『アハーン』 字幕翻訳者のあとがき
vol. 10 2024-07-28 0
『アハーン』はヒンディー語作品で初めて、ダウン症当事者を主演に起用した映画だ。ユーモアと、上からでも下からでもない、自然な視点が光っている。
アブリ・ママジ演じるアハーンの魅力は言うまでもない。くるくるとよく動く瞳で、うれしい気持ちを率直に表現する。気まずいときの表情も、またいい。一方、潔癖で頑固なため妻に愛想をつかされる中年男性オジーも、キャラクターが際立っている。これは二人の成長物語だ。隔たりのあったアハーンとオジーが刺激を与え合い、遠慮なく気持ちをぶつけながら、目の前の困りごとに向き合っていく姿は、時に危なっかしく、時にコミカルで、いじらしくもあり、どうにも応援したくなってしまう。
福永さん 翻訳にあたって悩んだ点もあった。アハーンは憧れの友人女性オネラに対して、オジーのアドバイスを受けて積極的にアピールし、連絡先を聞き出す。オネラはこれを楽しげに受け止め、友人として爽やかに接する。その後、彼女がアハーンのことを歌にするのだが、その歌詞にsweet、adorableといった、「可愛い」の意味を持つ言葉が並ぶのだ。私は面食らい、戸惑ってしまった。なんといってもアハーンは25歳、成人男性である。なのにオネラが彼を「可愛い」と形容するのは、アハーンの特徴ゆえだ。つまり、無自覚な偏見に思えてならず、当事者やご家族の方が見たらどう感じるだろう、とモヤモヤした。字幕翻訳では、原語の表現が際どい場合(差別語など)、ニュアンスをそがない範囲で言い換えを求められることがある。もちろんこの歌はそこまででないにせよ、訳にある程度の工夫が必要だろうか? いや考えすぎだろうか? としばらく逡巡した。何より私自身、アハーンのアハーンらしさに確かな魅力を感じているのも事実だった。
作品中、この「可愛い」問題について別の視点も示されている。オジーの妻アヌは、何かにつけてアハーンを気に掛けるが、夫とはすっかり距離を置くようになる。自分にだけ向けられるアヌの愛情について、オジーの前でいきいきと語るアハーン。嫉妬もあいまってオジーは言う。「アヌは君を子供だと思ってるんだ。いや、子供の頭脳を持った大人だな」。当然、アハーンは反発する。ひどい言い草だ。だがここはストレートに訳した。オジーというキャラクターを使って問題提起がなされている。アハーンを取り巻くさまざまな感情が、うまく取り入れられた作品だと感じた。
結局、歌をどう訳すかについては、ダウン症を持つ方のご家族(敬愛する先輩でもある)のお話を参考にさせていただき、決めていった。当事者の方もそうでない方も、安心して聴けるよう、それでいて原語のニュアンスを離れすぎないよう心がけたつもりでいる。
自主制作らしい手作り感に満ちた、あたたかな映画だ。キャストも皆、プロボノによる参加だったと聞いて驚いている。それだけ俳優の方々にとっても、ひかれるものがあったということだろう。スクリーンのこちら側にいる私にも体温となって伝わってきた。
福永詩乃