そして、私は話し続けた。
vol. 1 2016-03-22 0
全ては3月16日の新聞記者との電話からだった。
「さかはらさんは今年は献花は行かれないのですか?」と尋ねられ、「資金もないので見送ります」と答えた。
翌日、「いや、行ってみよう」と考え直し、クルーも用意せず、ハンディカムを一つ持ち、東京に向かった。進路相談に乗った友人の息子さんに新橋で朝まで、付き合ってもらい、かばん持ちとして、同行してもらい、午前4時半、霞ヶ関駅、献花場に出かけた。
荒木浩は驚いていた。彼はずっと、こうやって毎年献花にずっと来ていたのだ。
献花の後、地上に出て、安倍首相などが来ているすぐそば、寒風の日比谷公園で8時間話し続けた。
ドキュメンタリーの今のバージョンは、荒木浩を理解しようというものである。しかし、この映画は私がなんとか荒木浩を「変えようと試みる」そういう映画であった。
そういう映画にしなければならない。
私は8時間、話し続け、この映画は「変えようと試みる」映画であると確信した。
そういう映画に皆さん是非、応援してください。まだ、少し、資金が足りないのです。
よろしくお願いいたします。
さかはら あつし
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