家そのものが生活
vol. 274 2021-06-18 0
今回、スタッフさんに信じられないほど良いと褒められたことの一つがロケ地だった。
ロケハンで選んでいた場所がどこも絵になると言ってくださった。
メインの撮影となった古民家はもちろん外での撮影もそうだった。
それでいて移動距離がわずかなため、移動時間でスケジュールが難航することがなかった。
徒歩圏内での移動も多々あった。
日本家屋の撮影のしやすさというものを強く実感した。
スタジオセットであれば壁を動かして様々なアングルからの撮影が可能だけれど。
洋間と違って、日本家屋は壁などとらなくてもそもそも外すことが可能な建築になっている。
ふすまも、障子も、いとも簡単に外すことが出来る。
なんだったら欄間だってはめ殺しに見えるけれど簡単に外すことが出来る。
日本の大工さんが釘をあまり使わないで建築していくからこそだ。
だからアングルが変わるたびに、ふすまを外し、障子を外せばいい。
例えば狭い部屋だとしても無理な広角を使わずに撮影ができる。
日本家屋の持つロケーションの良さは他にもたくさんあった。
例えば障子や格子戸は半透過だから影の表現も出来た。
役者が映っていなくても、影が動いて移動がわかる。
木の影、人の影、風の影。
全てが映像になっていった。
そしてもう一つがシンメトリーであることだ。
日本家屋は畳が敷いてあり、ふすまがあり、天井も木材が直線に並んでいる。
実は最初の室内のシーンでアングルを決めている時にお願いをした。
どうせこのアングルならシンメにしてもらっていいですか?って。
たくさんの直線は映像をのっぺりとしたものから立体的に変える。
それがシンメトリーであれば、人物と人物の距離感まで表現が可能になる。
方眼紙の上に絵を描くようなものだ。
それ以降のアングルでもたびたびシンメにしてくださっていた。
もちろんそれは偶然なわけじゃなくて、日本家屋の持つ理念がある。
ウチとソトの文化は境界線を大事にしている。
玄関、襖、引き戸、障子、畳の縁に至るまで結界だ。
そしてよく見ると完全なシンメトリーから少しずらしたりもする。
床の間だとか、障子戸を少しずらしてあるとか。
衛生面、換気、寒暖、自然光、あらゆる生活の知恵の結晶になっている。
襖には自然界の絵が描かれていて、それだけで光と重なる芸術だ。
用意していた大道具の一つ一つが和室にはまっていった。
まるで計算してあったかのようにジャストサイズだったのは偶然じゃない。
そもそも日本家屋は尺寸法で大抵の大きさが決まってる。
畳のサイズ、襖のサイズ、欄間のサイズ。
座布団の大きさだって、畳の大きさが決まっているからあのサイズなのだから。
スタッフさんが移動中に地元の方に会うと必ず挨拶をしてくれたと言ってた。
食事をお願いしたお店の方々も、また遊びに来てくださいねと言ってくださった。
他にも着替えなどでお借りした青年館を管理されている地区長さんも優しかった。
別にロケ地を伏せることはない。
映画のクレジットにも記載する。
良い所だなぁと思った方がいらっしゃったらぜひ訪ねて欲しい。
映画を観た後であればきっと、映画の世界に入ったような気分になると思う。
僕もまたあそこに行きたいなぁと何度も思う。
再訪する日を夢見ながら。
映画完成に向かって一歩ずつ進もう。
小野寺隆一