「赤い自転車」へのメッセージ 武藤心平
vol. 4 2025-12-15 0
伴田良輔は、意味を押しつけない。だが、意味が生まれる場所を、誰よりも信じている。その信頼こそが、彼の映画を、静かで、強く、忘れがたいものにしている。
武藤心平 小学館編集者、詩人
伴田良輔の映画は、意味を語らない。だが、意味が生まれるその瞬間だけを、驚くほど正確に映し出す。
彼のカメラが捉えているのは、完成した物語でも、整理された感情でもない。世界がまだ言葉になる前、意味が名を持つ直前の、きわめて不安定な揺らぎだ。そこでは出来事は因果として説明されず、偶然は偶然のまま、ただ触れてくる。触れられた人物は戸惑い、理解しないまま時間を生き続ける。その無理解こそが、伴田映画の誠実さである。
赦しもまた、語られない。誰も正しさを主張せず、誰も裁かれない。それでも世界は止まらず、関係は断ち切られずに続いてしまう。その「続いてしまうこと」自体が、彼の映画における赦しなのだ。声高な救済ではなく、沈黙のまま隣に在り続けること。伴田良輔は、赦しを倫理ではなく、風景として差し出す。
画面に溢れるメタファーは、解釈されることを拒む。水、光、風、影、鳥、壊れかけた物。それらは意味を示す記号ではなく、意味が暴れ出す瞬間の痕跡だ。観客が理解に手を伸ばした瞬間、意味はすり抜け、別の表情を見せる。この目まぐるしさは混乱ではない。世界がまだ一義的でないという、豊かさの証明である。
そして、マジック。伴田映画の魔法は、何かを消したり現したりしない。ただ、見ている側の現実の輪郭を、ほんのわずかに歪めるだけだ。その歪みの中で、観客は気づく。世界は、まだ終わっていない。そして、まだ始まってもいない。この中間の震えを映画として成立させていること自体が、すでに奇跡なのだ。
伴田良輔は、意味を押しつけない。だが、意味が生まれる場所を、誰よりも信じている。その信頼こそが、彼の映画を、静かで、強く、忘れがたいものにしている。
詩人・8角介(小学館編集者・武藤心平)
