今、制作している短編映画「そっと、触れて(仮)」という映画について。
vol. 17 2020-10-08 0
僕は、この映画で、すごく特別なものや、感動的なストーリーを描きたかった訳ではなく、この小さな家族が「こう生きるんだ」という決意を形にしたかった、しなければならなかったというのが、自分の中で一番近い感覚かもしれません。
広く、多くの方に共感を呼ぶ話ではないかもしれません。
ひょっとしたら一人だけに届く映画かもしれません。
似た境遇を持つ方から、「そんな生易しいものじゃない」と批判を受けるかもしれません。
だけど、この映画で表現したものが一番ではなく、最善でもなく、押し付ける訳でもなく、ただ、この家族の選択はこうである、という事を丁寧に描きたいと思いました。
以前制作した「RICE BALL」という映画も、その親子のこれからを見据えた思いやりが、一番でもなく、最善でもなく、ただこの世界にいくつもある親子の選択の一つであることを形にしました。
それでも、日本のみならず、アメリカ、インド、カナダ、ドイツと、いろいろな国で共感を呼ぶことができました。
特別大きな事件も起きず、ひょっとしたら隣の家でこんなやり取りが実際になされているかもしれない、もしかしたら、近い将来自分が体験するかもしれない、というような感覚の映画なのですが、それだけに、その中の「生きる人」には注意を払いました。
リアルな人物像、というと、実際に居そうな人を想像しがちですが、映画にはいろいろなジャンルがあります。
そして、そのそれぞれの映画の中の世界に居そうな、居ることがしっくりくる人が、その映画に於いてのリアルな人物像、ではないかと思います。
コメディ映画にはコミカルな、バトル系の映画にはパワフルな、そして、ふとした日常を描いた作品には、ふと隣に居そうな人が。
映画的な大きな出来事は起きなくても、その世界で自分の足で立って生きている人たちの息遣いや、そこに流れる空気感、時間や温度のようなものをしっかりと描きたいと思っています。
僕の中で、あくまで僕の中で、そこに力を注いで、作品からもそれが感じられる映画の事をインディペンデント映画ではなく、「短編映画」と定義づけて、常に短編映画を撮りたいと思っています。
もちろん、資金や人材が豊富ではないので、制作体制的にはインディペンデントなのですが、なんとか周りの方に助けていただいて頑張っています。
今作も、自信の持てる映画です。
この家族の話を最善の形にすることで、力を貸していただいた皆様へ御恩が返せるよう頑張ります。