延長していく緊急
vol. 232 2021-05-07 0
※こちらはご参加頂きました皆様への限定記事となります!
緊急事態宣言が5月末まで延長の予定だと決まったらしい。
減少傾向になったり重症者数が減れば早まることもあるのだろうか。
いずれにせよ行動制限の概要が発表されていないので何もわからないけれど。
当たり前のように分断が進んでいるように見えるのがとても悲しい。
賛成の言い分も反対の言い分も全てが正論でぶつかるようなものではないのに。
真面目に生きている人が不公平感を感じているようではいかんなぁと思う。
時差出勤やテレワークの要請に従わなくても罰則はないままなのだから。
不公平感が生み出す不和の声は想像しているよりも世界を歪ませる。
世界レベルでみれば不公平感はもっともっと根強い。
ワクチンの配布についてはなおさらだ。
日本国内でも「高リスク者の分以外はインドに送ろうよ!」なんて意見は聞いたことがない。
資本力のある所が勝つというのは、世界でも国内でもどこでも同じだ。
僕はなんだか恥ずかしい気分になる。
結局、自分の立場でしかものを言えないのかと足元が揺らぐ。
僕は僕の仕事を進めるだけではある。
実際の撮影スケジュールと緊急事態宣言はかすった。
もしどんかぶりになったとしても撮影は決行するつもりだ。
充分に注意しながら準備を重ねているし、遊びに行くわけでもない。
それも自分の立場だけで考えるからなのだろうか。
そうじゃないはずだ。
僕は僕に恥ずかしいことだけはしたくないからこそ映画を製作するのだから。
広島長崎の日のように。3.11や阪神淡路の日のように。
日本全国的に疫病退散祈願の日を創って、亡くなった方に黙祷とか出来ないのだろうか。
10秒間だけ日本中、いや世界中でもいい。皆で疫病退散を祈願する。
喧々諤々に分断して言い争うことよりも、誰もが疫病禍が過ぎることを共感した方がいい。
日本中の神社で疫病退散祈願の加持祈祷をするとかさ。
苦しい時の神頼みとかではなくて、実は誰もが願いは同じだということを思い出したいよ。
もう一度心を洗い直して、立ち向かわないといかんような気がしている。
何かがずれたまま進んでいるような気持ち悪さだ。
そんな中でも着実に一歩ずつ進むしかない。
美術面、小道具面ではようやく一段落着いたんじゃないだろうか。
まだ作り物はいくつか残っているけれど、来週には仕上げようと思う。
衣装は来週の頭までにすべて目途が立つと思う。
脚本も決定稿まで行き、印刷入稿を待っている。
編集前の撮影用の決定稿はクラウドファンディングのリターンでもある。
同時にリターンのスタッフTシャツの入稿も終わっている。
スタッフィングも技術班の助手さんたちも含めて固まりつつある。
助監督さんだけが、スケジューリングで見えなくなってきているけれど。
とにかく芝居を仕上げることと。
撮影に向けての「割打ち」までに自分のイメージを更に高めることだ。
割打ちとは、カット割りの打ち合わせだ。
今回はBカメについては考えていない。
一つの芝居を二つのカメラで収めれば2カット同時に撮影できる。
ドラマの現場などは撮影スケジュール上当然のように採用している。
大がかりな合戦の撮影などでも様々な角度から撮影をする。
それと汚れものなど、何度も撮影できないようなシーンではBカメを用意する。
最近ではGoPROなんかのアクションカメラを仕込んでおいて編集で困った場合の素材にもする。
セブンガールズでも膨大な脚本にBカメを用意して、実際に編集でもそのカットが活躍した。
でも今回はメインカメラ一台で完全にカットを決めて挑みたい。
フィルム時代なら当たり前のことだ。
舞台と映像の最大の違いはやり直しが利くことだという人がいるけれど、映像だって本番は一発なのだ。
念のために抑えておくという意識自体を持たないで挑めたらなぁと考えている。
まぁ、それも割り打ちで変わるかもしれないのだけれど。
撮影部さんもカット割りについては色々とすでに考えてくれている。
そこに自分ではこうしたいとか、それは違うと言えないといけない。
カメラの知識では手も足も出ないけれど、イメージがないのはもっと駄目だ。
そう、すでにイメージとの闘いが始まっている。
撮影に入ればきっと頭がずっと動き続ける。
ものすごいスピードで回転する。集中する。
その場で生まれてくるものをとにかくキャッチする。
その場で生まれてくるアイデアだってあるはずだ。
そういう時間がやってくる。
それまでの準備だけはしっかりとしないとだ。
良い作品にする。
良い現場にする。
どんどん見えてきた。
ああ。5月末までもし吞めなかったらどうしよう。
撮影までに一度はマスク会食でも何でも吞んで話したいんだけどな。
別に宴ではないから大声ではしゃぐわけでもない。
会議と変わらないんだけどな。
ほんの少しだけ会議と違って肩の力を抜くために呑める人はアルコールを入れて。
こんなことが起きるといいねと夢のような話をしたいだけなのに。
泥酔するわけでもないしさ。
人数だってしぼってのつもりなのに。
そんな小さなことが大きなガソリンになると思うのだけれど。
真面目にやってるよ。なかなか。
不公平感を感じる時だけ、腹の底の怒りが暴れだしそうになるけれど。
社会の中の個人。
僕も歩いてる。
てめえ自身が恥ずかしくならないように進め。
小野寺隆一