メンバー紹介4人目!吉村千晶(ちあき)です!
vol. 8 2020-11-01 0
こんにちは! 4人目にご紹介いただきました、よしむらちあきです。ぶんじ寮の近くの国分寺市西元町に住んで4年目となりました。日頃は精神保健福祉士として、地域の福祉施設でうつ病や統合失調症、発達障害などによる苦労をお持ちの方の一般就労を支援しています。
会社勤めをしながら色んなまちで暮らしてきましたが、東日本大震災後、個人的にも職場を通じても年に数回東北にボランティアに行くようになって「残りの仕事人生は、もう少し人の近くにいたい」と思い始めました。そんな時、被災地支援で知り合った看護師さんに「ヨガ講師のボランティアをしてみないか」と誘われたのがたまたま国分寺の精神科クリニックだったんです。仕事を続けながら月に2回ほど国分寺に通ううちに、何だかこのまちが気に入ってしまって。駅前が今の形になる工事を始めた頃でした。特快が停まる駅なのに駅前の通りはぎゅっとしていて、いい感じの古本屋さんはあるし、面白そうなお店もあるし。でもちょっと行くとお寺や史跡も湧水もあるようだ。西国分寺駅の改札を出たところに国分寺野菜の直売所まである。このまちはなんだろう、と興味を惹かれたんです。精神科領域の仕事に面白さを感じてどこでも働けるようにと資格を取りましたが、生まれ育ちが東京なので東京を見ていきたいなと。ならばと半ば直感で国分寺に越してきました。
国分寺のまちは面白がり
まちに仲間が増えたきっかけは、クリーン国分寺と地域通貨ぶんじです。クリーン国分寺は月に一度「ゴミ拾いを口実に」お喋りしながら駅前を掃除して歩く活動で、参加してくれた方に “はたらき” へのお礼としてまちから100ぶんじをお渡しするのですが、初めて参加したときに、たくさんのお礼のメッセージが書かれた「ぶんじ」を見て「わあ!」と思ったのを覚えています。色んな方が参加してくれて、月に一度を重ねるうちに顔馴染みになって。お渡しする地域通貨ぶんじは、パン屋さんやカフェなどまちの仲間のお店が提供してくれました。運営側に誘われて、参加者や提供してくれるお店の方々と知り合ううちに次第に色んな機会に声をかけてくれるようになり、畑をお手伝いしたりこくベジのじかんのスタッフに加えてもらったりと、一緒に何かする機会が増えていきました。そんなこんなで自分の暮らすまちが、顔の見える関係の場所、仲間といる場所に変わっていったんです。ぶんじ寮もそうした流れから、声をかけてもらいました。
国分寺に来て感じるのは、このまちはとにかく割となんでも自分達でやっちゃう人が多いんですよ。まちのイベントも、気づくとあれもこれも、本業であるなしに関わらず、色んな人が面白がってやっている。今年こそコロナの影響で実施を控えていますが、一年の多くの行事はまちの人たちの手作りで成り立っています。「面白がり」と「お互い様」がいいバランスで存在しているというか。先日ぶんじ寮でも大掃除とペンキ塗りをしましたが、こどもも大人も、本当にたくさんの人が手を貸してくれました。これはものすごいことかもしれません。
交わりのきっかけに「はたらく」のは都合がいい
今でこそ町中で何らかに混ぜてもらっている私ですが、別にボランティア精神に溢れるタイプじゃないし、元々まちで何かする方でもありませんでした。産業界で働いていた頃は仕事ばかりで、若い頃こそ夜遅くから遊びに行きましたが、もうアラフォーになると家に帰れば倒れ込むように寝てしまう毎日。家と職場の往復で、自分の人生のたった一人の消費者みたいな人生だなと。そんなとき「ちょっと手を貸して」と言ってもらえて、あ、私もやっていいんだ、とホッとしました。
はたらくって、何かを一緒にするのに一番てっとり早いんですよ。自分のできることを持ち寄ってみた。そしたら喜んでくれる顔があった。人はそうしたことで、自分が自分のままでいてもいいんだと信じられたりするんじゃないかと思うのです。それで、自分のできることがもっと好きになって、上手になりたくなって、少しずつ上達して、相手も喜んで。いつしか役割を持っていく。もちろんはたらくには面倒なこともしんどいことも色々起こるわけですが、そうやって自分の生きている場所が居場所になるんだと思います。
今、障害者の就労支援をしていますが、様々な経緯で人と何かを共にする機会が損なわれたり、奪われたりしてきてしまった方に出会います。皆さん、病院と家しか居場所がないと話されたりするんですよね。何か、「はたらく」を通じて交わりのきっかけを作れたらなといつも考えます。
はたらくって、特別な技能という意味ではないんです。ただその場にいることもはたらきだと思うんですよね。何かできるようにならないと、自分の生きている場に関われないというのはさみしい。そのとき「手を貸して!」という誰かの一言があったら、一歩踏み出せるかもしれない。
ぶんじ寮は、何でも皆んなで手作りして進めていく場ですから、色んな「困った!」がこれからも山程出てくると思います。困りごとは、一人だと困ったままだけれど、みんなで持ち寄ると知恵が生まれて、生きる力が増えていく。何よりみんな、本気の遊びだと思ってここでわちゃわちゃやっている。ここでは自然と色んな人がまちと混ざり、顔の見える関係を広げていけそうな予感がしています。ぶんじ寮が時給を払えるような生業が生まれるまでになるには大分かかりそうですが、例えばそうじや畑のお手伝いをしたり、ぶんじ寮で作られたお弁当を届ける仕事も生まれるかもしれない。それで得られる地域通貨ぶんじを持って、ぶんじ寮の食堂で夕食を皆んなで囲めたりしたらいいなあと期待しています。
困りごとに名前がつく前に持ち寄れる場を
日頃、医療や福祉に携わる中で、困りごとに名前がつかないと相談に行けないような歯痒さを感じます。腹痛なら内科、腰痛は整形外科、仕事探しはハローワークみたいに。でも本当は、もしかしたら腰痛の手前に「年老いたら道が怖くて最近は出かけづらくて」ということもあるかもしれない。障害のある人も、こどもも大人も、子育て中のお母さんも、困りごとが名前を持たないと相談しづらい、困りごとに名前がつくまでは相談する先がないというのは、ちょっともったいない。
去年から、家庭医をしている医療関係者仲間と「にしこく編集室」というチームを組んで、まちに手作りの屋台をひいてお茶を囲んで通りすがりの方とおしゃべりする「モバイル屋台ぶんじ」という活動を始めています。いまコロナの関係でなかなか出動できないのですが、屋台のすこんと抜けたこちらと向こうがつながった場でおしゃべりしていると、診察室や施設の中では出会えない、色んな楽しい発見があるんですよね。相談とは違う関係で、立ち寄ってくれた方もわたしも、自然と困りごとが開かれていく。そうした中で、「いつもはどちらに行くと会えるの」と聞かれることもあり、屋台と並行できる拠点が欲しいなあと。
そんな折にふなっきー(船木さん)がやろう!と言ってくれたので、一緒に、井戸端のような保健室のような、あいまいなままに困りごとや雑談を持ち寄れる場をぶんじ寮の中に設けたいなと考えています。そして私はせっかくなので、その時間ただそこにいる、というのをやろうかなと。逆に「傾聴しないカフェ」とかも一度やってみたいですね。みんな言いっぱなし、聞きっぱなしの場。そっと一緒に並んで本を読むだけだったり、時にはわいわい話し放題になったり、そんな場になったらいいなと願っています。
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■吉村千晶
精神保健福祉士。クリーン国分寺・にしこく編集室。ボランティアで通ううちに国分寺のまちが気に入り、引っ越して4年目になりました。日頃は障害のある方の就労支援をしながらクリーン国分寺でまちの清掃をしたり、にしこく編集室としてモバイル屋台を引いたりしています。ぶんじ寮が誰でも安心して立ち寄れる場になったらいいですし、将来は障害のある人もない人もみんなで混ざって働ける場が作れたら素敵ですね。