形がないからこそ
vol. 344 2021-08-27 0
暑い日だった。
猫の鉄ちゃんを弔いに行く。
お花の中で静かに目を閉じていた。
最後のお水で口をしめらせてあげた。
実家からタクシーで3メーターほどのペット墓地。
最初に飼った金さんの共同墓碑にも手を合わせに行った。
自分の身長ぐらいの木彫りの犬と猫が笑ってた。
信じられないほどたくさんの数の墓碑が並んでいた。
実家に戻る。
元気をなくしていた鉄ちゃんの妹の鈴が寝そべってた。
もう家のどこにも鉄ちゃんがいないことは理解しているようだった。
鉄ちゃんの亡骸が眠っていた部屋には入ろうとしなかったけれど。
ようやく部屋に少しだけ入ったりした。
寂しいかもしれないけれど、少しずつ日常を取り戻しておくれ。
心にダメージが残るようなことが最近細かく続いた。
そういう時期ってなんで重なるのだろう。
何もない一日もあるのに。
映画は完成に日々向かっている。
映像はおとといのカラーグレーディングに同席した。
仕上げの書き出しデータの受け取りを待つだけだ。
それもあと数日で受け取りに行くことになる。
音楽さえそろえばMAになる。
MA用のデータ整理は続いている。
それと字幕製作用に完成台本なども手を付け始めている。
ないようでやることはある。
グレーディングでいつもよりも大きな映像を観た。
それはなんというか発見の連続でもあった。
表情の見え方も想像以上に伝わってきた。
それでもやっぱり映画館とは違うのだろうなぁと思う。
やっぱり映画館は特別な場所だ。
知らない人同士で同じ映像と音の中に埋没していく特殊な環境だ。
それとあまり知られていないけれど。
映画館によって映像も音声もまるで変わる。
映写機も違うし、アンプも違う。
音像の計算だって、スピーカーの位置だって違う。
それからスクリーンだって違う。
それぞれの映画館がその空間に適した出力に調整してある。
黒が締まるスクリーンもあれば、明るめで影に何があるか見える映画館もあるということ。
こういう絵で見せたいというモノはあるけれど環境が違えばどうしたって変わる。
色が飽和しないギリギリを目指しながら。
僕の目指す場所を探しながら。
それでも完成してしまえば僕の手からは離れていく。
色々なことが過ぎていく。
心のダメージなんか誰だって抱えているものだ。
後悔や不安を抱えながら閉じ籠ることを選ばない。
より多くの人に観てもらう時が来たら。
まるで公開裁判を受けているような気分になるのだろうなぁ。
まったく、何が楽しいんだか。
それでも僕は進んでいくしかできない。
いつかどこかで誰かにこの映画が出会ってくれるその日まで。
ありがとう。
感謝。
墓地に明るく書かれていた。
優しい言葉だ。
優しさは時に棘のように突き刺さる。
形がないからこそ。
形がないからこそ。
鉄ちゃんの形はなくなって。
心だけがそこにあるような気がしている。
小野寺隆一