熾火
vol. 218 2021-04-23 0
自作しようと思っていた小道具のサンプルと一部の美術が届いた。
サンプル同士を組み合わせて必要な小道具を製作してみる。
これでいけるなという確信が持てたから追加で発注をする。
大量に作らないといけないからだ。
そうやって一つずつ必要なものを揃えたり製作していく。
決定稿の製本入稿も考え始めないと。
5月初旬にと思っているけれど。
残りあと幾つかの要素が埋まれば。
来週の前半は身動きが取れなくなることを思う。
あれもこれも購入しなくちゃな。
予算はいくらだっけな?
どのぐらいまでいけるかな?
そんなことを考えながら時間だけが過ぎていく。
製作するものがもっとたくさんあったらそっちに意識が行くのかな。
中野圭にも一つ製作してもらうものを頼んである。
うまくいくといいな。
今週は4月最後の稽古。
これですべてのシーンを触ったことになる予定。
そこで一度切り替えられるといい。
そんなときアップリンク渋谷の閉館のニュースが急に飛び込んできた。
セブンガールズを上映してくださった映画館には全て足を運んだけれど。
その中でも4週間も上映してくださり、もっとも足を運んだ映画館だった。
一瞬、嘘だろう?という空白の時間が生まれた。
映画「演者」完成の暁には上映して欲しいと思っていた映画館の一つだ。
多くの映画館がシネコン化していく中でミニシアターコンプレックスという概念を打ち出した映画館だった。
100人以下の席数の小さな上映館が複数ある形。
そのコンセプトは確かにミニシアターの未来になるようなものだと感じていた。
パワハラ問題の原告団の中にセブンガールズで一番お世話になった方がいた。
だからその問題が浮上した時はとても複雑な気持ちになった。
毎日映画館に通った日々の中で、その方が消耗していることも知っていた。
吉祥寺や京都、配信、配給の仕事は続いていくのだと思うけれど。
複雑な感情などさておいて、寂しい。
誰にとってもハッピーなゴールがどこにあるのかわからない世界。
ひょっとしたら誰にとってもハッピーな世界なんてないのかもしれないけれど。
それでも闇が降りてきてスクリーンが光ればそこは誰にとっても平等な世界だった。
夢の世界とも言えるスクリーンの中を守るために。
大きな教訓を残してくれたのだと思うしかないのかもしれない。
そのスクリーンが消えることはやはり寂しいことでいいのだと思う。
コロナ禍の中。
「鬼滅の刃」が映画を救ったなんて記事がたくさん出たけれど。
それは真実でありながら一方では真実ではない。
補償とセットではないまま、時短要請を受け続けて。
営業をしても観客動員は今までよりも大きく割り込んでいる。
映画館に行って僕は危険だと思ったことがないけれど。
怖がっている人たちが今もたくさんいることは間違いない。
ミニシアターも救うような作品がないといけないのだろうけれど。
全国シネコンで上映するような映画のような宣伝予算はない。
それに興行は大事だけれど、興行だけではないものも大事にしている映画がたくさんある。
そういう映画を上映する場所から閉館していくのだとすれば結果的に貧しい文化になってしまう。
映画館、劇場、ライブハウス、様々に対応しながら苦しんでいる。
製作会社、配給会社、劇団、バンド、まで裾野を広げればもっとたくさんなくなっていってる。
リスクばかりが目立っている中で。
僕は挑戦をしている。
一人で小道具の製作をちまちまやったりしている。
いつか2020年よりも前の状況に戻るに決まってる。
人類はこれまで全ての疫病に打ち勝ってきたのだから。
その時、僕は胸を張っていたいから。
それがいつになるかわからないけれど。
この状況で自分に出来る最大限の挑戦をしなければ。
もう僕は何も出来なくなってしまう。
あの時に逃げ回ったという記憶を抱えては走れない。
なんだか来週早々、再びの緊急事態宣言になる。
借りている稽古場の時間も変動があるかもしれない。
撮影時に借りる車両も、営業所が時短営業で余計に長く借りなくちゃいけない。
あれもこれも、予定外の問題がたくさん見えてくる。
けれどいつか。
世界中のスクリーンを灯すんだ。
アップリンク渋谷に通った日々のように。
もう一度、お客様に出会うんだ。
誰かにとって特別な作品になるかもしれないじゃないか。
熾火でもいい。
絶やすな。
火を。
小野寺隆一