あがた森魚さんから新しいメッセージ
vol. 10 2017-10-22 0
夏の終わり方からずっと、北海道の小樽と東京を行ったり来たりしています。その合間に多少なりともライヴツアーなども行なっており、昨日からは岡山に来ています。昨日はとある幼稚園で歌い、今日はとある知人の還暦祝いのライヴで歌います。明日はかの井原の三村珈琲店で歌うのです。
まさに歌う営みであることに違いありませんが、「歌は日銭稼ぎの家業か」といわれると「その通りです」と断定したくはなく、では「歌は吟遊詩人の日々の徒然ですか」と言われると、そうとも断定できず、しかし作ってみたい歌があり、それを人に聞かせたい旅があり。新幹線で、飛行機で、旅ならぬ旅が完遂する昨今。さすらう旅芸人ほどの郷愁まではないものの、それでも一つの場からまた一つの場へと、戯れにうつろう気ままさはやはり贅沢なものです。
おおかた一夜歌い、あなたという概念の聞き手たちと一夜をわかち合う幸福。そしてその容量に見合った報酬を得ることの何と等身大で、何と健全なことだろう。もしそのことだけに365日を費やし、一年一年を過ごしていけるのなら、それでも全く問題はありません。
さてここにきて今年は、旧友はちみつぱいとアルバム「べいびぃろん」を作り、7月1日メルパルクホールで発表会を行い、10月8日には、ベルウッドフェスティバルに参加し、ささやかな節目がありました。
ここにきてもう一つささやかな節目が、11月25日に行われる我が小樽での母校、入船小学校の閉校式です。そこで母校の児童たちや、小樽市民の方々に歌います。来年3月をもって学校自体が廃校になるのは以前から知っていましたが、この11月に閉校式が行われることを知り、様々な考えが頭をよぎりました。
2001年発表のアルバム「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」で歌われた佐藤敬子先生と、小学校1、2年を共にした学び舎こそはこの小樽入船小学校であり、今回のこの入船小学校にピリオドが打たれるこの秋から来春にかけてが、入船小学校そして佐藤敬子先生との一区切りのときかなとも思いました。歌にまでした佐藤敬子先生は2000年ちょうどに亡くなられ、もうすでに再会することはできないのですが、大げさに言えば僕自身の物の考え方や、人格形成にこの佐藤敬子先生は多大な影響を与えてくれたということへの認識が、年を追うごとに強くなっていることもまた事実です。
佐藤敬子先生と僕の関係は、小学校1、2年を共にした教師と教え子の関係以上でも以下でもありませんが、戦後すぐの昭和30年(1955年)に、小樽の港町の小学校で先生と僕がなぜ遭遇したかです。戦後の女性の自立がまだまだ厳しかった時代に、一人の教師として子供達に教育と愛情を授ける役目を荷なった、若くて聡明で情熱的でしかも美しかった佐藤敬子先生は、紛れもなく僕にとっての全知全能の女神その人だったに違いないのです。
しかし、佐藤敬子先生はただ一人の佐藤敬子先生という師ではなく、佐藤敬子と僕一個人が戦後の小樽の港町にいたというその事実によって、僕らは近代の小樽や近代都市の有様をまた認識し直すことができるわけです。
今回8月夏の終わりからの約2ヶ月間、小樽と往復しながら僕の小樽像を探求したこのドキュメンタリー映画が、撮影もほぼ終わり、編集の最後の仕上げにさしかかろうとしています。12月の函館の映画祭でのプレミア上映を目指し、今最後のラストスパートです。私歌手あがたという一人の人間、そしてその私を育んだ佐藤敬子という人格、そしてそれを包み込みさらに育んでくれた小樽という港町、その近代港町が、20世紀という近代に担った一つの有様を描きだせたらと思います。
クラウドファンディングのプロジェクトも、締め切りが今月の25日と迫りました。皆様の盛大な参加をお待ちしております。
(すでに参加してくださっている皆さまには深くお礼申し上げます)