリジナルグッズ
・トートバッグ 秋田県羽後町の鎌鼬の里にある鎌鼬美術館でしか入手できない1品。
■猿橋倉庫<アトリエ+スタジオ>を利用する権利
支援いただいた金額によって、1日利用、5日間利用といった使用権となります。複数の方が集まってのグループの利用(日数の加算)も可能です。作品制作、展示、ワークショップ、リハーサルなどさまざまに利用していただけます。
2019年秋には本倉庫を舞台に、東京藝術大学のグループが「実践考古学」としてパフォーマンスを実施
■中西夏之ファンにはおすすめ
・中西夏之使用の絵皿 現在、旧中西夏之アトリエで中西夏之を偲ぶことができる数少ない物品の一つ。油絵の具が粉末となって絵皿に残っています。手元に置いて記念にしてください。大小さまざまの絵皿があります。
■稀少・貴重な限定品。文字通り1点モノ
・中西夏之の「未使用キャンバス」
アトリエに残された、約200cmX256cmの大きなキャンバスです。中西自身が制作した特製キャンバス、絵を描く方ならば垂涎の品でしょう。すばらしい絵が生まれることを願って提供します。
・「土方巽デスフット」(ブロンズ製)
貴重な品で贈呈できるのは1本に限られます。ブロンズ製で手にするとずっしりとした重さが。市場にも出ない稀少品です。高額のコースで支援していただいた方に特別に提供します。
土方巽のデスフット。美術品ともいえる作品。ブロンズ製でずっしりと重く存在感に溢れています
まず、ホワイトホリゾント芸術祭の実現を目指します!
倉庫の全面的な改修、整備には長い時間と大きな資金が必要です。今回のプロジェクトでは、全面的な改修、整備まではできませんが、まずは旧中西夏之アトリエの保存をはかり再生して、多くの人に利用していただけるまでを想定しています。現在は、倉庫と名乗っていますが、アトリエとしての活用、そしてスタジオとしての活用ができるところまで実施します。10月のホワイトホリゾント芸術祭はその試金石です。これで、この倉庫がいろいろな活動に使えることを実証できると考えています。
第2期工事として、ギャラリーを整備し文献資料室を設置、さらには宿泊設備の整備など、倉庫の多角的な活用を視野にいれています。資金、人、体制などを確立して、地域の文化・芸術の拠点になればと期待しています。土方巽/中西夏之メモリアルを名乗ることは重い十字架を背負うようなことですが、多くの方々の物心両面でのご支援にかかっています。よろしくお願いします。
目標金額に到達しない場合は、NPO舞踏創造資源の会員からの借入金と、現在と今後の活動を通して有志のご寄付で負担します。すでに猿橋倉庫<アトリエ+スタジオ>の開場とホワイトホリゾント芸術祭に対してのご寄付をいただいています。
長い文章に目を通していただきありがとうございました。
芸術家のアトリエは貴重な文化遺産です。それだけに、NPO舞踏創造資源として管理してきたこのアトリエを失うのは、何としても口惜しいことです。実は土方巽の資料もかつて放浪していました。慶應義塾大学アート・センターに収めた資料は、土方巽アーカイヴとして今日まで保存され、広く公開されています。しかし、その他の大きな資料、展示用の写真パネルや舞台美術などは、2003年にアスベスト館が経済的な理由で失われて以来、短いスパンで転々としました。東京のある大学に預っていただき、ついで長野のある美術館に預っていただき、ついで山梨のあるスタジオに預っていただきと、次々と居所を変えて、ようやく旧中西アトリエに収まったのです。そういうわけで、土方は中西に縁と恩があって、その資料がここ大月の旧中西アトリエを倉庫として収蔵されてきたのです。
しかし、ここが終の住処とはいかない危機にあって、冒頭に掲げたように、放棄か再生か!?という事態に陥っていましたが、再生を選び取って歩み始めています。まずアトリエを保存しよう。その後はどうなるか。試行錯誤で歩んでみよう。それが、先の見えないコロナの時代に叶うのではないか。中西との縁と中西の恩から、多くの人に支えられ、多くの人との交流があって、多くの人に活用される<アトリエ+スタジオ>にと転身する道を選び取ったことになります。あらためて、最後まで読んでいただいて大いなる感謝です。最後に、もう一度、皆さまのご好意を賜りたくお願いさせていただきます。
1000 円
3000 円
5000 円
残り10枚
10000 円
残り8枚
30000 円
残り4枚
50000 円
残り1枚
100000 円
SOLDOUT
300000 円
残り1枚
500000 円
SOLDOUT
1500000 円