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株式会社タキオンジャパン代表取締役 1950年北海道生 1973年中央大学卒業、株式会社テレビマンユニオン参加 ドキュメンタリー、ドラマ、音楽番組、紀行番組など、約500本の制作・演出に関わる。 1985年株式会社タキオン設立 10年前から記録映画制作を行う。 「二重被爆」(2006年)「二重被爆~語り部・山口彊の遺言」(2011年) 「フクシマ2011~被曝に晒された人々の記録」(2012年) 「書くことの重さ~作家 佐藤泰志」(2013年)「仲代達矢”役者”を生きる」(2015年) 劇映画「NORIN TEN~稲塚権次郎物語」(2015年)の脚本・監督・プロデュースを担当
世界の小麦の基を作った日本人育種家の生涯を、
広く海外の方にも知っていただきたい!
映画「NORINTEN~稲塚権次郎物語」の英語版製作と海外映画祭参加に、
皆さまのご協力をお願いします。
「コシヒカリ」の基になった「水稲農林1号」、
世界の食料危機を救う奇跡の麦の基になった「小麦農林10号」(NORINTEN)を
作った育種家。
今年2015年は、NORINTEN(ノーリン・テン)誕生から80年目にあたります。
若き日の稲塚権次郎
稲塚権次郎は、大正時代から昭和10年代にかけて、秋田、岩手の農事試験場で、美味しくて、
収量の多い品種の開発に取り組みました。彼が手がけた「水稲農林1号」は、のちに「コシ
ヒカリ」(昭和19年)となり、70年経った今も日本のお米の代表的な品種になっています。
さらに昭和に入って小麦の育種に取り組み、昭和10年(1935年)に「小麦農林10号」を開発。
戦後アメリカの農学者ボーローグ博士により、1960年代の世界の食糧危機を救う小麦の基と
なりました。小麦農林10号の特質は、半矮性(通常より背が低い)で、栄養をしっかり閉じ
こめ、風や寒さにも強いことです。
稲塚権次郎は、明治30年(1897年)富山県南砺市(現在)の貧しい農家の長男に生まれました。富山県唯一の農学校「福野農学校」に学び、首席で卒業。農家の後継ぎとなりますが、
向学心が強く、一冊の本と巡り合います。ダーウイン著「種の起源」。
周りの貧しい農家の役に立つ仕事がしたいと考え、育種家を目指し、東京帝国大学農学実科
(現在、国立東京農工大学)へ進学。卒業後、農事試験場で地道な研究に取り組み、粘り強い
研究姿勢で、成果をあげて行きます。
赴任先の秋田で知り合った妻 イトさんをこよなく愛し、晩年は地元に戻って農地改善事業に
力を尽くし、穏やかに暮らしました。
昭和46年(1971年)勲三等瑞宝章受賞
昭和63年(1988年)12月7日 91歳の長寿をまっとうし、死去
世界の食糧不足の改善に尽くしたとして、
1970年にノーベル平和賞を受賞した
ノーマン・ボーローグ博士。
彼は「小麦農林10号」を親に用いて、
背の低い丈夫な麦を作りました。
これが「奇跡の麦」と呼ばれ、
世界の数億人もの食料危機に瀕している人々を
救ったのです。
ボーローグ博士が来日した際には
稲塚権次郎のもとを訪れ、
記念公演では
「小麦農林10号がなければ、
奇跡の麦は生まれなかった」と
その業績を称えました。
稲塚権次郎とノーマン・ボーローグ
名優 仲代達矢さんが、晩年の稲塚権次郎を演じます。
撮影は2014年春からすでに始まっており、2015年2月のインドロケで終了です。
今秋、全国公開を予定しています。
(C)タキオンジャパン
仲代達矢さんコメント
この映画の主人公 、稲塚権次郎さんは、世界の食糧危機を救う基となる小麦を作った、
世界の人々に大きな影響を与えた人です。ぜひその事実を伝えたい、映画を観る人たちに
知ってもらいたいと思いました。
権次郎の妻、イトを演じる野村真美さん (C)タキオンジャパン
[あらすじ]
1980年代後半、90歳になる稲塚権次郎は、故郷富山県東砺波郡城端町(当時)で暮らしていた。三輪バイクに乗り、しばしば転倒するなど、地元の人々に心配をかけていたが、そのたぐい
まれな性格で愛されていた。
福野農学校を卒業した権次郎は、農家の跡取りとして農作業に勤しむが、向学心がやむことは
なく、親戚の応援を受けて東京で学ぶことになる。卒業後農商務省に入り、希望する育種家の
道を歩む。秋田では「陸羽132号」(冷害に強い稲の品種)に取り組み、「水稲農林1号」の
基礎を研究した。生真面目な性格で周りから変人扱いされるが、黙々と取り組んだ。
上司の勧めで始めた「謡」の魅力に取りつかれ,のちに妻となるイトと出会うことになる。
祝言は故郷城端で盛大に行われた。謡は終生、権次郎の趣味となった。イトは箏、権次郎は
尺八で合奏した。
大正15年、小麦の育種にかわり岩手に転勤を命じられる。国は、戦時体制に入り小麦の増産を
国家の課題と位置づけたのだ。小麦の育種は順調に進み、昭和10年には「小麦農林10号」を
成功させた。
イトをこよなく愛したが、ついに子宝に恵まれず、イトの末の弟を養子に迎えることになる。
昭和13年中国(北京)の農事試験場へ異動。昭和20年敗戦を迎えたが、2年間留め置かれ、
イトは敗戦後の混乱の中で、精神を病むことになった。
昭和22年10月帰国。権次郎は育種の仕事に戻れず、イトと共に金沢、そして定年後は故郷
城端で暮らす。地元の農家のために「圃場整備」に取り組み、イトとの穏やかな日々が続いた。
昭和48年、イトを野焼きで送ると、「中国で終戦を迎えましたが、日本への帰還は許されず、
イトにつらい思いをさせてしまったことが、今も悔やまれてなりません」と後悔の念を明かす。
小麦農林10号を基に、世界の食糧危機を救い、ノーベル平和賞を受賞したボーローグ博士と
対面、権次郎の業績が報われる。
[キャスト&スタッフ]
稲塚権次郎/仲代達矢(晩年) 松崎謙二(青年時代)
妻 イト/野村真美 母 こう/藤田弓子 親友 羽田/益岡 徹
脚本・監督/稲塚秀孝 プロデューサー/吉川愛美
映像総監督/中堀正夫 撮影監督/三浦貴広
[公開予定]
富山県内先行上映 2015年5月9日(土)~
全国公開 2015年9月末~10月上旬
貧しい農家に生まれ、地道な研究を重ね、世界の人々を救う小麦の基を作った日本人。
こんな日本人が居たことを、世界の人々にも知ってもらいたい。
英語版の製作と、海外プロモーションに是非、お力をお貸しください。
撮影はすでに90%終了しており、今秋の上映も内定しています。
映画の前売券・プログラム・特別編集DVDのプレゼント、
公式HP・プログラム・特別編集DVD・本編へのお名前の掲載は
問題なくご提供できる見込みです。
試写会は、4月上旬東京都内を予定しています。
※特別編集DVDのお届けは、他の特典とは別に7月下旬の予定です。
※お名前の掲載を希望されない方、別名での掲載を希望される方は、
その旨お申し出いただければ、対応させていただきます。
英語版の製作は、皆さんのご協力に依る所が大きく、
実現の可否は、皆さんと どう力を合わせていけるかに懸かっています。
英語版が製作できれば、海外の映画祭への参加を実現したいと思います。
まず、最後までお読みいただきましたことに、感謝いたします。
育種家 稲塚権次郎は、貧しい農家に生まれ、同じ境遇の人々を少しでも助けたいと、
美味しくて収量の高い米と小麦を求め、一生を捧げました。
妻を愛し、故郷を愛した一人の人間の姿を追った作品です。
この作品が、日本を飛び出し、世界に羽ばたけるよう、ご支援をお願いいたします。
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