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ドキュメンタリー映画「水と砂糖とパイワン族とー南台湾 鳥居信平の事績を訪ねて」をクラウドファンディングで実現!
台湾の日本統治時代、屏東県の山奥に製糖会社によって二つの地下ダムが築かれた。今なお、人々に水の恩恵を与え続けるこの地下ダム。その建設には大勢の台湾原住民族が雇用され活躍した。地下ダム誕生の秘話に迫るドキュメンタリー映画。
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「人と人、国と国を繋ぐ」をテーマにした映画作品と縁があり、私もいつか自分でそのような映画を作りたいという夢を抱いてきました。劇映画、アニメ映画の製作会社の勤務を経て、10年前から企画、脚本、撮影、編集、ディレクションを独りでこなす個人プロダクションとして活動してきました。アニメ製作会社時代に日本統治時代の台湾が舞台の映画製作に携わったことが切っ掛けで、台湾との縁が生まれ、今回のドキュメンタリー映画を製作する流れが生まれました。日本と台湾の親善交流に新たな話題を提供できたら幸いです。
台湾の日本統治時代、屏東県の山奥に製糖会社によって二つの地下ダムが築かれた。今なお、人々に水の恩恵を与え続けるこの地下ダム。その建設には大勢の台湾原住民族が雇用され活躍した。地下ダム誕生の秘話に迫るドキュメンタリー映画。
台湾の日本統治時代、台南に広大な烏山頭ダムを築いた日本人土木技師八田與一のことは、日本時代の台湾を語る上でのシンボリックな人物として、あらゆるメディアに取り上げられ、知られるようになったと思います。
明治、大正、昭和にかけて、本土から台湾へ、大勢の技術者が大きな夢と卓越した技術力を携えて渡りました。八田と同じ時代、製糖会社に引き抜かれ農業土木技師として台湾へ渡ったのが、このドキュメンタリーの主人公、鳥居信平です。平野久美子著『水の奇跡を呼んだ男』で初めて鳥居信平のことが広く紹介されました。このドキュメンタリー映画製作はこのノンフィクション本との出会いから始まりました。
鳥居信平を紹介した『水の奇跡を呼んだ男』の著者、平野久美子氏
本でも紹介されていました台湾で著名な実業家、許文龍さんが作られた鳥居信平の胸像が、現在南台湾に7体あります。屏東県政府や地元の方々などの呼びかけで、鳥居信平所縁の地に次々と設置されていったそうです。八田與一しかり、かつて優秀な日本人技師が成し遂げた事業が、今の日台交流に良い影響を与えていることは、日本人として彼らのことをとても誇らしく思います。そして何より、日本時代の遺産を台湾の方々がとても大切にしてくれていることは、もっと多くの日本人に知ってもらいたいです。
屏東県の森林公園内に設置された鳥居信平の胸像(作者 許文龍)
この映画では鳥居信平という人物を紹介する中で、鳥居と深い関わりのある日本時代に盛んだった台湾の製糖産業のことや、台湾原住民族パイワン族のことも合わせて伝えたいと考えております。
製作に先立ち、色々と調べていくうちに、動画配信サイトでパイワン族の子供たちの歌を見つけました。この動画との出会いは、この映画を作るべきだと確信した大きな要因になっています。素朴でありながら、悠久の時を感じさせるメロディと、心の琴線に触れるハーモニーには、近代的な台湾の背景に鳴り響く、ネイティブ台湾本来の鼓動を感じました。
この台湾原住民族パイワン族の子供たちの歌と、鳥居信平がパイワン族と共に力を合わせて築いた2つの地下ダムが、時を超えて私の中で結びついたこと、それは映画を作ろうという思いをさらに強固にし、このドキュメンタリー映画製作プロジェクトを立ち上げるに至りました。
まず「水」について。これは農業土木技師、鳥居信平の水利技術を指しています。
鳥居は台湾へ渡る以前、台湾南部の乾燥期は人畜の飲料水を確保することすら厳しいほど水不足が深刻でした。当時まだインフラ整備の行き届いていない南部の地での近代農業は、夢のまた夢でした。鳥居信平にはこの広大な不毛の地にサトウキビ農業を開くという難解なミッションが与えられたのです。いかに農地へ水を引くか、この「水」物語が映画の大きな縦軸になります。
下の写真は鳥居信平の事績を30年に渡って研究している屏東科技大学教授 丁澈士氏
次に「砂糖」ですが、これは日本時代の台湾において、産業の柱であった製糖産業についてです。
現在、我が国の製糖会社の沿革をたどれば、台湾に行き着く会社がいくつかあるかと思います。サトウキビ糖の源流は台湾にある、といっても過言ではないほど、数多くの製糖会社が日本時代の台湾に創業しました。
鳥居は当時東洋一の生産高を誇った台湾製糖株式会社に農業土木技師として勤めていました。 鳥居信平が活躍した時代の台湾を語る上で「砂糖」事業は非常に重要な視点だと考えます。
下の写真は、高雄の橋仔頭にある台湾糖業博物館。
下の写真は、日本時代の大日本製糖会社に勤務した方々。(上 程孔昭氏 下 楊東海氏)
3番目の「パイワン族」は、現在、台湾に16種確認されている台湾原住民族の中で2番目に人口の多い、南台湾に生活圏を持つパイワン族のことです。
鳥居信平が陣頭指揮を摂った2つの地下ダム及び灌漑施設の建設、そして2つのサトウキビ農場開墾には、大勢のパイワン族の若者が雇用され、工事完成に貢献しました。彼らの子孫の方々は今なお、地下ダム付近で水の恩恵を受けて暮らしています。先祖から伝え聞いていることを取材します。
下の写真は力里渓水圳ダム付近の春日郷集落でパイワン族の郭東雄氏を取材した時のもの。
この映画が目指すべきところとして、タイトルの「水」と「砂糖」と「パイワン族」を鳥居信平の事績を語る中で有機的に結びつける試みを考えております。
鳥居信平の郷里、袋井市からご後援いただいております。
企画・製作はIKEDAproduction。
IKEDAproductionは2011年に横浜のインド商人の歴史を紐解くドキュメンタリーDVD「横浜のインドの灯」を製作した、池田圭佑が代表の映像製作チームです。この作品は評価され、当時の駐日インド全権大使アロックプラサード閣下より、感謝状を賜りました。本格的な劇場用映画製作は今回が初めてです。
撮影は松竹系の映画作品でカメラスタッフの経験を持つ、合同会社モンドさんが、プロフェッショナルな撮影技術を提供してくれています。
総制作費800万円
このドキュメンタリー映画製作は、昨年の4月に立ち上がり、10月、今年1月と、すでに2回の台湾ロケを実施しています。今回の募集で集まったお金は、残りの国内ロケ費とその後のポスプロ費に当てさせていただきます。
<募集金額390万円の内訳>
国内ロケでは、鳥居信平の郷里である袋井市内や、渡台前に勤務していた徳島県でのロケ撮影を考えております。信平のことを伝え聞いている鳥居信平の孫であり東京大学教授、鳥居徹氏のインタビューもこれからになります。
今後3回目の台湾ロケを実行できるのか、まだ先の見通しが立っていません。ですので、このクラウドファンディングはあくまで国内ロケ費用の募集としています。3回目の台湾ロケが実現した暁には、パイワン族の集落での合宿撮影を考えております。現在のパイワン族の方々は、Tシャツ姿でスマホを片手にネットショッピングをやるなど、生活スタイルは私たちと何ら変わりありません。しかしその背景に映り込む彼らが守り継いできた伝統様式や、独自の生活習慣をカメラに収めたいと考えております。時代の変遷により変化を余儀なくしてきたパイワン族の方々の思いをコメントとして引き出せたらと思っております。そして、台湾原住民族の伝統衣装や、彼らが歌うフォークロアソングは、ネイティブ台湾の美しさを再認識させることでしょう。
★ご支援いただきました全ての方を対象に映画のエンティングロールにお名前お載せします。
(画像はイメージです)
★完成披露試写会へのご招待致します。
開催日時、場所は決まり次第当サイトやHP、ツイッターなどで発表いたします。
★本映画の原作にあたる「水の奇跡を呼んだ男」の文庫を1冊御贈りします。
2008年に販売された平野久美子著『水の奇跡を呼んだ男』が、ご好評につき、この度2020年『台湾に水の奇跡を呼んだ男 鳥居信平』というタイトルで、産経NF文庫より文庫化されました。
★このプロジェクトで制作した映画のDVDを1枚プレゼント (写真はイメージです)
映画完成後、劇場及びホールなどの上映を終えた段階でDVDを制作致します。
2020年は世界的にも歴史に残るほど大変な年でした。早期に入国制限をかけた台湾は、国民をウィルスから守ったことで称賛に値しますが、その影響は大きく、台湾人気にあやかる日本の旅行業社や、台湾をビジネス拠点とする様々な企業が、苦渋の選択を迫られたことと思います。当映画製作もそれに漏れることなく新型コロナウィルスの影響を受け、台湾ロケ撮影を進めることができず、足止めをくらっている状態です。
2021年中に完成させることは、私たちにとってもチャレンジであります。皆様に楽しんでいただける作品になるよう、関係者一同ブレーンストーミングを交えながら、一歩一歩着実に製作を進めていく所存です。
最後まで、読んできださりありがとうございます。
映画の趣旨にご賛同いただき、ぜひご支援賜われたらと、お願い申し上げます。
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