参加書店・古書店紹介 #13
vol. 38 2020-05-28 0
参加書店・古書店のご紹介、第13回です。
ひまわり書店(福岡県)
こんにちは。九州の小さな田舎町にある、ひまわり書店の前田かおるです。基金募集締め切り5日前というギリギリですが、ラストスパート最中の参戦ということで寄稿させていただければと、筆をとり・・いえ、猛スピードでタイプしています。
ひまわり書店は、私の母が、3人の子持ちのシングルマザーとなった昭和の時代に開いた書店です。子供の本の専門店です。わたしたちがまだ子供のころのことです。シングルマザーで、商売なんてやったこともない、社会経験も浅いまだ若い女性が、利の薄い本屋という商いを、その上、子供の本の専門店を始める!? と、周りからの反対も多かったようです。けれど、私の祖父母、母の両親の理解と協力もあり、母は実行に移しました。大人になって思えば、日本の女性が社会的に活躍することも、(祖父母や親族の支援はありましたが)子供を3人もかかえて生き延びることはなかなか難しく、自立してなにか運営すること、そして自分の好きなことをすること、が必要だと感じたのではないかと、今は振り返って思います。
そんなこんなで、向かい風の中、まだ子供の本の専門店は全国的に珍しかった昭和の時代に、福岡県と大分県の県境に近い小さな町で、ひまわり書店はスタートしました。お店には、カラフルなさまざまな絵本が並び、可愛い文具もおいてあり、青少年向けの本もたくさんありました。奥には、丸いテーブルがあり、そこで母の友達の学校の教師たちが、さまざまな本を読んだり、コーヒーを飲みながら話をしていたのをよく覚えています。母の夢の詰まった店だったと思います。
私はと言えば、10代で海外に出て、その後ほとんど世界各地に居住する生活だったので、実は、店の変遷を詳しく知りません。ただ、よいときも悪いときもあり、小さななんの変哲もない、観光客がくることもない町で、小さな本の専門店を続けてゆくのは、多くの方々の支援がありながらも、並大抵ではなかっただろうと想像します。そんな中でも、日本で大型チェーン店やショッピングモールが地方にも乱立し始め、零細企業や商店がどんどん閉まっていったのは、ひまわり書店にとっては大きな波の一つで、転機であったと思います。母は、この波を素早く察知したようで、人口7万人くらいの小さな市から、人口3万人弱のさらに小さな町に店を移すことにしました。もともと住んでいた土地に、地元の木を使った土蔵造りの建物を建てたのです。それが、写真にもある、現在のひまわり書店です。靴を脱いで入るようになっていて、子供たちがゴロゴロ床の上で本を読んだり、子連れのお母さんやお父さん思い思いに本を広げたり、膝の上で子供に読んであげたりできるようになっています。木々に囲まれた前庭もあって、子供たちがよく歓声を上げて走り回り遊んでいます。昨今の日本の子供たちは、外で自由に遊ぶチャンスが少ないようで、嬉しそうです。
と、ここまで、理想郷のような話しをして来ましたが、実際の運営は大変なようです。わたしは海外で生活させてもらい、いつしか自立しましたが、ずっと、疑問に思っていました。お母さんは、そんなに大変なことをやる必要があるのだろうか? 大変なのだから、早く店も閉じたらいいのに、と。それが正直な気持ちでした。それでも、この人は一生やり続けるんだろうな、ともどこかで思っていました。
ところが、今回、コロナ菌の世界的蔓延で、経済機構そのものの崩壊と見直しが迫られている中、いつもは強気な母が、めずらしく躓いているのを感じました。風邪をひき、長い間寝込み、風邪が治った後も、様子が変でした。しばらくの間は、地域の商工会議所や町役場の人たちと話しをしたりして、従来からやっているブッククラブという絵本宅配サービスを充実させようと、近隣の町に新聞折り込み広告を入れてみたり、休校となり行き場を失った子供たちとおにぎりを作る会をしたりしていました。けれど、コロナウイルス戦が長期戦になることを感じ始めたころから、ふさぎこむようになりました。さまざまな山や谷を乗り越えてきた彼女にしては珍しいと思って見ていました。年齢もあると思いますが、正直のところ、限界を感じ始めていたのではないでしょうか。
第一、人と関わりながら生き、その関わり合いの中で本を売ってきた人だったので、自粛でお客と関われなくなったことがまず辛いのだと思います。どうしたものかなぁ、と、そばで見ていたところに、この、クラウドファンディングの記事を見ました。noteでスープ作家の有賀薫さんが紹介していたのを目にしたのです。
ハッとしました。ファンディングをしてもらい助成金が出れば少しは楽になるだろうと思ったのと、他の書店の様子が知れること、繋がれること、そして、ファンディングを立ち上げた本を愛する人たちのことも知ることができる。これはよいかもしれない! と思ったのです。
これまで「こんな大変な店、閉じたらいいのに」と、娘心半分、うんざり気分半分で言っていたわたしでしたが、急に気持ちに変化があったのです。
それにはいくつか理由があります。
1つは、わたしは海外でもニューヨーク市での生活が長く、上から下までニューヨーカーと言われるような人間です。合理性とスピードを重視するところがあります。ITの導入を母に勧め、店頭販売と同時に、ネット販売やネットで遠方の人たちにも知ってもらうことが重要になると10年以上前から言っていました。この地域はどんどん高齢化しているため、子供の本の需要が減ることが予測されていたのもあります。また、経営が大変そうなので、ファンディングを募ったらどうか、店のファンもいるし、固定客もいる。助かるのではないか。ファンディングが常識的なアメリカ生活の長いわたしは、以前からそうやって提案していました。(今思い出しましたが、学生時代、NYの紀伊国屋書店でしばらくアルバイトをしていたことがあります。)
けれど母は、携帯さえ持たないアナログでマニュアル派。パソコンやネットのことがよくわらかないというのもあったと思いますが、人との直接的な関わり合いを大切にする彼女には、ネットビジネスへの抵抗感は強かったようです。また、ファンディングで基金を募ることは、嫌がっていました。気持ちはわからないではないが、現実的ではない、とわたしはずっと思っていました。
けれど、今回このクラウドファンディングのことを伝えたら、黙って参加を申し出たわたしに怒ることもなく、昼間からベッドにはいっていた彼女は、ガバリと起き上がり、「わかった、ありがとう」と言いました。反対されるかと覚悟もしていたのですが、拍子抜けでした。でも、ネットも使えば、書店にも少しは光があるかも知れない、新しいやり方を生み出せるかも、と感じたのです。わたしの計画とアイディアを伝え、わたしにネット関係は一任して欲しいと言ったら、それも驚くことに快諾したのが1つめの理由です。
2つめは、これまで「こんな店閉じたらいいのに」と言い続けてきたわたしですが、実は、わたしも本が好きです。母が書店を始める前から、家にはたくさんの本がありました。家中にあったと言っても過言ではないでしょう。そして、子供専用の本棚もあり、ぎっしりと上から下まで本が詰まっていました。まだ幼いころから、もう少し大きくなったらこの本を読もうね、と先の先の本まで手の届かない棚に置いてありました。友達が遊びにくると「ここ、図書館?」と目を丸くしていたほどです。そして、まだ父がいて、母に余裕のあったころは、毎晩、本を読み聞かせてくれていました。それは楽しい時間でした。
そのためか、本好きに育ちました。海外を転々としましたが、どこの国でも、本屋を探して入っていました。今、こうして家でこれを書いている間も、大きな本棚に本が詰まっていて、本たちがわたしを見ています。ほとんどの本が英語の本ですが、ニューヨークで通っていた本屋で買ったものが7割以上です。背表紙を見ただけで、買ったときの気持ち、状況、本屋の空気を思い出すことができます。
そのNYで通っていた書店には、暇があれば、欲しい本があれば、知りたいことがあれば、誰かと待ち合わせをするときは・・いつも行っていました。あ、トイレに行きたいときも(笑) NYには、公衆トイレがほとんどないのです。そんなこともあり、週に数回くらい行っていました。警備員に注意されながらも、床に座り込んで、周りの同じような人たちと一緒に、何時間もいろいろな本を読んでいました。自分んちの巨大本棚兼トイレ気分だったのかも知れません。
大きな扉がいくつもあった入口。ゴディバのチョコレートが置いてあって、つい本と一緒に買っていたレジ。文具や日記帳も充実していて、夢日記(眠っている間に見る夢を記す日記)用にいつも日記帳を買っていた1階。何階にどんな本があって、カフェのメニューはなんで・・今でも鮮明に覚えています。
ところが・・その本屋が倒産するらしい、と友達から聞きました。全米展開の大きな書店だったため、閉じないだろうと安心していたのもあり、衝撃は大きかったです。喪失感に見舞われました。アップタウンの医療関係の本の充実した、ごちゃごちゃと本が積まれていた他の支店の中の様子も瞬時に目に浮かびました。
そのとき、ひまわり書店に来る人たちのことを思いました。もう大学生になった青年が「子供のころにここに来ていた。夢にも時々見るんだ。懐かしい」と訪れてきたり、遠くからわざわざお母さんと一緒にくる子たち、お小遣いがたまると嬉しそうにくる子たち、買わなくても延々と本を読み続ける子たち・・。
彼らにとって緑に囲まれた「ひまわり」は、わたしにとってのマンハッタン16丁目の本屋と同じ感覚なのかも知れない、と思ったのです。
3つ目の理由は、このファンディングチームメンバーの一人の内沼さんだったと確か思いますが、彼がnoteに書いていた記事(記事がどこにあるか今わからなくなりました・・すみません。急いでいるので記憶を元にこのまま書きます)に書いてあったように「何々は嫌だ」が動機になりました。
こんなことでひまわりが潰れるのは嫌だ。今閉じるのは嫌だ。みんなにとっての16丁目の本屋が消失するのは嫌だ。母がこのままボケたり弱ったりするのは嫌だ。本屋そのものがこの世から消えてゆくのが嫌だ。
このような大きな変化のときには、多くのものが淘汰され、失われ、また、新しいものが生まれてくるものだと思います。けれど、本と本屋が消えるのは、嫌だ。
そう思ったのです。嫌なものがわかると、よいものがわかると言いますが、今回は、そうだったのだと思います。
そして、肯定形に入ると、ここから未来の新しい書店の在り方を、それぞれが作るきっかけとなれば、いい。これまでの競争原理社会ではなく、みんなで手をつなぎ、刺激しあい、助け合えば、いい。個人的には、今回の基金に参加することで、高松の古本屋さんの存在と個性的な店主さんや、吉祥寺の本を愛してやまないのが伝わってくる古本屋さんの存在(この本屋さんの棚には、わたしの持っている本と同じ本が洋書棚に一冊あって、あ~~って声を出して嬉しくなった)を知れただけでも楽しかったし、嬉しかったから、いい。日本に住んでもなかなか馴染んでこれなかったけど、いろいろと知れて、繋がれて、楽しくて、いい。母とは折り合いのつかないところはこれからもあるだろうけれど、彼女のやってきたことを認められるようになってよかったし、いい。本を愛する人、本屋を好きな人、何かに真剣にこだわって生きる人たちって、いい。これからしばらくは地域を見直す時期でもあると思うから、小さな町から発信し、全国みんなで一緒っていうのが、いい。そして、ざっくり言っちゃいますが・・日本人って面白くって、いい!
さんざん悩んでいたわりには、いいことのほうが多いじゃないか・・と、こうして書いてみて思いましたが、これからも試練はあると思います。けれど、できることをやってゆこうと思います。母のサポートとして、ちっちゃなIT部門として(笑)、二代目として、やってゆく所存です。みなさん、ご協力よろしくお願いいたしします。
母は偏屈でビジネスセンスはイマイチ上手ではないですが、偏屈ならではで、絵本や児童書に関しては、「この人、児童書ソムリエって名前でやってゆけば断然いいのに。この人ほど詳しい人はなかなかいないだろう」と、思うほどです。うちの子にはどんな本がいいかしら、年齢によって変わってゆく本を知りたい、うちの子は本を読むのは嫌いだけど読み聞かせは好き、赤ちゃんの時から本は与えたほうがいいのか・・などなど、質問疑問があったらいつでもお問い合わせください。うちのソムリエがいつでもお答えします。そして、本、買ってくださいね。一生の宝になりますよ。
それから、基金への参加、ぜひぜひお願いします。本をみんなに運ぶ本屋のわたしたちを、文化の礎を支える本屋を、どうそよろしく支えてくださいませ。
長くなりましたが、ひまわり書店からのご挨拶とお願いでした。
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5月27・28日 終了直前特番「本と本屋について何でも聞ける 2DAYS」開催します。
ご質問を募集中です。
https://motion-gallery.net/projects/bookstoreaid/updates/29320
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