赤い雲
vol. 281 2021-06-25 0
毎日、牛歩で進んでいる。
このアップデートも日々更新し続けている。
全員公開では一週間に一度だから大きく進展しているように見えるかもしれないけれど。
気付けばもう6月もわずかになってきた。
梅雨前線はまだまだうろうろしているけれど夏の匂いも感じるようになった。
昨晩、少し外に出て満月を探した。
残念ながら空は雲に覆われていて月は見えなかった。
ただ雲が少し赤っぽく光っていた。
ストロベリームーンがその辺にあるのかもしれないなあと思った。
雲というフィルターを通しての月光浴。
3年前に「演者」という作品のわずか30分の舞台の本番があった。
30分の一幕物の舞台は、実際の30分の時間軸の物語だった。
照明の河上賢一さんとの打ち合わせでその時間軸をどう表現するか決めていった。
いつの間にか夕暮れから夕焼けに変わっていくこと。
そして暗転のタイミング。
シーンが変わるわけではないからそういう照明をお願いした。
あのラストの赤いイメージはこの映画でも変わることがない。
ここ数年で「赤」がやけに僕の周りに登場しているのは確かにあの3年前からだ。
まるで何かに引き付けられるかのように赤がたびたびやってくる。
僕は無意識に三年前にその赤を求めたのだと思う。
赤という色はとても難しい色でもある。
暖色という温度を感じる色であり。
膨張色という少し膨らんで見える色でもある。
進出色という不思議と手前にあるように見える色でもある。
現実の大きさも、現実の温度も、現実の距離感も少しずつ心理的に狂わせていく。
太陽の色だから明るく感じ、血の色だから闘争本能に影響する。
炎の色だから危険を察知し、肉の色だから色気を感じる。
光過敏性発作があるように色は精神に影響する。
境界線をまたいでいく。
赤い満月は残念ながら見ることはできなかったけれど。
赤みがかった雲の下で少し深呼吸をした。
湿気の多い空気だった。
僕たちは今、規範に従って生きろと言われている。
でも人間はそうやって生きていくことはできない。
いつの間にか境界線をまたいで、規範をはみだしていく。
誰かが決めたルールを知りながら自分でルールを作っていく。
自分で自分を縛ったはずなのに、それさえもいつの間にかまたいでいることもある。
大きな歴史や自然という流れの中ではそれすらも何かの枠組の中かもしれない。
よく見たらはみだしているじゃないかなんてレベルなのかもしれない。
皮膚が破れて血がこぼれるようなことは誰にだってあることだ。
それをダメだということは簡単なことなのかもしれないけれど。
枠組みから膨張したそのグラデーションにこそ本質が隠れてる。
割り切れない。
連続した瞬間を生きている中で。
曖昧の中に眠る本性を掴んでは手の中をするすると逃げていく。
見えないけれど確かにそこにあるものを感じる。
湿気の多い空気の中には水があった。
赤みがかった雲の向こうには満月があった。
見えないものをどうやって映すのか。
そればかり考えていたような気がする。
靄の中を牛歩で進む。
それもまた一歩。
それもまた前進。
見えないけれど確かにそこにある。
見えないけれど確かにそこにいる。
小野寺隆一