沖縄10年日記 第1回「私がまだ知らない沖縄」について
vol. 45 2026-08-12 0
沖縄10年日記
第1回「私がまだ知らない沖縄」について
2026年8月5日、沖縄、高江に初めて来てからちょうど10年が経った。10日の滞在予定だったのだ。身軽というか、今にしてみれば軽薄、軽率だった。
34歳から44歳。気づけば、人生の重要な10年を沖縄で過ごした。
10年前は健康そのもので、おじさんに片足を突っ込んだような年齢だったが、今ではもう自他共に認めるおじさんで膝が痛いし、代謝も悪い。髭に白髪も混じっている。
それでも辺野古の座り込みテントに行けば、いちばん若いことが多く、若者扱いで、冷奴をたくさん食べろ食べろと言われ、大量に冷奴を頬張ったりしている。これ僕以外にやったらハラスメントになるかもなと思いながら、10年という時代の変化を感じたりする。
辺野古の基地反対運動は、僕が来る前の2014年、翁長さんが県知事選でオール沖縄をぶち上げて勝ち、翁長さんが亡くなってデニー知事が39万6千票という最多得票で勝利した2018年ごろがピークだったのだろうと思う。その頃の文献を読むと、本当に辺野古が止められると、「イデオロギーよりアイデンティティ」だと熱く胸を躍らせた記録がいくつも残っている。
それからコロナ禍もあり、もちろん政府の圧倒的な弾圧や認知戦、そしてそれを強化するように社会の構造自体がネットに大きく飲み込まれ、デマや世論操作で沖縄だけでなく、日本も世界も、まともな情報が通らない状態になってしまった。
オール沖縄を支えていた企業も、政府から露骨な圧力を受け、一社一社、心が折れるように離れて行った。また選挙でもデマや官房機密費、そして統一教会の暗躍もあり、反自民系市長はいなくなり、衆院選ではついに、史上初の沖縄4選挙区すべてが自民党の議員になった。私が沖縄に来た2016年には沖縄4選挙区すべてがオール沖縄議員だったことを考えると、その激動の変化は恐ろしい。
そして3月の辺野古の事故で、「この事故は沖縄県内では報道されない」などの陰謀論に近い言説がネットを埋め尽くし、基地反対運動は途方もないバッシングに晒されている。
私が10年、現場を見つめた経験から責任を持って言うが、沖縄で基地に反対する人たちは、皆、心のやさしい人々だ。沖縄の人々が晒されてきた米軍からの圧倒的な被害を少しでも食い止めたい。殺人、性暴力、犯罪、騒音、水質汚染、搾取、分断、人権侵害、構造的差別。こんな苦しみをこれからの世代に引き継がせたくない。穏やかに平和に普通の暮らしがしたい。という想いから反対している。
10年前、半信半疑で沖縄に来て、それに気づいた時、本当に驚いた。心優しい人々だから、命を守るために強く反対するのだ。その強く反対している部分だけをネット上で切り取られ、極左だ、暴力集団だ、中国の手先だなどと言われている現実が、本当に腹立たしく、涙が出た。
だから自分は、そうしたデマや情報操作に少しでも抗って、反対する人たちの本質を伝えたいと、この島に残った。誤解を解きたかったのだ。
その誤解は、誰に対してもマイナスしかないと思ったのだ。そして放っておけば民主主義を滅ぼすだろうと感じた。まして誤解して誹謗中傷している人々の生活や人権すら、その誤解は壊していくのだ。
3月の事故は本当にいたたまれない。この世界にあるどんな言葉を尽くしても現せない悲しみが込み上げる。
これから生きる人々の命や生活を守ろうとしている運動が、高校生の命を奪ってしまったのだ。基地反対運動に参加している人々は、誰もが深く悲しみ、後悔し、落胆している。反対運動を美化するつもりはないが、それが実相に近いものだ。
そしてこうした言説もまた、ネット上では嘘だ、印象操作だなどと罵りの対象になるだろう。だけどもそれもやっぱり、誤解なのだ。そして、多くの人が誘導され先導されその誤解に突き進んでいる。その先にあるのが戦争なのだと、やはり考えてしまう。
権力、権威、強いものの良いように情報が撒き散らされ、人々がそれに追従する時、誤解のまま突っ走る時、今はまるで裸足のゲンの世界と変わらない。また戦争が起きる。多くの人が死ぬ。守られるべき弱いものから死んでいく、そして国民は死んでもまた国は残るだろう。
だから非国民と呼ばれようと、産経新聞に「暴力の限りを尽くした男」と書かれようと、少しでもひとりでも誤解を解いていきたいのだ。
そういう気持ちで、映画を作った。「私がまだ知らない沖縄」。
10月31日にポレポレ東中野から全国で公開になる。
一作目だから、反省も多いが、どうにか多くの人の目に触れてほしい。
本質に触れてほしい。ひとりでも多くの人の誤解を解くきっかけになればと思う。
沖縄と、「本土」の関係を見つめる新たなレンズになればと思う。
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