Show must go on
vol. 246 2021-05-21 0
3年前、オムニバス公演「カクシゴト」で舞台版「演者」を上演していた。
2年前、横浜 シネマ・ジャックアンドベティで「セブンガールズ」の上映をしていた。
1年前、初の緊急事態宣言に舞台が延期と決定してステイホームしていた。
そして今、いよいよ映画化する「演者」の撮影を目の前にしている。
全てが同じ時期なのは偶然なのかなんなのか。
ただ全てが繋がっているんだと感じることばかりだ。
線が見える。
3度目の緊急事態宣言。
最初に発令された地区は感染者数のピークから下り坂に入った。
全国レベルでみればまだ上昇している地域もあるけれど。
このまま当初の予定通りかと思ったら今日になって延長の報道があった。
これ以上の自粛要請に僕たちは耐えられるのだろうか。
じめじめとした雨季の湿気の中で。
去年は気温や湿気が上がれば収まるなんて希望を見出していたっけ。
湿気の高い地域の感染が拡がってきた今になればそれが願いでしかなかったとわかる。
撮影の延期、中止は検討もしていない。
ただただ誠実に対応と注意を重ねながら撮影していくしかないと思っている。
一抹の不安、恐怖と隣り合わせのままでも。
僕たちよりも規模の大きい100人以上のスタッフの作品でも注意しながら撮影している。
そこに明確な意思を僕も感じている。
この状況下だからこそ、今を切り取らなくてはいけない。
撮影期間中の長期天気予報をいくつかの天気予報サイトで確認している。
やはり今の季節の変わり目の状況は読めないのだろう。
3つ調べれば、3種類の答えが出てきてしまう。
予感はある。
ロケハンの時も大雨予報だったけれど、現地に着いたら陽が射した。
なんというかそういう巡り合わせがあるんじゃないかって気がしている。
偶然、にわか雨が降って虹でも出るようなことだってあるんじゃないかって気がしてる。
自分の引きを信じるしかない。
明日には製本された台本が届いて。
今週の稽古にはスタッフさんが見学に来る。
来週には、打ち合わせをしてカット割りも決めていく。
その間に必要なものの買い出しもラストスパートをかけていく。
慌ててしまいそうになる自分を自制しながら。
もう怒涛の日々になっている。
自分の衣装は果たして全部そろっているのだろうか。
やってやれないことなど何もない。
企画してから今日まで必要なことを一つずつクリアしていった。
わからないことだってあるけれどさ。
やれないことなんかないのだと思う。
自分自身が強くやりたいと思えるかどうかなだけだ。
誰かのやる気を期待するとか、自分以外の誰かのためにとかだけでは出来ることも出来ない。
まず自分がやると決めるところからはじめないといけない。
もしそれで出来たとしても、そこにはストーリーがない。
自分がやりたいと願うことには、ストーリーが生まれているはずだから。
こんな風に育ってきた。
こんな経験をした。
こんなことを思ってきた。
こんなものを創ってきた。
誰だって口にする。
刹那的に生きているように見える人だってそうさ。
それまでのバックボーンがあるからこそ、目の前の刹那を大事にするんだから。
そのストーリーを持っているかどうかだ。
そして自分の進んできたストーリーの向こう側を想像出来るかどうかだ。
そこには自然と自分の進むべき場所があるはずだ。
想像力がある限り、その時にやりたいと願ったことはやれる。
下北沢の小劇場でも一番小さい劇場の一つ、OFFOFFシアター。
その照明/音響ブースにはエアコンはなく、ダクトで無理矢理冷房の空気を流し込み常時扇風機が回ってる。
主電源やアンプが並ぶその狭い空間には熱中症に注意するように張り紙がしてあった。
サウナのようなその空間では汗がひっきりなしに背中を流れていく。
灯りが洩れないようにわずかな手元灯りの下には台本とキッカケ表。ペン。
ミキサーとプレイヤーのLEDが闇の中に浮かんでる。
照明のけんけんとアイコンタクトをして、サンプラーを叩く。
小窓の向こうにお客様の背中。その向こうに明かりが点いて音楽が流れた。
開幕までの一瞬の暗闇の中から僕はずっと一つのストーリーの中にいるのかもしれない。
このストーリーに終わりはない。
あるのは未来だけだ。
未来は待つものじゃない。
進んでいく場所だ。
僕は僕のストーリーを進んでいく。
息を切らしながら。
傷みを堪えながら。
笑いながら。
小野寺隆一