本編集開始
vol. 267 2021-06-11 0
クランクアップから一週間経過した。
体調が悪くなったなどの報告もなく安心している。
ロケ地の皆様との接触もほぼないまま撮影は進んだ。
一週間という期間があっという間なのか遠い昔なのかもうわからない。
もう一週間も経過したことが信じられないという感覚もあるし。
すでにあの撮影の日々が昔の出来事になっている自分もいる。
そしてリアルタイムでそこで撮影した映像を何度も繰り返し観ている。
映像の編集をしている時間帯は、むしろ時間という概念がないように思える。
巻き戻し、1コマ送り、ゆっくりと再生して、時間をコントロールしているから。
自分の「本番、用意!」の声を何度も何度も聞いていると無感覚になっていく。
データの整理、編集用データ作成、粗編集、音声データの配置。
ようやく昨晩から本編集に進んでいる。
細かくカットとカットの繋ぎをチェックしていく。
細かすぎて数コマずつの編集だから1分と尺は変わらないかもしれない。
ただ本編集をしながら、ここ気になるなというところはがっつり変えたりもする。
まぁ、尺に関しては音楽でも大きく変わると思う。
想定通りだけれど、それよりも少し長めかもしれない。
まだシーケンサーのタイムラインには音楽や効果音、クレジットが並んでいない。
最大5チャンネルのパラメトリックの音声データも並べていない。
タイムラインはスッキリしている。
仮で色セットを当てているけれどそれもいずれ削除する。
逆に色を当てない方がぼやっとしているけれど表情が読み取りやすいからいつでもオフに出来るようにしてある。
隙間を潰したくなる欲求が襲ってくる。
でもその隙間が大事なんだよなと自分にブレーキをかける。
細かい部分のテンポとじっくりと見せる時間の行き来。
そこに流れる緊張感の糸と空気。
思わずため息が出るような瞬間を編集しているとひどく疲れるのがわかる。
あと少し編集をしたら一度書き出して大きめの画面でメモをしながら通して観る。
言ってしまえば、一人でラッシュみたいなものだ。
ラッシュの段階でプロデューサーや色々な人の意見を聞く場合もある。
様々な意見を集約した方が良いケースはたくさんあると思う。
でも今回は一人でいいはずだ。そういう作品であるべきだ。
いずれ本編集が終わり、音楽、色、音と仕上げる段階では人の目が入る。
ブレないことこそ、この作品の本質に迫ることだ。
映画を評価するのは僕以外の誰かだ。
僕がどんなに良いと思ったってそれは評価とは違う。
そういう全てをわかりきって、一人で仕上げる。
結果的にどんなふうに評価されるのかはわからない。
ただ不思議な時間感覚の作品だと感じている。
あっという間に終わる気もするし、とても長い時間を感じたりもする。
長編の感覚と、短編の感覚が同居している。
とても矛盾した時間感覚が同居している映像体験。
或いはライブ感。
こればかりは文字で伝えられるものではないけれど。
誰かに見せたい欲求が鎌首をもたげる。
何度も何度もだ。
それはきっと僕の心の弱さだ。
誰かの意見で安心したい自分がいる。
そんなんじゃだめだと自分に言い聞かせる。
誰に何を言われても、これがいいのだよと言えるところまで進め。
かなり早いペースで進んでいるんじゃないだろうか。
完成は8月だけれど。
すでに本編集をしているのだから。
小野寺隆一