Shout in the rain
vol. 295 2021-07-09 0
全員公開の日。
雨音は止まらない。
低気圧が留まり続けている。
今週、二周目の編集を終えた。
より細かく、小さな違和感を見逃さず。
まだ共有用の小さなサイズでしか書き出していない。
4秒ぐらい全体の尺が変わる。
中には、間を直したりする箇所もあった。
感覚的にもう一呼吸分の間が欲しいなというような変更。
こんなのはもしかしたらその時の気分かもしれないと思いながら。
自然災害、四度目の緊急事態宣言、選挙。
様々な話題が駆け巡る。
ふつふつと湧き上がるような怒りが僕の耳に届いてくる。
その怒りの渦に巻き込まれそうになりながらかろうじて留まる。
耳をふさがない。
耳を澄ましながら。
その渦の中には飛び込まない。
世界中で政権交代が起きたりデモが起きたりしている。
クーデターや暗殺なんて言うニュースも飛び込んできた。
疫病禍はそれほど全世界を不安定にしている。
どこの国でも内政がガタガタになっているのだなと感じている。
この星を不安が覆っている。
足元を揺さぶられている。
内政の不安は外交にまで影響している。
いつか暗い時代だったと笑える日が来ると信じるしかない。
そんな時代の雰囲気や、ムード。共同幻想。
そういう全てが複雑に影響し合って、僕個人の気分が出来上がる。
それは作品に知らず知らずのうちに投影されていくのだろうか。
音楽を解析する学者が歴史上の音楽の流行を調べた時にそんなことがあったそうだ。
戦乱期は低音の音楽が流行していて、平和な時代は高音の音楽が流行していたという。
意図してそうなったのか、時代の無意識がそんな波を創っているのか。
それともその逆で、雰囲気が戦乱期を呼び込んだのか。
結果論が示していることは一体何なのだろう?
それでも結局はそれを信じるしかない。
自分の今を。
いっそのこと、その渦に飛び込んでそのまま進めばいい。
そういう表現をどちらかと言えば僕は大好きなのだから。
けれど何かの予感が僕を留まらせている。
ふざけんじゃねぇぞという声は常に聞こえているからかもしれない。
きっと今、生きている全ての人の心が時代の坩堝だ。
様々な状況が、思いが、無意識に半ば強制的に僕たちに飛び込んでくる。
情報過多の渦の中でかろうじて自我を保ってる。
いつかいなくなってしまった友人の影の懐かしさすら寂しさすら影響を受けてる。
僕は確かに音楽や演劇や映画に救われた。
何もなければどうなっていたのかもわからない。
時にはただのシャウトが僕の心を救ったはずだ。
引き裂かれてしまいそうな夜も。
でもそれはきっと何かを与えようとしてもらったものじゃない。
多分、誰かの心に触れた瞬間でしかなかった。
僕も誰かに何かを与えようとなんてしない。
忠実に自分の声を届けるだけだ。
きっと誰かに届くと信じてシャウトをするだけだ。
僕が感じたように。
僕の心が震えたように。
例え無力だとしても、空に向かって。
世界中から雨音が止まらない。
僕は耳を澄ませてる。
小野寺隆一