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「大琉球写真絵巻4」展示会をクラウドファンディングで実現!

生きろ!撮れ!石川真生! 沖縄の写真家 石川真生のがん治療費と「大琉球写真絵巻1〜4」展示会開催費用を募るプロジェクトです

沖縄に生まれ、沖縄にこだわり、沖縄を撮り続けている写真家 石川真生。彼女の身体は現在ステージ4の癌に侵されている。そんな彼女が現在取り組む「大琉球写真絵巻シリーズ・パート1~4」の展示会開催と癌の治療費の支援をお願いするプロジェクトです。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額2,500,000円を達成し、2017年8月31日23:59に終了しました。

コレクター
255
現在までに集まった金額
2,525,000
残り日数
0

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額2,500,000円を達成し、2017年8月31日23:59に終了しました。

Presenter
大琉球写真絵巻実行委員 プロフィールを表示

プロジェクトをブログやサイトで紹介

テキストエリアのコードをあなたのブログやサイトのHTMLに張り付けると、右にあるようなプロジェクトウィジェットが表示されます。

私たちは沖縄の写真家 石川真生を応援するプロジェクトチームです。 ライター、大学教授、飲食店経営、主婦、会社員、会社経営者など多岐にわたるメンバーで構成されており、みんなの共通点はただ一つ 「石川真生が大好き」なこと。 そんな大好きな彼女にステージ4の癌が見つかったのは今年早々のこと。奇しくも秋に開催予定の展示会に向けて撮影を始めた頃でした。 私たちは石川真生の展示会開催とがんの治療費を準備するために、クラウドファンディングで寄付を募ることになりました。 どうぞよろしくお願いします。

  • 沖縄県
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このプロジェクトについて

沖縄に生まれ、沖縄にこだわり、沖縄を撮り続けている写真家 石川真生。彼女の身体は現在ステージ4の癌に侵されている。そんな彼女が現在取り組む「大琉球写真絵巻シリーズ・パート1~4」の展示会開催と癌の治療費の支援をお願いするプロジェクトです。

■ 生きろ!撮れ!石川真生!!
  クラウドファンド立ち上げの経緯     

 写真家・石川真生さん(以下・真生さん)の紹介と『大琉球写真絵巻』についての解説をお届けする前に、本サイト立ち上げの趣旨をご説明します。

 2017年3月、真生さんの生き方や表現に共感する16名の有志(美術館キュレーター、大学教授、新聞社員、テレビ局員、写真家、批評家、フリーライター、主婦、サラリーマン、会社経営者ら。大半は沖縄県内在住者)によって、このプロジェクトの実行委員会が結成されました。


実行委員メンバー

このプロジェクトには、二つの大きな目的があります。

① 石川真生さん自身が納得のいく治療をしっかりと受けてもらうための「がん治療費」支援基金。② 石川真生写真展「大琉球写真絵巻パート1~4」(平成29年 9月5日~10日、那覇市民ギャラリーにて)を成功させるための「作品制作費・展示会開催費」支援基金。

◆Why
Before we introduce photographer Mao Ishikawa and her “Great Ryukyu Photo Scroll”, we’d like to explain why we started this crowd fund.

In March 2017, sixteen of us who are enamored with Mao’s life and art volunteered to set up this project committee. Among us are art museum directors, university professors, journalists, television station workers, photographers, art critics, writers, housewives, white collar workers, and business owners, the majority Okinawa residents.

This project has two main goals:

1. To raise funds for cancer treatment that Mao Ishikawa agrees to and is comfortable with.

2. To raise funds to ensure the completion and exhibition of Mao Ishikawa’s next photo exhibition “Great Ryukyu Photo Scroll” (planned from September 5 – 10, 2017 at Naha City Gallery)

■ ステージ4のがん発見

 去る2月の検診の結果、真生さんの胸部肋骨付近に「ステージ4」のがんが発見され、間もなく本人が周囲にその事実を明かしたことがこの会結成のきっかけでした。

 ちょうど真生さんは、重要なライフワークの一つ『大琉球写真絵巻』の「パート4」の撮影を順調に進めている最中であり、ニューヨークでの写真集『赤花 アカバナー 沖縄の女』出版記念パーティや写真展のために、3月末からおよそ2週間渡米を計画していましたが、そのようなタイミングでの衝撃的な「がん告知」でした。

 ある医師からはこう言われたそうです。

 「渡米をやめてすぐに手術したほうがよい。今手術をすれば、わたしはあなたの命を救えます」


NYでの展示会 2017年4月


 実行委員会の内部でも様々な意見が錯綜しましたが、真生さん本人の意志は明確でした。

 「今撮影している大琉球写真絵巻パート4の撮影を治療よりも優先して、パート1からパート4まですべて見せる写真展を今年の秋には必ず開催したい。世界の人に認めてもらう貴重な機会も大切にしたいのでアメリカへも行く。だから、手術はそれらの後にする。手術は受けるが、(副作用の強い)抗がん剤や放射線の治療は受けない。治療の方針も、わたし自身が決めます」

 真生さんは最近、新しい主治医A氏と出会いました。
 幸いにもA医師は、2016年9月の「石川真生写真展・大琉球写真絵巻パート1~3」を実際に観ている人で、真生さんの写真に懸ける思いとその仕事の価値と今現在の時間のかけがえのなさを十二分にわかってくれる人でした。医師としての考えを真生さんに押し付けるようなことはしませんでした。

 そのような医師と患者の話し合いの結果、手術は撮影と写真展の目途が立ってから行う、という線で落ち着きました。

 またその後、世界最大の写真市「パリ・フォト」(2017年11月)への出展と渡仏が決定した真生さんは、改めて医師との話し合いを持ち、手術の時期を7月初旬に早めることを決定しました。このクラウド・ファンディング・サイトを開設した現時点で、すでに真生さんは入院中です。

 真生さんにとって、がん手術は、じつは2000年9月の腎臓がん手術、2001年10月の直腸がん手術に続いて三度目のことです。


入院中の様子 2017年6月

 しかし今回は、がん細胞を切除する際に肋骨の一部と筋肉まで切り取る必要があり、除去した骨と筋肉は自身の体の別の場所からの移植で補うことになるようです。外科医から形成外科医へのバトンタッチが必要な大がかりな手術となります。術後の入院は1ヵ月の予定です。

真生さんには、しっかり治療してもらい長生きしてもらわなければ困る。もっともっと写真を撮り続けてもらわないと困る。

 わたしたち実行委員がこのプロジェクトのために結集したおもいは、これに尽きます。

 沖縄が世界に誇るべき稀有な才能であると同時に、その波瀾万丈・自由奔放な生き方も含めてファンの多い真生さんですが、常々こう言い切っています。


琉球新報社提供

「男はとっかえひっかえして生きてきたけど、仕事だけは浮気しなかった。わたしから写真を取ったら何も残らない」

   真生さんにとって、生きることは撮ること。撮ることは生きること。
   ならば生きてもらいましょう。撮り続けてもらいましょう。
   わたしたちは心底そう思い、行動を起こしたのです。

 先に述べた2つの目的達成のために、これから8月末日まで、賛同者の皆さんとともに頑張ってまいります。

 ぜひ当プロジェクトの目標額達成まで、ご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

2017年6月吉日
「生きろ!撮れ!石川真生!」プロジェクト実行委員一同

Stage 4 Cancer Diagnosis

In February, Mao was diagnosed with stage 4 cancer near her ribs. She soon made her diagnosis public and we decided to form this committee.

Mao was in the middle of shooting Part 4 of her life’s work, “Great Ryukyu Photo Scroll”. Her shocking announcement came right before a planned two week trip to America at the end of March to attend a showing and party in New York for her photo collection “Akabana”.

Her doctor said:

“You should cancel the trip and have surgery immediately. If we operate now I can save your life.”

Although those of us in the project committee were divided, Mao’s stance was clear.

“I prioritize completing Part 4 over treatment. I want to be able to show Part 1 through Part 4 by autumn of this year. I want to go to America because this is a precious opportunity to have the world recognize my work. So, I want to do surgery afterwards. I will do the surgery, but I will not take debilitating drugs or undergo chemotherapy. I will choose my treatment myself.

Recently, Mao met her new doctor.

He had seen her September 2016 exhibit of “Great Ryukyu Photo Scroll Parts 1 through 3” in person and was understanding of her commitment to photography, the value of her work, and why she needed to do it now.

After discussion, they agreed to plan for surgery only after the completion of shooting and exhibition.

Later, when her exhibition at “Paris Photo” in November was confirmed and she had decided to go to France, they discussed again and decided to schedule the surgery for the beginning of July instead. Right now, as this crowd funding site is being set up, Mao is already in the hospital.

For Mao, this is actually her third cancer surgery following kidney cancer surgery in September 2000 and rectum cancer surgery in October 2010.

Now, though, the cancer has metastasized to her rib bones and her surgery must also remove bone and muscle. What is removed will be supported by bone and muscle from other parts of her body. This will be a complicated surgery that will require from surgeons with different areas of expertise. Her post-surgery hospitalization is expected to be at least a month.

We need Mao to get treatment and live a long life. We need her to take many more photographs.

All of in this project committee agree with this. That is why we started this committee.

She is an Okinawan treasure that we must show to the world; her turbulent and uninhibited lifestyle has won her many fans. She often says:

“I’ve changed men often but I’ve never cheated on my job. If you take photography away from me I will have nothing left.”

For Mao, to live is to shoot and to shoot is to live.

So, let her live. Let her shoot.

This is why we took action.

From here to the end of August, with your support, we will try to meet our two goals.

■ 石川真生って、いったい何者!?

 石川真生は、1953年沖縄県大宜味村生まれ。沖縄を代表する写真家の一人である。 さる6月20日、NHK・Eテレ「ハートネットTV」において、石川真生密着ドキュメンタリー番組「ウチナーを撮る」が全国放送されたので、知名度はさらに上昇しているはずだ。

ハートネットTV ウェブサイトより
ウチナーを撮る 写真家 石川真生

 多感な高校2年生のときに、米軍統治下の軍への反発から起きたコザ暴動(70年)に遭遇。翌年には、沖縄の多くの人が望んだ「核も基地もない平和な島」の理想とは程遠い日米返還協定に対する抗議の県民運動の、その渦中に身を置いた。

 このときに目撃した重大な「事件」に関しては、石川自身が自著『沖縄ソウル』(2002年)で目撃・体験談を生々しく綴っている。那覇市与儀公園を出発したデモ隊が泊交差点へ差し掛かったころ、デモ隊の一員の投げた火炎瓶によって機動隊員が焼死する事件に遭遇したのだ。

 琉球新報社提供

〈私はデモ隊の中にいたんだけど、気がついたら眼の前で一人の琉球警察機動隊員がピクピクと体を痙攣させながら横たわっているのが見えたんだ。体からはプスプスと火山の噴煙のように煙があがっていて、この人は殺されたんだってすぐにわかったよ〉

 一瞬の間があって、やがて機動隊がデモ隊に襲い掛かってきた。石川は怖くなり逃げた。吐きながら泣きながら逃げた。

〈私は運動家になれないと思ったし、人とつるむのは嫌だとも思った。でも一方で、この「燃える島・沖縄」を、何かで表現したいと心から思った。そして私が出した結論が、写真という表現手段だった〉

 翌72年のいわゆる「祖国復帰」時、19歳。20歳のときには、東京のWORKSHOP写真学校・東松照明教室で本格的に写真を学び、その年の内に写真を雑誌に発表し始める。

 22歳から24歳までコザや金武の黒人兵向けのバーで働き、同じ街で生きる女性や米兵の日常を撮り続ける。彼女の恋愛相手もまた黒人兵だった。

 殊に女性たちの何ものにも縛られない自由奔放な生命力にあふれる姿は、見る者を虜にする不思議な力を有している。

 当時の写真を収めた処女作『熱き日々inキャンプ・ハンセン』(1982年)はすでに絶版になっているが、これが全く新しい編集で生まれ変わり、2017年に、ニューヨークの出版社から刊行された。『赤花 アカバナー 沖縄の女』である。この写真集は早速イギリス国立図書館の蔵書にも選ばれた。ここに来て、石川真生の写真に対する世界的な評価はようやく高まり、国内外に新たな読者・コレクターを獲得しつつあるのである。

 

◆Who is Mao Ishikawa?

Mao Ishikawa was born in Ogimi village, Okinawa, in 1953. She is one of the most prominent Okinawan photographers. On June 20, NHK (Japan Public Broadcasting Co.) Educational aired a 30-min. documentary featuring her photo project and battle against cancer.

When she was in high school she experienced the 1970 Koza riot, a demonstration against US military rule over Okinawa. In 1971, she took part in demonstrations to oppose the Okinawa Reversion Treaty, which would keep US military bases present in Okinawa.

She witnessed the horrendous scene of a policeman burned to death by a Molotov cocktail thrown by a demonstrator.

“I was among many demonstrators, and I realized there was a riot police member on the ground. His body was convulsing and smoking. I immediately understood that he was killed.”

Riot police chased the demonstrators. Mao ran away, scared and crying.

“I realized that I could not be an activist, and did not want to be in a political group. At the same time, from the bottom of my heart, I wanted to express this “Burning Island, Okinawa”. The conclusion I reached was photography.”

In 1973, a year after the Okinawa Reversion Mao participated in “Workshop Photography School: Shomei Tomatsu class” in Tokyo and learned the basics of photography. Her first publication was that year. She was twenty.

She worked at bars for black soldiers in the towns of Koza and Kin, and took photos of the women working in the towns. She herself fell in love with a black soldier.

Her works from those years, featuring free-wheeling women living a powerful, free-spirited life, continue to attract followers today.

Her first photo book, “Atsuki Hibi in Kyampu Hansen (Hot Days in Camp Hansen)”, 1982, is now out of print. But its pieces are compiled in a new English version published this year: “Red Flower, The Women of Okinawa”, Sessions Press, 2017. This book is now in the collection of the British Library. Mao’s photography work has been recognized by the world and is gaining new admirers.

■ 石川真生の撮影スタイル

 そんなタイミングでの、3度目のがんとの闘い――。

 石川は今も沖縄に暮らし続け、沖縄にこだわり、沖縄の人びとを撮り続けている。

 これまで44年間の被写体は多岐にわたる。黒人バーで働く女たち、あるいはそこで知り合いフィラデルフィアまで訪ねて再会した黒人の友人とその家族、金武の街で知り合ったフィリピーナたち、沖縄芝居の役者たち、港町に生きる男たち、米兵や自衛官、新基地建設反対運動に立ち上がった住民たち、幻想的なイメージの世界の中の人物を自らが演じるアーティスト、歴史上のシーンを演じる友人・知人…、じつに多種多様だ。

 被写体が様々に移り変わるなかで、しかし、決して変わらぬ石川の姿勢がある。

 すべてが沖縄にかかわっていること。そして、撮る側と撮られる側が、同じ地平に立っているということ。遠い距離を置くでもなく、高みから見下ろすわけでもなく、同時代の同じ空気を呼吸してあくせく生きている者同士の「共感」を自然に生み出しながら、石川はその人の飾り気のない生身の部分に迫る。

 その作品群を大別すれば、初期の作品はドキュメンタリーの要素が色濃い。20年ぐらい前の辺野古新基地建設の反対運動に立ち上がった住民を捉える作品までは特にそのように見える。


琉球新報社提供

 逆に近年は、モデルを務める人物(ほとんどが友人知人)に明確な意図をもってあるシーンを演じてもらい、それを作品として切り取るという「メイク・フォト傾向」の強い作品も目立つようになる。2014年から発表している『大琉球写真絵巻』シリーズでは、歴史的事実や時事問題を題材にしつつ創作した、誇り高きウチナーンチュ(沖縄人)の魂を表す作品や辛辣な作品もあれば、深刻な問題に風刺を効かせて、コミカルに仕立て上げた作品も多々含まれる。

 それでもなお、石川真生の姿勢は一貫してブレることはない。


琉球新報社提供

 例えば20年前、新基地建設反対運動の現場に身を投じた石川を周囲がどう見ていたか。

 ややもすると、沖縄びいきのヤマトの取材者は、日米政府の新たな基地負担の押し付けに憤るあまり、反対運動の最前線ばかりを一生懸命取材しがちだ。

 しかし石川は違った。自身の信条がどうあれ、新基地建設容認派・推進派と呼ばれるような人びとにもフェアな姿勢で向き合い、信頼されていた。例えば「おう、真生か、入れ入れ」といって玄関から招き入れる推進派の土建屋の社長の姿が目撃されることもしばしばあった。

 どんな被写体に対しても、人と人として、飾り気のないありのままの姿で向き合う。その姿勢は、一貫して今も変わらない。

 石川が被写体の前に立つとき、余計なバリアは取り払われている。同じ時代の同じ空気を吸って生きている者同士の信頼関係が構築されている。若き日にコザや金武の街で付き合った、米兵相手のバーで働く女たちとの間に垣根など存在しなかったように…。


TED Ryukyu at OIST 2013年11月

 石川が、自由奔放に恋愛し、妊娠・中絶・家出・結婚・幼子の死・離婚…様々な修羅場を経験し、波瀾万丈な人生の時を過ごしながらも、魂の根底に大切に置き続けてきたものはなんだろう。 それは、自己の尊厳を守り抜くのと同じぐらいの強さで他者の痛みを感受しようとするその力ではないだろうか。

 だから、石川真生が撮る作品には、テーマにかかわらず、人の尊厳が、愛が、誇りが写しこまれている。

 そして今、精力的に取り組んでいるのが『大琉球写真絵巻』である。


◆Mao Ishikawa’s Style

Mao lives and shoots in Okinawa. Her subjects are Okinawan people.

Her past works include a variety of subjects, such as bar hostesses in establishments serving black soldiers, a family she visited in Philadelphia, Philippine dancers in Kin Town, actors of Okinawan theater companies, residents who protesting new US military base construction, an artist in fantasy images, and historical reconstructions performed by her friends.

While the subjects have changed, her attitude toward photography has been constant.

She only shoots Okinawan subjects, and she shoots from the same ground as her subjects- not from a distant, higher view point, but as a contemporary who shares the moment. She looks into the naked core of her subjects.

Until about twenty years ago, her photos were mostly documentary.

Since then, her interests have shifted to staged projects, asking models to pose for certain scenes and then shooting. This “staged photography” has become her main project, especially after the Great Ryukyu Photo Scroll Part 1 in 2014.

Even today, her basic philosophy is the same. She faces any person on equal ground and with an open mind, encouraging the models to express their true selves by showing hers. That has been constant in her photography.

Despite all the turmoil in her personal life, she has maintained her dignity and empathy. That is why her works express people’s dignity, love and pride, no matter what she is shooting.

■ 大琉球写真絵巻って、何?

 写真家・石川真生が2014年の「パート1」発表以来、毎年新作が追加されているシリーズ「大琉球写真絵巻」。

 今年9月5日から10日まで那覇市民ギャラリーで開催される写真展では、パート1から最新作のパート4まで、合計90点、全長約120メートルの壮大な写真絵巻(写真用の布にプリント)を一挙に公開する予定だ。

 このシリーズは、琉球王国時代の平和な風景から始まり、薩摩の侵略、琉球処分、地獄絵図としか言えないような凄惨極まりない「沖縄戦」、さらに戦後27年間に及ぶ米軍統治と「祖国復帰」を経て、過重な米軍基地負担にあえぎ続ける今日の状況に至るまで、沖縄の歴史の数多の場面を、石川自身の解釈によって再現した作品群。最近作では、現代の沖縄に生きる人びとのありのままの姿を日常の印象的な風景の中で撮影した作品も目立つ。


琉球新報社提供

 このシリーズの原点は、1990年に刊行した『大琉球写真帖』だとされている。実際に、石川はこう語っている。

「ある日突然パッとひらめいたところからして一緒。わたしを入れて10名の『大琉球写真帖』編集委員の人たちにもノーギャラで働いてくれることを了承してもらったし、琉球新報や沖縄タイムスがキャンペーン記事を書いてくれたり、全国メディアも含めたマスコミや、たくさんの協力者がいてくれたおかげで実現できた」

「大琉球写真帖」編集の動機の根底には「沖縄戦」がある。

 つまり、先の沖縄戦の激しい艦砲射撃や凄惨な地上戦で、多くの家庭の写真アルバムは失われてしまった。だからこそ各家庭に残された貴重な写真を集めることによって、自分たち「琉球人・沖縄人」の生きた証を示したい。これが発刊のきっかけだ。

 一方「大琉球写真絵巻」の根底にも、「沖縄戦」は大きなテーマとして横たわっている。

 そして、どちらの仕事にも、沖縄の歴史を長い目でとらえた上で現代の課題と向き合おうとする、沖縄に生きる写真家・石川真生自身の真骨頂が表れている。

 では、2013年から撮影を開始し、14年から発表している「大琉球写真絵巻」シリーズの、直接的な動機は何だったのだろうか。

 石川は、こう説明する。

「第2次安倍政権が、沖縄の普天間基地にオスプレイを強行配備したのが2012年。あれがきっかけだった。沖縄県民の意思を無視してやりたい放題の政権に対して、わたしの心が奮い立ったのよ」


 石川は、「大琉球写真絵巻(パート1)」写真展(2014年)に寄せた作家のステートメントに、こう記した。

〈安倍政権になってから日本政府は世界に誇る平和憲法を無視し、武器の輸出や製造、核の輸出、米国の戦争に加担する集団的自衛権など、次々に国民を無視して日本の国を戦争ができる道へと突っ走り始めている。

現在、沖縄では県民の反対を押し切って新たに米軍の飛行場を日本政府が建設しようと工事を連日強行している。国土の0.6%でしかない小さな島沖縄に、在日米軍専用基地の実に74%(実行委員会事務局注※広大な北部訓練場の約半分が返還された今もなお70%)が集中し、県民は米軍の起こす事件事故に長年苦しんできた。

米軍基地の縮小、撤去を望む県民の声を無視して強硬な手段に出る日本政府のやり方は、沖縄をまるで植民地扱いしているとしか思えない。

そもそも沖縄は1609年に日本に支配されるまで琉球国という独立国家だった。1879年に日本政府により占領、琉球国を廃止され、強制的に日本国沖縄県とさせられた歴史を持つ。

以来、琉球語を話すことを禁じられ、日本人への同化政策を教育されてきた。あらゆる場面で日本政府による沖縄への差部的政策は現在まで続いている。

現在の沖縄を知るためには、1609年に日本が琉球国を支配した頃から見ないとだめだ。歴史上本当にあった出来事を忠実に再現するのではなく、私なりに解釈した場面に作りあげた。

日本政府に対して恐怖と怒りを覚えた私に共感した友人知人が出演してくれ、私の指示通りに演じてくれた。多くの人の協力でできたシリーズである。沖縄の基地から出撃して外国で米軍が人を殺す手助けをもうこれ以上、私はやりたくない。そんな思いを込めた〉

 さる5月末の時点で「パート4」23作品の撮影が終了し、プリント制作に出されている。石川は「入院中に写真絵巻のキャプション作成に頑張ります」と意欲的だ。

 今年9月に初公開される「パート4」の一部を紹介しよう。


大琉球写真絵巻4 作品より

 石川によれば、「パート4」においては、「創作写真」と「友人知人の素の写真」が半々であり、創作の部分も、終戦直後のシーンは2点のみで、ほとんどは現代のリアルタイムの題材を扱ったものだという。と追いつめられ、「怒りと悲しみ」を表出せざるを得ないような事態が、わたしたちの眼前に厳然とある。

 このシリーズの出演者(被写体)は、沖縄で暮らす市井の人びとである。ほとんどが石川の友人・知人。

 石川が言う。

「出演者の条件は、安倍政権や米軍に対して怒っているわたしの思いに賛同してくれる人。しかもノーギャラで出演してくれる人じゃなきゃ駄目。お礼にランチぐらいはご馳走するけどね(笑)」

 現在の沖縄が強いられている厳しい状況下でも、石川真生の表現には、どこか明るさが漂う。

 なぜだろう。

「石川真生って、いったい何者?」で触れたように、その作品群には常に、人の尊厳が、愛が、誇りが写しこまれており、そのことによって、人々に究極の希望を感じさせるからではないだろうか。

 言い換えれば、作品の持つ「普遍性」のなせる業。

 沖縄に生まれ、沖縄を愛し、沖縄を撮り続ける写真家・石川の作品群が、大きなパワーとエナジーをもって観る者に迫り問いかけているテーマのその本質は、じつは沖縄だけに限定されるべきものではない。石川は、この国に、いや、この世界に生きる者すべてが共有すべき価値と問題意識とを、いまわたしたちの眼前に広げて見せているのだ。

 過酷な歴史と現実の中で生きているわたしたちだけど、希望は捨てちゃいけないよ。
 一緒に歩いていこうよ。

石川真生の作品は、わたしたちにそう語りかけている。


琉球新報社提供

       * * *

 わたしたち実行委員会はクラウドファンディングの目標額を突破し、余剰金が生まれ、石川の作品がさらに広く多くの人の目に触れる、そんな機会を創出する力を得られるように努力したいと考えています。

 なぜなら、写真家が「大琉球写真絵巻」を発想したもう一つの「ひらめき」の動機を知っているからです。

「大きなプリントの作品を見てもらいたいと思ったのと同時に、くるくると巻き取ることができれば、持ち運びが簡単で写真展の機会が増えるかも、と思ったから」(石川真生)

 まずは今年9月5日~10日の那覇市民ギャラリーでの写真展成功に全力をあげます。

「生きろ!撮れ!石川真生!」プロジェクトへのご支援ご協力のほどを重ねてお願い申し上げます。

◆What is the Great Ryukyu Photo Scroll?

Mao Ishikawa has been working on this Great Ryukyu Photo Scroll series since 2014.

Since Part 1, she has completed one part a year.

Part 4 will be exhibited at the Naha Civic Gallery between September 5 and 10, along with Parts 1 – 3. In total, 90 photos on a 120 meter scroll in four parts will be shown. The images are printed on cloth, not paper.

This series depicts various scenes from Ryukyuan history, beginning with the peaceful sights of earlier times, through the Invasion by Satsuma, colonization by the Meiji Government, the horrendous suffering of the Battle of Okinawa, twenty-seven years of US military occupation, and Okinawa’s hardship despite the Reversion to Japan. She set up the scenes to show her interpretations of historic moments.

Recent pieces have shown more of the models’ actual selves in real life.

This series was inspired by the “The Great Ryukyu Photo Album”, which Mao edited and published in 1990. “The Great Ryukyu Photo Album” was a compilation of photos owned and offered by numerous Okinawan people. She organized a committee of photographers, journalists, editors, and asked the Okinawan people to let her use their photo prints.

During the Battle of Okinawa, most aspects of Okinawan civilian life were destroyed. Of course, most family photo albums were lost. The Great Ryukyu Photo Album project was an attempt to recover the lost memories of Okinawa people.

The Great Ryukyu Photo Scroll shares the same desire to revive and re-imagine history.

Mao Ishikawa intends it to face Okinawan history from a broad historical perspective.

She said, “The forceful deployment of US Marine Corps MV-22 Ospreys in September, 2012 triggered my passion. The Japanese government tried to crush Okinawa’s opposition to MV-22 with force.”

In the message accompanying Part 1 in 2014, she criticized the Abe administration’s attempt to amend the Japanese Constitution, and to force the construction of a new USMC base in Henoko, as a re-colonization of Okinawa.

She continued,”In order to understand today’s Okinawa, it is essential to go back to Ryukyuan history, to 1609 and the invasion and rule by Satsuma (now Japan). I staged these historical scenes to show my interpretation of Okinawa’s story, from the beginning until now.

Numerous friends who share my fear and anger toward the Government of Japan agreed to appear in the Scroll series. They acted according to my direction. I never want to see US soldiers deployed from Okinawa bases and going to foreign countries to kill people there. We do not want to help that. This is my motivation to do this series.”

Shooting for Part 4 was completed in May. They are now in the process of printing the photos on the scroll. She will write the captions during her hospital stay.

Here are some of the images from Part 4.

According to her, Part 4 is half staged photos and the other half a documentary of the models. Most of the pieces are of contemporary scenes.

“The models are not paid, of course. I could invite them for a lunch, at most. They share my anger toward PM Abe and the US military.”

Despite Okinawa’s difficult situation, her photos emit a certain kind of brightness. Maybe because she appeals to the sense of hope in our lives. That is the very reason why her work has a universal value.

We will help her recovery from cancer and the upcoming exhibition with this crowd fund project.

【石川真生 大琉球写真絵巻 Part1〜Part4 展示会のご案内】

期日:2017年 9月 5日(tue)〜  9月10日(sun)
時間:10時〜19時(最終日のみ16時まで)
 ★ 毎日14時から石川真生本人によるギャラリートークあり ★
場所:那覇市民ギャラリー 那覇市久茂地1-1-1 (パレットくもじ6階)
 ★ 入場無料 ★

◆The Great Ryukyu Photo Scroll Part 1-4 Exhibition

September 5-September10, 2017
10 AM-5 PM (4PM on Sep.10)

Naha Civic Gallery
1.1.1Kumoji, Naha

Admission Free

■ 寄付をいただいた方には寄付額に応じてお礼の品を送付させていただきます。

石川真生からお礼のメールの送付
 石川真生本人から心をこめたお礼のメールをお送りします。

★ 石川真生 オリジナルポストカード 5枚セット・10枚セット
 展示会会場で販売しているオリジナルのポストカード。内容の選定はお任せください。

★ 石川真生 オリジナル手ぬぐい
 今回のクラウドファンディングのために特別に作成しました。
    石川真生の似顔絵イラストが特徴です。

★ 石川真生 オリジナルトートバッグ
 今回のクラウドファンディングのために特別に作成しました。
 石川真生の似顔絵イラストが特徴で、A4サイズのファイルがすっぽり入るサイズ。キャンパス生地のしっかりした作り。
 

石川真生撮影写真(オリジナルプリント)予定
 過去の作品をサイン付きのオリジナルプリントでお渡しいたします。写真の選定やプリントの種類などは、こちらでご用意した中から選んでいただきます。内容等については準備次第アップいたします。

◆To the international collectors/contributors:

The Motion Gallery registration form does not accommodate
overseas application. Please fill the address window with a dummy
address to proceed the process, and send us your real address
via E-mail whose button is on the top page.

Due to the shipping costs and other difficulties, only "Collectors' Luck"
return items are available for overseas contributors. We cordially ask for your
understanding.

If you have any questions, please send us via E-mail. We can handle only English
correspondence.

【目標金額の内訳】

展示会開催費用 ・・・ 50万円
医療費     ・・・150万円〜
次回撮影活動費 ・・・ 余剰金

【想定されるリスクとチャレンジ】

 今回のクラウドファンディングでは「展示会開催」と「がん治療費の捻出」の二つを目的としています。
 「展示会開催」については日時と会場、作品制作費・開催経費もすでに確定しています。これだけであればクラウドファンディングで寄付を募る必要はなかったのですが、もう一つの目的である「がん治療費の捻出」に関しては現時点でその費用がどれだけかかるのか不明であり、また多額になると予想されることから、今回クラウドファンディングで皆さまのお力をお借りすることになりました。
 今回実行確約型でファンディングを行えるのは上記の理由からであり、余剰金が出た場合には写真家石川真生の次の作品制作の活動費に充てることをお約束いたします。

【実行委員メンバー紹介】


◆ 渡瀬夏彦 ◆ 埼玉生まれ。沖縄通い28年の後、移住12年目のノンフィクションライター。石川真生さんとの出会いは20年前の辺野古。新基地計画を巡って住民投票が行われる名護市の、どんな立場の人に対してもフェアな姿勢で向き合う真生さんの人柄と存在感に括目し、ファンとなり、今日に至る。当プロジェクト本文執筆担当する子分1。


◆ 佐藤学 ◆ 政治学研究者。地元大学教員。これまでの沖縄県内での大琉球写真絵巻展覧会全てで現場作業をした。石川真生さんとは、16年前の展覧会場で会ってからの主従関係。子分2。


◆ 喜友名逸郎 ◆ 会社員。友人に誘われ、2016年1月に大琉球写真絵巻パート1〜2を宜野湾市にて企画、運営したのが石川真生との出会い。彼女と作品の持つパワーに魅力を感じ、同年9月の名護展の開催にも参画。3人の子育てに奮闘しながら、本企画を運営する子分3。


◆ 友利真由美 ◆ 不動産会社経営。紙面で見た真生さんのコラムを読みファンになったのは15年前。生き方、考え方、仕事への姿勢など多大な影響を受ける。主に真生さんの財務面と月一のグルメランチを担当する子分4。

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  • 1000

    Thanks mail

    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 34人が応援しています。
  • 3000

    Good luck!

    • 石川真生 オリジナルポストカード5枚セット
    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 76人が応援しています。
  • 5000

    Sweet luck!

    • 石川真生 オリジナルポストカード10枚セット
    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 48人が応援しています。
  • 10000

    Lovely luck!

    • 石川真生 オリジナルポストカード10枚セット
    • 石川真生 特製手ぬぐい
    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 62人が応援しています。
  • 15000

    Gold luck!

    • 石川真生 オリジナルポストカード10枚セット
    • 石川真生 特製トートバッグ
    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 8人が応援しています。
  • 20000

    Platinum luck!

    • 石川真生 オリジナルポストカード10枚セット
    • 石川真生 特製手ぬぐい
    • 石川真生 特製トートバッグ
    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 26人が応援しています。
  • 残り1枚

    500000

    Collector luck!

    • 石川真生撮影写真(オリジナルプリント) 詳細については7月末ごろ発表いたします
    • 石川真生からお礼のメールの送付
    • 2017年09月 にお届け予定です。
    • 1人が応援しています。