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映画監督・原一男によるドキュメンタリー「水俣曼荼羅part2」の完成をクラウドファンディングで実現!
世界の巨匠ドキュメンタリー映画監督・原一男の新作『水俣曼荼羅part2』 撮影再開するも制作費がピンチ!
制作期間20年、上映時間372分。鬼才・原一男監督の傑作『水俣曼荼羅』続篇の制作にご支援を募るプロジェクト。
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インディペンデントのフィルムメイカー原一男が現在撮影中の『水俣曼荼羅part2』が観たい! 私たちは、50年以上、原一男の作品作りを手がけてきた疾走プロダクション小林プロデューサーを代表として、世界の巨匠・原一男作品を観たい!という思いでクラファンの立ち上げに集結したメンバーです。最初で最後のクラファンになるかも知れません。宜しくお願いします!
世界の巨匠ドキュメンタリー映画監督・原一男の新作『水俣曼荼羅part2』 撮影再開するも制作費がピンチ!
制作期間20年、上映時間372分。鬼才・原一男監督の傑作『水俣曼荼羅』続篇の制作にご支援を募るプロジェクト。
制作期間20年、上映時間372分。2021年に公開され、現在も各地で上映が続くドキュメンタリー界の巨匠・原一男監督による傑作『水俣曼荼羅』の続篇(part2)を制作しています。ぜひ、皆様に本作の制作についてご支援をお願いしたく、プロジェクトを企画しました。
2024年5月、水俣病の患者・被害者団体と伊藤信太郎元環境相の懇談会で、被害者側の発言の途中、マイクがオフにされる事件が起こりました。この「マイク切り事件」を受け伊藤元環境相は謝罪のため、7月8日水俣入り。胎児性水俣病患者を訪問する大臣を撮影するカメラマンのなかに、『水俣曼荼羅』の原一男監督の姿があったのです。
再懇談の会場でカメラを構える原一男監督。79歳の今も重いカメラと三脚を抱え撮影をこなす。
「マイク切り事件」以降、伊藤元環境相が当たった水俣病関連の資料には、『水俣曼荼羅』も含まれていました。ならば「伊藤元環境相は、私のインタビューに応じてくれるのではないか」そう期待していると、原監督は語っています。
水俣のタブーに果敢に切り込む、原監督の二度目の戦い『水俣曼荼羅part2』。その制作資金の支援をお願いしています。
2021年11月27日、コロナ禍の渋谷シアター・イメージフォーラム。そこから『水俣曼荼羅』の上映はスタートしました。
『水俣曼荼羅』は、『ゆきゆきて、神軍』ほかで知られる世界的ドキュメンタリスト・原一男が20年もの歳月をかけ作り上げた、372分の一大叙事詩です。
穏やかな不知火海に臨み、海の幸に恵まれた漁村だった水俣市は近代以降、化学工業会社・チッソの城下町として大きく発展しました。しかし引きかえに背負った〝死病″水俣病はいまなお、この地に大きな影を落としているのです。
世間ではそう思われているかも知れない。でもいまなお県や環境庁との和解を拒否して、裁判闘争を継続している人たちがいる。それならば「ドキュメンタリストとして、自分は水俣を記録しなければならない」そんな想いに駆られ原監督は、水俣という大きなテーマに挑むことになりました。
水俣曼荼羅予告編
水俣病に関するあらたな学説を打ち立てようとする熊大の浴野教授、原監督をいつでも歓迎し、‟おもしろい場所“に案内してくれる生駒さん、水俣病が公式確認されるきっかけとなった小児性患者の田中実子さん、天草出身の大作家・石牟礼道子さん――患者さんとその家族だけでなく、水俣に縁のあるさまざまな人たちの営みが交錯する。海の恵みをもたらす水俣湾を中心に、幾重もの人生・物語が流れていく。怒りや悲しみばかりではなく、喜び・笑いにも溢れた――そんな『水俣曼荼羅』の世界は、多くの観客を魅了しました。
上映館は拡大していき、現在までに全63館(海外での上映を含む)で上映、9578人を動員(2024年11月末日)。またキネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位、毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞など国内の各賞レースを席捲。多くの海外映画祭に招かれて、賞を受賞しています。
2023年に閉館したミニシアター「名古屋シネマテーク」(現:ナゴヤキネマ・ノイ)
最終上映は原一男監督作品の特集上映。『水俣曼荼羅』も上映された。
東京大学教育学部主催『水俣曼荼羅』上映会。原一男監督によるアフタートークの様子。
アジア各国での上映会。長時間の対策にも関わらず、劇場は若者を中心とした観客で満席になった。
映画『水俣曼荼羅』をたずさえた原監督は、全国各地を行脚。上映後のトークで各地の観客と交流します。そんな中訪れた熊本で、監督は信じられない話を耳にするのです。
『水俣曼荼羅』DVDのブックレットに寄せられた原監督のエッセイによると――水俣での抗議活動が最高潮に達して、全国のマスコミが騒然としていた1970年代前半。加熱する報道は、対岸の天草には伝わっていなかったというのです。でも同じ不知火海に面している天草の住民たちも、チッソの工場排水に含まれる有機水銀に冒されていた。「それなのになぜ私は『水俣曼荼羅』の撮影のとき、天草の人々の表情の奥に隠された、闇への想像力を持たなかったのか!」原監督は動揺・煩悶するのでした
そのあと開催されたご当地・水俣での上映会のあと、原監督は集まった記者から尋ねられます。「『水俣曼荼羅part2』を作るつもりはありますか?」「もっともっと水俣を掘り下げてほしい」そのとき原監督は気づいたのです。「part2はもう始まっている」ことに。
いま水俣では胎児性水俣病患者(母親の胎内で罹患した患者さん)の方々が還暦をすぎ喜寿を迎え、高齢化しています。そのことを原監督は、とても危惧しているのです。
「胎児性の患者さんは水俣病という病気を宿命として背負ったために、寿命が短い。その人たちの生きてきた思い、無念、感情を描きたい」だからこそ原監督はふたたびカメラを手に、水俣を見据える決意を固めたのです。患者さんたちに残された時間は少ないのだから……
原監督はいま、焦燥感にかられています。
原監督の悲願、患者さんたちの悲願を叶えるために皆さまにご支援いただければと思っています。
2023年 釜山映画祭では審査員、マスタークラスの講師として招待された。
撮影中の原一男 X新原一男アカウント @shin_kazuohara ♯取材日記より
伊ラヴェンナで開催された第22回ナイトメア映画祭でゴールデンリングを授与された(撮影・緒方伶香)
リングには"THE DARK SAIDE OF MOVIES"と刻印
第22回ナイトメア映画祭のパンフレット
映画祭主催者の一人であるMarcoDelBeneさんと
『水俣曼荼羅』を地元・水俣で上映後、地元の記者クラブの面々が、記者会見を開いてくれた。
「原監督、次回作は?」と聞いてくる記者の人たちは、地元・水俣で長く、地道に、臥薪嘗胆、取材を頑張って続けている。その彼らが、「共に、これからも一緒にやりましょうよ」と私を誘ってくれているな、と彼らの心の中の声を聞いたような気がしたのだ。「よし、ならば」と私は俄然、「やってやろうじゃないか!」という気持ちが湧き起こった。
だが水俣の取材は難しい。タブーだらけだからだ。そんなタブーを破ってこそドキュメンタリーだ、と常々信じてる私だが、タブーを破るべくカメラの前に立ってくれた人が、地元の人たちから白い目で見られる、という差別の壁に囲まれて嫌な目に会わざるを得ない。そういった差別構造の厚さを、私は体験的に知っている。だから「part1」では泣く泣くタブーと知りつつ表現を控えたり、オブラートに包んだような表現にしたり、という工夫をした。
だがpart2を作るとなれば、まさにpart1で、私が忖度してしまった数々のタブーにこそ再度取り組み、もろに撃ち破らなければならない課題を背負うことになる。タブーを破る視座を提示してこそ、part2をつくる価値があるのだ。実は、もう既にpart2の取材・撮影は始まっている。つまりいま私は、分厚い差別の重構造の真っ只中に立っているのだ。
part1でタブーを十二分に破れなかった悔しさ・無念さバネに、「I' ll be bacck!」とばかり、立ち向かい「更なるエンターテイメント・ドキュメンタリーを作ってみせようじゃないか!」と、私は意気軒昂、闘志満々なのである。そんな私の前には、撮影を重ねる度に大きな壁が立ち塞がってくるが「part2はpart1より10倍以上面白くしなければならない!」という原理論を有言実行したい!
そのためには制作を応援してくれる皆さまのご支援が、ぜひとも必要になってくる。水俣のタブーを打ち破る私の二度目の戦いに、力を貸して欲しい。
2024年夏、東京から車中泊で2日かけて約1300kmを運転、水俣入りする原一男監督。part2に向け意を新たにした。
原一男 はら・かずお
1945年生まれ、山口県宇部市出身。1966年、東京綜合写真専門学校に入学するも、半年で退学。1969年、銀座ニコンサロンで個展『ばかにすンな』を開催。その会場でのちのパートナー・小林佐智子と出会う。1972年、『さようならCP』で監督デビュー。今村昌平・浦山桐郎監督、カメラマンの姫田眞左久に師事。主な監督作に『極私的エロス・恋歌1974』(1974)『ゆきゆきて、神軍』(1987、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第2位、毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞)『全身小説家』(1994、キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞)『映画監督 浦山桐郎の肖像』(1997)『またの日の知華』(2004)『ニッポン国VS泉南石綿村』(2017)『れいわ一揆』(2019、毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞)他がある。
<原一男 作品上映・受賞歴>
⚫︎1972年(昭和47年)27歳2月 『さようならCP』が完成
小林佐智子と「疾走プロダクション」を設立
⚫︎1974年(昭和49年)29歳 4月 『極私的エロス・恋歌1974』完成。
⚫︎1975年(昭和50年)30歳『極私的エロス・恋歌1974』が仏トノンレバン国際独立映画祭でグランプリを受賞
仏トノンレバン国際独立映画祭で「グランプリ」受賞
⚫︎1987年(昭和62年)42歳 『ゆきゆきて、神軍』完成
日本映画監督協会「新人賞」受賞
ベルリン映画祭「カリガリ映画賞」受賞
報知映画賞「最優秀監督賞」、毎日映画コンクール「監督賞」受賞、ブルーリボン賞「監督賞」、ロッテルダム映画祭「批評家賞」受賞、シネマ・デュ・レエル(パリ・ドキュメンタリー国際映画祭)「大賞」受賞
ニューディレクターズ・ニューフィルムズ(ニューヨーク)で上映
⚫︎1991年(平成3年)46歳
4~7月 ACC(Asian caltural Council)でニューヨーク留学
12月~ 「文化庁1年派遣芸術家在外研修員」として、1年間ニューヨークに滞在
⚫︎1994年(平成6年)49歳4月 『全身小説家』完成。
報知映画賞「最優秀日本映画賞」受賞、毎日映画コンクール『日本映画大賞』受賞
キネマ旬報ベストテン第1位「作品賞」「日本映画監督賞」受賞
ベルリン国際映画祭に招待される
⚫︎1997年(平成9年)52歳 4月~ 早稲田大学第2文学部で非常勤講師。
⚫︎1998年(平成10年)53歳 1月2日 関西テレビ『映画監督浦山桐郎の肖像』放送
⚫︎2001年(平成13年)56歳 4月~ 日本映画学校専任講師(映像ジャーナル科3年担任)
⚫︎2004年(平成16年)59歳 4月~ 日本映画学校副校長(2年間)
⚫︎2005年(平成17年)60歳 『またの日の知華』公開
⚫︎2006年(平成18年)61歳 4月~ 大阪芸術大学映像学科教授(〜2018年)
⚫︎2014年(平成26年)69歳 モントリオール国際ドキュメンタリー映画祭レトロスペクティブに招待される
⚫︎2018年(平成30年)73歳 『ニッポン国VS泉南石綿村』公開
⚫︎2019年(令和元年)74歳 『れいわ一揆』公開
毎日映画コンクール「ドキュメンタリー映画賞」
⚫︎2021年(令和3年)76歳 『水俣曼荼羅』公開
キネマ旬報「文化映画ベスト・テン第1位」/「日本映画ベスト・テン第5位
毎日映画コンクール「ドキュメンタリー映画賞」
2022年夏 『水俣曼荼羅part2』撮影スタート
2023年初春 コロナ禍と資金難のため、撮影中断
2024年1月 ご支援により撮影再開、その後、製作費を集めては取材に出かけている
2025年3月 編集者を雇用し撮り溜めたデータの管理を依頼
2025年~2026年 取材続行
2026年2月〜8月 取材と並行して粗編を仕上げる
2026年12月末 初号完成 関係者試写
2027年1月末 完成試写
2027年9月1日 公開
プロジェクトが達成した場合、皆様からご支援いただいた資金は以下の使途の一部に活用させていただきます。
<制作費(税別)> | |
撮影料(カメラ等機材・SDカード・移動費等含む) | ¥2,000,000 |
車両費(監督自家用車のメンテナンス費含む) | ¥2,000,000 |
人件費(撮影アシスタント等スタッフ費含む) | ¥1,400,000 |
宿泊費・取材中の食費 | ¥1,300,000 |
編集費(人件費、データ管理代) | ¥500,000 |
音楽制作費(演奏費・収録費) | ¥300,000 |
本編DCP制作費(Blu-ray素材等含む) | ¥500,000 |
<クラウドファンディング関連経費> | |
CFサービス利用手数料(目標到達の場合10%) | ¥1,000,000 |
CFの運営及び宣伝に伴う経費 (人件費やチラシ・ウェブ制作費・リターン制作費含む) | ¥1,000,000 |
合計(税別) | ¥10,000,000 |
※目標金額に到達しない場合、サービス利用手数料が20%となるため、上記はあくまで目標到達時の試算です。 ※節約できるところはできるだけ切り詰めておりますが、長期間の撮影であることに加え、水俣での滞在費や交通費(監督は自家用車での移動)のため、どうしても全体の経費が嵩んできてしまいます。 ※もし、上記の目標額を超えて資金が集まった際には、今後、本作を全国の劇場へ届けるための配給宣伝費に充てさせていただきたいと思います。 |
【原監督からのサンクスメール】
お気持ちだけ支援してもいいかなと思われた方へ。宜くお願い致します。
※ご支援いただいた全ての皆様へ送信致します。
【公式サイトお名前掲載!とにかく応援したいコース】
任意で公式サイトにお名前を掲載させていただきます。
※掲載ご希望の方はお名前情報必要
【公開時・全国劇場招待券2枚】
公開時、招待券を郵送
※ご住所の情報必要
※全国のなるべく多くの劇場で上映できるよう活動する予定ですが、お住まいの地域で上映されることは確約出来かねますことをご了承ください。
【原一男動画ライブ(奇数月に30分間)(全10回開催)】
今回初の試みとして、限定公開で動画ライブを行います。予定としては奇数月の第2土曜日午後20時開催。2025年5月10日(土)にスタートします。夜の時間帯を予定しておりますが、急な取材などで、変更になる場合もありますので、詳細はMotionGalleryのメール機能にて、開催の1週間前までにお知らせ致します。ゲストについても検討中です。
※原一男動画ライブ・奇数月に30分間 全10回
【原一男の取材日記特別編が届くコース(LINE)】
今回初の試みとして、アカウントIDをお知らせいただいた方に、LINEアカウントより原一男監督自身が綴る取材日記を奇数月にランダムにお送り致します。初回は2025年5月10日(土)スタート。
【オリジナル冊子「原一男の映画哲学」】
「原一男の映画哲学」を、2023年に行ったマスタークラスから抜粋。その記録をまとめた手作り感あふれるオリジナル冊子を作成し、サイン付きでお送りします。映画好きの方に、映画の作り手を目指す方におすすめの特典です。
※ご支援金額50000円以上の全てのリターンに冊子が含まれます。
※オリジナル冊子イメージ 上:表紙 下:中身必見(2023年キネマ旬報に掲載頁も収録)
【伊ナイトメア映画祭名誉賞記念CAP/THE DARK SIDE OF MOVIES】
2024年10月、イタリア・ラヴェンナ第22回ナイトメア映画祭で名誉賞を授与された原一男が受け取ったのはゴールデンリングでした。過去にはデビッド・リンチやジャンジャック・アノーも名を連ねる栄誉ある賞ですが、その指輪には
THE DARK SIDE OF MOVIESと刻印されていました。原監督は、この言葉こそが、過去も未来も自分の映画作りを明示していると言います。日頃からCAPを愛用の原監督が、デザインにも参加して作ったオリジナルCAPです。在庫数の確保と納期が影響するため、10万円以上ご支援いただいた方への特典とさせていただきます。
※ご住所情報必要
※写真はイメージです。在庫数により実際にはメーカーやデザインが変更になることもあることをご了承ください。
【作品エンドロールにお名前掲載】
作品公開時、エンドロールにお名前を掲載します。掲載をご希望の方は、お名前の情報が必要になります。
※掲載ご希望の方はお名前情報必要
※ご支援金額30000円以上の全てのリターンに含まれます。
【原一男監督と茶話会(1h・1名もしくは1グループ)】
原一男監督が打合せで使うこともある新宿区のルノワール会議室を貸切で1時間。原一男監督とお茶をいただきながらの文字通りの茶話会。マンツーマンでもグループでも、人数と日時は応相談。飲食代、交通費はご負担いただきます。ドキュメンタリーを目指す方にもおすすめの特典です。グループの皆さんで割り勘ではいかがでしょうか。
※ご住所情報必要
【原一男、小林佐智子と茶話会(1h・1名もしくは1グループ)】
原一男監督が打合せで使うこともある新宿区のルノワール会議室を貸切で1時間。原一男監督、小林佐智子プロデューサーとお茶をいただきながらの文字通りの茶話会。マンツーマンでもグループでも、人数と日時は応相談。飲食代、交通費はご負担いただきます。ドキュメンタリーを目指す方にもおすすめの特典です。グループの皆さんで割り勘ではいかがでしょうか。
※ご住所情報必要
【写真家原一男・唯一無二のポートレート(新宿近辺の街頭or屋内)(1名もしくは1グループ)】
もともとは写真家志望だった原一男監督。その昔、コンペで受賞して写真展を開催中、小林プロデューサーに誘われて映画製作の道に進んだという話はあまりにも有名です。79歳の今も、撮影現場では、重い三脚にカメラを付けて走り回っていますが、その合間に撮りためた身近な動物や風景、人間の写真には、原一男ならではの視点で切り取られた力強さが漲っています。今、著名な写真家に記念日の写真を10枚頼むと、相場は一部のデータ込みで30万円前後。ならば是非、唯一無二のポートレートを原一男監督にご依頼ください。原一男本人発案の特典です。成人式から家族写真まで、内容、人数、日時についてはご相談ください。
※撮って欲しい内容と日時、人数については応相談。
新宿近辺の街頭or屋内を予定しています。ご自身の交通費、出張の場合の交通費は御負担ください。
【公開前ラッシュ視聴・意見交換会ご招待(1回・5名まで) 】
作品公開の約半年前に粗編したラッシュをご視聴いただきます。上映時間は未定。
※参加人数は1回・5名まで。日時は応相談・場所は関東を予定。交通費はご負担ください。
原一男監督は、現在79歳。ご高齢ゆえに、原一男自身の手で映画が完成しない場合も考えられます。その時は、スタッフが引継ぎ、映画を完成させる予定です。ご理解の上、ご支援くださいませ。
ドキュメンタリー映画は、撮影対象の意向に左右されます。現在、取材、撮影の了承が取れていても、制作途中で拒否に転じられたり、完成した映画の公開について反対に転じたり、中止を求められたりすることがあります。
そして、ドキュメンタリー映画は、どの時点で制作を終了させ、完成させていくかの判断が流動的です。従って公開時期を現時点で確定することは非常に困難ではありますが、今回は、原一男作品初の試みとして、2026年末の段階で映画を完成させ、翌年2027年に上映します。よって鑑賞に関わるリターンの履行は、完成直前になりますことをご了承の上、ご検討いただけますようお願い致します。
今回はプロダクションファンディング(All in)での挑戦になるため、もし目標金額未達となった場合でも、不足する資金は原一男応援隊にて補填し、映画『水俣曼荼羅part2』の制作継続および映画の完成を実現します。
映画の完成は2027年9月を予定していますが、やむを得ない事情により遅延等が発生した場合は、アップデート記事やメールにて速やかに進捗をご報告いたします。
また、それにより一部リターンに関して、期日通りに履行できないものもございますが、キャンセル・返金対応は出来かねますことをあらかじめご了承ください。
全国のなるべく多くの劇場で上映できるよう活動する予定ですが、お住まいの地域で上映されることは確約出来かねますことをご了承ください。
疾走プロダクションとは?
1972年2月、公私にわたるパートナーである原一男監督と小林佐智子プロデューサーの処女作 「さようならCP」完成前夜。「疾走プロダクション」は設立された。命名したのは小林。愛読していた吉増剛造の『疾走詩篇』からとった。
「吉増さんは颯爽と“疾走しながら詩を書く!”と宣言した。それなら自分たちは“疾走しながら映画を作ろう”!」「“疾走”という語感が70年代に映画を作り始めた自分たちの感覚にピッタリだ」と感じ、即座に原も賛成。
以降、「疾走プロダクション」は原-小林のコンビで「極私的エロス・恋歌1974」(74)「ゆきゆきて、神軍」(87)「全身小説家」(94)「ニッポン国VS泉南石綿村」 (18) 「水俣曼荼羅」(21)など傑作・快作・名作を世に問いつづけている。
今回のクラウドファウンディングは、疾走プロダクション小林プロデューサーを代表とし、原一男監督作品を観たい一心で結成された原一男応援隊のメンバーで立ち上げられた。
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