不自由の鎖
vol. 239 2021-05-14 0
医療従事者に続き高齢者へのワクチン接種が始まって色々と報道されている。
日本全国で行っているのだからミスもあればほころびもあって。
そんなニュースが次から次へと出てきている。
なんだかわからないけれどあちこちで謝罪ばかりだ。
僕はそんなニュースを見て時々笑いながら、それよりもゾクゾクしている。
まさか徹夜で予約しようとする高齢者まで出そうになったりすると思わなかった。
高齢者全員が接種できると言われているのにサーバーダウンまで起きている。
間違っての注射や、キャンセル分の注射、不公平があるなどの報道が多いけれど。
こんなに高齢者が我先にと、一日でも早くワクチンを打ちたがっていることにゾクゾクしたのだ。
ドラクエやら、たまごっちやらの行列とは訳が違う(古い)。
全員が打てるのに、一日でも早くと願っているという状況。
それは去年からずっと続くコロナウイルスへの恐怖そのものだからだ。
一日でも早く安心したいということなのだと思ったら背筋が寒くなった。
かかったらその時よ。なんていう言葉を耳にしたこともあった。
もう人々は慣れ始めているなんて言う言葉も毎日のように聞く。
でもそんなのは上辺なんだろう。
無意識にかもしれないけれど、もう一年以上も恐怖に晒されているままなのだ。
大丈夫さなんて口にしている人でも、心の奥底に「もしかしたら」を抱えてる。
その「もしかしたら」が重く重くのしかかったまま一年以上生きてきた。
高齢者のリスクを考えれば、その重さは僕の想像以上のものなのだろう。
感染への恐怖はたしかに僕もぬぐいきれていない。今も。
恐怖心や不安というものはストレスになる。
コロナじゃなくても、病気や将来への不安、生きていくことそのものへの不安はある。
死への恐怖だってある。
僕たちは無意識にそんなストレスから解放したがっている。
なんだかそんな当たり前のことが噴出しているように見えて僕はゾクゾクした。
僕は自由についてずっと考えている。
中学生の頃から自由ってなんなんだろう?と考え始めてそれからずっとだ。
自由な校風の学校に行って、より強く考えるようにもなった。
そんな僕が、台本や段取りに縛られ、稽古時間に縛られる芝居をやってる。
虚構の中にはどうやらほんとうの自由のヒントがあるぞと気付いてから随分経った。
演劇を続けてきた事は、社会不適合者と言われたり、不自由なこともたくさんあったけど。
舞台上で確かに、何よりも自由な瞬間があると僕は確信していた。
それは法律を超え、人種を超え、性別を超える。
現実も超えていく。
それどころか自分自身という枠も、がんじがらめな自意識や観念も超える。
そういう瞬間を探し続けている。
今、僕たちは縛られ続けている。
目に見えない恐怖に。
恐怖に慣れてきたかのような顔をしながら。
内心ではずっと鎖に縛られたままだ。
コロナ以前からそうだったのかもしれないけれど。
コロナ後からはそれが一層、具体的になってる。
強大な不安や恐怖心から逃れるためにカルト的な陰謀論を信じ込んでしまう人まで出てる。
不安を解消できるに越したことはない。
でもきっとほんとうは不安が消えることなんてない。
どうやって、自分の持つ無意識の不安と共に生きていくのかだ。
こんな世界的なパンデミック下で信じられないようなことが起きてる。
クーデターが起きたり、ミサイルが飛び交ったり、大国同士がいがみあったり。
殺人嗜好性を持った人が現れたり、コメンテーターが叫んだり。
その裏側でこの国では自殺者が異常に増えているのにロクに報道も対処もしていない。
誰もが強烈なストレスを抱えている中で。
軋む心に耳を澄まさずに、あちらこちらで争いばかり繰り返してやがらあ。
今、とってもとっても大事なことは、このストレスを抱えて捻じれ始めている心の問題だよ。
鎖に繋がれたまま、一年間も生きているんだから。
皆、うっすらと気付き始めてる。
ちょっと前まで、ドラマを見て号泣できたのに、なんか泣けない自分がいたり。
逆に、ちょっと前まで何も感じなかったようなことで、なんだか泣けてきたり。
いつの間にか大声での笑い方を忘れてしまったり。
日常のちょっとしたことで怒りやすくなっていたり。
そんなことが音もたてずにじわじわと侵攻してきている。
ストレスが少しずつ変化させるものだから、気付かないだけだ。
心が不感症になったり、脆くなってる人がたくさんいる。
今、作品内で使う小道具を一つずつ造っていて。
その中でも昨晩からずっと劇中で使用する「手紙」の文面を考えていた。
別に手紙の全てがスクリーンに映るわけじゃない。多分、一部だけだ。
そこまでこだわる必要なんかないのかもしれないなぁと思うけれど。
いや、きちんとした手紙を書くことにしようと、書き始めた。
手紙の主が抱えている問題と不安。
それにどうやって寄り添っているか。
心が不感症になっていないか。
虚構の中の創られた人物の想いを想像力をフル回転させながら考えた。
僕がステージでいつも掴みかけている自由。
不思議なことにあの自由は一瞬、お客様と共有が出来る。
一緒に自由を感じる瞬間がある。
あれをカタルシスというのだろうか。
瞬間、鎖から解き放たれるあれを。
僕はこの作品を通して明確に心の鎖を描く。
自由を描くことは不自由を描くことだ。
そして今を生きる全ての人の心の中に自由を求めよう。
客観的に自由とは何かを探してもらおう。
そう思う。
安心したいという気持ちが噴出している今。
そんな不安がそのまま世の中をおかしくしている今。
僕のような人間に出来ることなんてこんなことぐらいしかないのさ。
がんじがらめの僕が持つ唯一の自由である想像力を全開にするしか出来ない。
想像力という翼は、鎖を解くのではなく、無効化するはずだ。
小野寺隆一