小説・アガリスクエンターテイメント血風録 第一話「接触編」(淺越)
vol. 18 2020-05-25 0
2005年。自衛隊がイラクに派遣され、『ドラえもん』の声優陣が代替わりし、福知山線が脱線。個人情報保護法が成立し、愛知で万博が開催され、知床が世界遺産に登録される。
そんな2005年。東京から江戸川を挟んだ対岸、なぜか都営新宿線がギリギリ通る千葉県市川市本八幡で、アガリスクエンターテイメントという劇団が、人知れず動き出していた。
こうして少しだけ劇的に書き出しては見たものの、なにぶん15年も前のことである。記憶もだいぶ薄れてきているし、当然記録もほとんど残っていない。一応おれは主宰の冨坂を除くと、旗揚げからずっと活動している唯一の劇団員なので、劇団の主なイベントや事件は間近で見てきた、、、はずなのだが、どうにも怪しい。話の細部どころか、どうやら場所や時系列もゴチャゴチャに覚えてるようで、たまに古参メンバーと昔話をする機会があっても、いまいち噛み合わなかったりする。正直なところ誰の見解が正しいのかすら解らないのだが。
と、回顧録として価値があるかは怪しいが、それでも書いてみようと思う。改竄も混濁も失念も踏まえたうえで。あくまでおれの主観として、アガリスクエンターテイメントという変な劇団の船出を、書き残しておこうと思う。
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話はなかなか始まらない。
『哀愁の町に霧が降るのだ』をご存じだろうか?じゃあ『新橋烏森口青春篇』は?『銀座のカラス』は? これらの椎名誠の自伝的小説には、文体もそうだけど思想から行動様式から、多大なる影響を受けている。第一、おれの名前は椎名誠の息子・岳(ガク)さんから一字拝領しているのだから、そもそも産まれた瞬間からその影響下にある。
何の後ろ盾も保障もなく、一から自分たちで自分たちの雑誌を持つ。完全に手弁当で手探りのその姿勢は、しかしだから何物にも媚びず縛られず軽やかにあり続ける、、、だから、ロックバンドに憧れるように、淺越岳人は「本の雑誌社」に憧れた。
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はじまりは、同級生Tからのメールだった。
3年間通った県立国府台高校は、文化祭がさかんなことで県下でも有名だった。とくに3年次に各クラス教室を劇場に改造し、ひとつの劇団のようにして発表する演劇は、結構な認知度を誇る名物だ。
当時のおれは読書と吹奏楽に明け暮れ、「文化祭はまあ手が足りないなら手伝うよ」くらいの教室の片隅によくいるタイプのメガネだったのだが、Tはこういう「行事」とか「クラス」に熱いやつで、そんなおれを「脚本に詳しい」と、クラスの中心人物たちの前に引っ張り出した。確かに演劇の経験は皆無だけど、つかこうへいの小説から始まって、その後もちょこちょこと戯曲はよく読んでいたので、何度か相談に乗っているうちに、演出みたいなポジションになっていたおれにとって、つまり高校のクラス演劇が原体験でTはそのきっかけ作った男なのである。
その後、クラスの舞台美術をやっていたTとは演出とスタッフという立場から衝突と和解を繰り返し、一部で有名な『後夜祭号泣事件』でその関係はひとつの結実を迎えるわけだが、、、今はそれを書く場ではないのでまたにしておこう。
とにかく、卒業後そんなTから、
「冨坂先輩が劇やるために人集めてるんだけど、手伝わない?」
というメールが来て、意外と暇な大学生活に退屈していたおれは、よく考えずOKの返信をした。それがおれと冨坂との出会いでもあった。
冨坂は国府台の一年先輩になるが、在学中にはほとんど関りがない。だからその正直「冨坂先輩」というのがどんな人間なのかそもそも誰なのか、ピンと来ていないなかで「手伝うよ」と返答したのだから、当時のおれは余程暇だったのだろう。
ともかく、顔合わせというか、その冨坂と会うことになった。
ここで出足から妙な話になるのだが、この顔合わせにTは出席していない。というか、ここから先、この物語にTの出番はない。
このとき冨坂はおれとT以外にも数人に声をかけており、そのなかのひとりがTと犬猿の仲の人間で、その男の参加を知ったTは怒りそれを理由に参加を断った、という顛末があったことをおれは後から知る。誘ったんだから辞める前におれには事前に言えよ、と思うが、Tは今まで会ったなかでもトップクラスの激情家なので、その辺の配慮は期待できない。ともかくそんなわけで知らぬ間に梯子を外された形だが、そんな事情は知らず、おれはほぼ初対面の「冨坂先輩」とふたりで会うことになった。
待ち合わせ場所は本八幡、国道14号線沿いにあるサイゼリヤ。特定の活動場所を持たない、というか持てなかった流浪の劇団であった我々にとって店舗面積が広く、なによりいつも閑散としてるこの店は主要な打ち合わせ場所のひとつとして、のちに「会議室」と呼称されることになる。
冨坂の第一印象は、というより顔を合わせたときの感情としては、「あ、コイツか」というものだったと思う。国府台の生徒総会でなにか理想的で、つまりなんの内容も伴っていない演説を長々と喋っていた先輩のひとりである。正直、嫌いではないが苦手なタイプだ。とはいえ、いまだTのサポートとして参加を疑っていないおれは、「まあ付き合えそうになかったら、Tを間に通して関わればいいか」と、気楽に構えていた。
話してみると、おれは在校中冨坂をほとんど認識していなかったが、むこうはそうではなかったことがわかった。まず、ある教員がおれのことを「面白いやつが吹奏楽部にいる」みたいなことを冨坂に話していたらしいこと。しかしおれはその教員とどこで接点があったかわからず、第一その教員のこともまた気に食わないと思っていたので、その話を聞いて好感を持つどころかむしろ狼狽した。
そして、もうひとつ。当時おれが付き合っていた女の子と、冨坂が付き合っていた(後述)女の子が、偶然国府台のクラスメイトであり仲が良く、話題としておれの名が上がった。そしてその子を通し、おれが卒業後ヒマであること、演劇にそれなりに興味がありそう、ということを知ったという、、、なんとも面映ゆい話であるが、当時おれたちはとも20歳前後である。これくらいの浮いた話は許容して欲しい。
そこで冨坂となにを話したかだが、この辺の記憶は曖昧である。その後、この「会議室」でそれこそ数えきれないくらい冨坂と脚本の相談やら劇団の運営やら観た映画や芝居の悪口やらを話していて、それの内容はもとよりどのタイミングでの話題か判然としない。
ただ、おそらくこれはこの初顔合わせだったと思うのだが、、、冨坂はこのタイミングで件の彼女にフラれている。そしてその話を、ほぼ初対面のおれに愚痴でもなく、同情を引くためでもなく、むしろ映画かマンガのワンシーンのように客観的に、悪く言えば当事者意識なしに、なによりどこか楽しそうにおれに語ったことが強く印象に残っている。
その話を聴きながらおれはこう思った。
この冨坂という男は失恋でテンションがおかしくなっているか、感情の機微がおかしいサイコパスか、そのどちらかだ。
いまでこそその答えは明らかだが、当時のおれはまだその判別がつかなかった。
もちろん、好きな作品の話や、どんな芝居がやりたいか、、、といった話もしているはずだ。が、むしろ覚えているのは、
『ドラゴンボール』で最も強いのは、自ら戦いの連鎖から降り唯一幸せな家庭を築いたクリリンなのではないか論。
結局弱者の側に立ったことのないしずかちゃんが、失恋を経験することではじめて本当ののび太の優しさを知る『ドラえもん』高校生編・主演長澤まさみでの構想。
などの雑談なのか作品作りなのかわからない、不定形な「お話の話」ばかりだ。どこに発表するでも、なにかの訓練でもない。そんな話を、人のいないサイゼリヤでドリンクバーだけ注文して何時間も話していた。
あとから聞いた話だが、このときのおれを冨坂は「こういうフィクションについての話に、世間話なんかを通さずダイレクトに飛躍できる変なヤツ」と思ったようだ。おれからすると子供のころからこんなことばかり考えていたし、むしろ「世間話」のほうがよっぽど苦痛で、こういう話は気分が楽だった。最初の決して良くないインプレッションは、こうして次第に薄れていった。
結局その日は、まだ参加者、とくに出演者が全然そろっていないことから、具体的なことはまったく話に出ず、解散となった。肝心のTがいないから作業や分担の話もできず、おれは「で、おれはなにをやるんだろう」と疑問に思いながら、とりあえず打つらしい公演のメンバーとして数に入れられたことと、まあこの男とならそれなりにやっていけそうだ、ということに一安心し、帰路についた。
***
そのときのおれは、このあと結局人手不足から自分が舞台に立つことになることも、その後劇団が15年続くことも、何も知らずに自転車を漕いでいた。ただ、「なにかが動き出したぞ」というこのところ味わっていなかった軽快な気持ちが、踏みしめるペダルに勢いをつけ、いつもより速いペースでおれを前進させていた、、、のかどうか、本当はまったく覚えていない。
(つづく?)