完成の向こう側
vol. 351 2021-09-03 0
週に一度のアップデート全員公開の日。
大きく政局が動いてニュース速報が鳴り響いている。
ニュースは、政局とコロナと人が人を刺すニュースばかり繰り返されている。
大きな視点で見れば誰もが刃物を持っているような感覚。
政局もそうだ。コロナもそうだ。心に向かって刃を突き立てる。
刺す、切る、斬られる、刺される。
こんなに人が人を刺すニュースが続くのは個人的状況を超えて社会現象だ。
何が足りていないのか。何が壊れているのか。
かつて殺傷能力の高い日本刀を帯刀した侍が街を歩いていた国。
彼らはそれを魂と呼び、抜くことを覚悟と呼んだことを忘れてはいけない。
僕たちはきっといつだって心を貫く刃を帯刀している。
僕が望んでいるのは腰の刀を抜かずに堪える姿ではないだろうか。
映像が確定して、最後の仕上げのMAに進んでいる。
追加の音楽が揃いきっていない状況とはいえ、今から始めないといけない。
同時進行で字幕製作も始まっている。
現時点の映像をすでに何人かに送ってある。
いよいよ完成の瞬間が目の前に迫ってきている。
微調整はあるだろうけれど、いずれにせよ間もなくだ。
宣伝広告の世界を中心に聞く言葉がある。
「刺さる」という言葉。
元々はキャッチコピーだとかコマーシャルだとかに使われていたと思う。
いつの間にか専門的な範囲から一般化されていたような気がする。
歌を聴いて「歌詞が刺さる」とか、映画を観て「セリフが刺さる」とか。
思わずクリックしてしまうニュースのタイトルがエキセントリックになったようなこと。
そういうことっていつの間にか無意識に僕たちの生活に影響しているかもしれない。
瞬間的な何かを求められているのだろうか。
いよいよ映画が完成に近づいて、じゃあこの作品は「刺さる」のか?と自問自答する。
ちょっと自分ではわからないのかもしれない。
というよりも刺さることを意識することはあまり良くないと感じている。
心に届く何かは刃である必要性はない。
ボディブローでも良いし、優しく包むようなものでもいい。
腑に落ちるような何かでもいい。
或いは自分でも気づかなかったようなことを、掬いあげられるようなことでも。
刃のような鋭さを僕もどこかで愛しているところがあって。
それが本当に正しいのかということはいつも考えなくちゃいけないと思う。
そしてそれは時代の要請、時代の空気が求めていることなのかどうかも。
誰にでも特別な作品がある。
それは映画に関わらず、音楽でも、演劇でも、絵画でも、小説でも。
自分の人生の中で特別な一本というものがある。
たくさんの人に観てもらいたいという願いはもちろんだけれど。
誰かにとっての特別な一本になれたらという祈りがある。
時代の隙間に生まれた刺さる作品の持つ力は若い頃の自分の心に留まっている。
同時に普遍性を持った体が打ち震えるような瞬間も忘れられない作品として残ってる。
不特定多数に届けたい思いと、私的な物語にして欲しいという相反した想いが交錯して。
僕は誰かを刺したいのか?と悲しいニュースの合間に沈んでいく。
結局、そこに答えなんかがあるわけではない。
それは応援してくださる方に届けたい想いと。
今はまだ僕たちのことを知らない人に知ってほしいという想いが重ならないのにも似ている。
どこかで知られたくないぜという感覚も残している。
答えがないことがわかっていても、考えることはやめない。
完成が近づいている。
僕という個人の範囲を越えようとしている。
評価されるということを意識し始めている。
自分の外側に発信する段階が近づいている。
各映画祭にエントリーすることも、公開することもそういうことだ。
別に評価の善し悪しではなく。
評価されることそのものが近づいているというこの感覚。
ちりばめた想いなど、評価される段階ではきっと関係がなくなるのだろう。
届く何かと届かない何か。
受け取った誰かの個人的な作品に変化していくこと。
でも僕はきっとそれが一番面白いと思っているのだろうなぁ。
人が人を刺す刃物とはつまり拒絶だ。
誰かが誰かを拒絶する時に、刃物が振り下ろされる。
僕たちは小さい拒絶を受けながら生きていて。
その圧倒的な拒絶のニュースを知り、ふさぐ。
不寛容な世の中はたくさんの拒絶を生み出している。
こんなに全国で人を刺すことが連続していることは偶然じゃない。
拒絶しているんだよ。
それは希望とは反対側にある暗い穴だ。
拒絶されるリスクを負いながら。
僕は希望に進む。
完成にまた一歩近づいていく。
色々考えても、はじまればすぐに無我夢中さ。
意外に純粋で、ただただ打ち込んでしまうんだ。
そんな自分を俯瞰で観る時間が自分への拒絶にならなければそれでいいさ。
明日は久々にセブンガールズがスクリーンに灯る。
同じ日に渋谷では全員切腹の上映と舞台挨拶がある。
そんな日が来るなんて思っていたか?
いつかどこかで足を前に出さなければ、何もなかった。
肯定されることだけが人生じゃないのは重々承知だけれど。
何もないことの方がきっと僕は苦しかった。
完成に向かいながら。
完成の向こう側を思う。
小野寺隆一