大脇幸志郎さん(医師・翻訳家)推薦の言葉いただきました!
vol. 8 2024-07-10 0
大脇幸志郎さん(医師・翻訳家)
よくできた作品は、時系列から言ってありえないはずの、つまり未来の出来事を雄弁に説明するように見えることがある。2019年に制作された『アハーン』がコロナの映画にしか見えなくなってしまったのもそうした現象のひとつに数えていいだろう。
潔癖症のオジーは、セリフでこそほとんど語られないが、テレワークを駆使して(でなければこんなにいつも昼間から自宅にいるはずがないので)成功し、子供を持つことはぜいたく消費だと考える、きわめて現代的な人格だ。そうしたイデオロギーがコロナで強まったいま、オジーが不潔で不確定な未来に踏み出していく物語は、主人公であるはずのアハーンの物語よりもむしろ身近で切実なものに感じられる。
もちろん本作の中心はアハーンだ。知的障害者(この字で書きたい)に対する偏見を浮かび上がらせるというわかりやすい役割をはるかに通り越して、人間らしい生活とは何か、現代の我々が見失っているものは何かを鋭く言い当てていくアハーンに我々は心打たれるのだし、それを可能にするだけの魅力あふれる描写と演技の仕事がなされている。オジーはそんなアハーンの役割を支える舞台装置でしかないはずなのだが、いつのまにか枝葉が幹のように見えてしまう、そんな豊かさが本作にはある。言い換えればこうだ。『アハーン』という映画には隅々にまで情熱が脈打っている。