困難な道こそ軽やかに
vol. 372 2021-09-24 0
エントリー版完成から一週間。
国外映画祭エントリーのための字幕製作への動きと初号試写の準備検討が続く。
僕は監督でありながらプロデューサーでもあるわけで。
(・・・にしては色々と無知で無謀だけれど)
ここからどんなふうにこの作品を運んでいくのかも考えなくちゃいけない。
なんとなく日本ではプロデューサーは裏方のイメージかもしれない。
ある意味では監督よりも強く作品に影響している存在なのだけれど。
最初の脚本会議から予算編成、公開に至る宣伝会議まで全てに関わっている。
時には監督が考える無謀な案を諫めるのだってプロデューサーの仕事で。
出来ること、出来ないこと、やるべきこと、そういう全てを把握している。
大変な労力と冷静な判断と強烈な情熱を兼ね備えていないと難しいと思う。
そしてきっとその3つのバランスがプロデューサーによって違っているはずで。
そういうことって作品にきっと色濃く出るのだろうなぁと思う。
創作とは別の思考を必要とする。
まぁ、僕にはとても出来ないんじゃない?なんて思う。
思いながらもやり続けるしかないし無知なら調べるしかない。
実際にその多くに関わった経験があるのだから。
映画にはどんな作品にもメッセージがある。
メッセージがない作品も「メッセージがない」というメッセージになるからだ。
作品そのもののコンセプト、背骨となるようなもの。
脚本や監督が求める作品性や作家性やテーマ性に方向を見つけに行く。
そこから映画祭に出そうとか、こんな宣伝をしようとか。ここに訴求しようとか。
作品の展開にまで至る。
僕の場合、僕自身が脚本監督だから、どこかで切り離さなければいけない。
客観的にこの作品はどこに向かうんだろうか?と観れないといけない。
そんなこと出来るのかな?と思いながら。
なんせ僕は全てがわかっている。
何もわからないまま観た時の感覚がない。
想定はしているけれど想定通りになることは絶対にない。
良い作品なら必ず公開して話題になるということはないのだと思っている。
どんなに良い作品でも、もっとここに宣伝出来たらよいのにという作品もある。
知る人ぞ知るみたいな作品も過去に山ほどあるだろう。
届けたい場所に届けられなかった映画もきっとたくさんあるはずで。
映画ファンと言っても多層的だ。
週に一度、テレビで映画を観る人だって映画ファンだし。
自分が過去に愛した作品をハウスシアターで楽しむ人だって映画ファンだ。
インディーズムービーまで含めて話題作は見逃さない方だっている。
ジャンル映画を愛していて、ホラーだとかアクションだとか欠かさない方もいる。
週に一度、シニア割引で映画館に通う老夫婦なんて存在だっている。
Filmarksで評価の高い作品だけを少ない自由になるお金で選んで観ている若い人もいる。
どんな作品だってその全ての人に届けたいはずだ。
どんな作品だってその可能性があるのだから。
別にヒットすることだけが成功じゃないのだろうけれど。
僕たちは舞台公演の千秋楽を迎えた次の稽古で反省会を必ずやってきた。
本当の反省会はもしかしたら、その後の呑みの席や帰宅してからだったかもしれない。
反復しながら、何が足りなかったか、何をするべきか、考え続けてきた。
反省というと悪い部分だけのようなイメージだけれど良かった部分も含めて考えるのが反省だ。
そうやって継続してきた。
僕の中で良かったこと、悪かったこと、たくさんの反省があって。
わからないなりに刷新しながら前に進むしかない。
今も映画館ではこれまでお世話になった方々の作品が公開されている。
豊田利晃監督の「全員切腹」
金井純一監督の「マイ・ダディ」
加藤伸崇プロデューサーの「ムーンライト・シャドウ」
すごいなぁ、と思いながら自分の小ささに笑ってしまう。
映画は気付けば公開期間を過ぎているからぜひ多くの人に見逃さず足を運んで欲しい。
たくさんの国際映画祭の応募情報をExcelの表にまとめていく。
去年選ばれた邦画が書かれていることがあって意外にたくさんあるなぁと感じる。
中にはインディーズムービーも数多くノミネートされている。
ちょっとだけ勇気をもらいながら。
それでも厳しいのだろうと予測しながら。
考えても仕方ないと自分に言い聞かせる。
どこかで誰かと良い出会いがあるといいなぁと祈る。
祈る?神頼みか?なんて声が聞こえてくる。
小さい場所から。
あっけらかんと。
晴れやかに進む。
軽やかに進む。
小野寺隆一