無為の水平滑空
vol. 211 2021-04-16 0
全員公開の日。
限定公開のアップデートを毎日あげている。
昨日はロケハンに行ったという報告だったのだけれど。
そのロケ先に木彫りの鷹が飾られていた。
ちょっとドキリとした。
先日、ここに稽古場にあった木彫りの鷹の写真をアップした。
恐らくそれと同じものだったからだ。
木彫りの熊のように、よくあるものには見えない。
その後、ロケ地への車での移動時に目の前を鷹が通り過ぎた。
ノスリか、ハヤブサか。
猛禽類のタカ科であることだけは間違いがない嘴と滑空だった。
意外に都心部でも少し郊外に出れば低い確率とは言え鷹を見かける。
それでも木彫りの鷹の偶然の一致を見かけたばかりだったから不思議な気持ちになった。
鷹は吉兆だよな。
そう思うことにした。
初夢の吉兆は一富士二鷹三茄子というじゃないか。
そんなふうに受け止めた方が前向きでいいなと思った。
そしたら、また偶然にも車移動で一緒だった中野圭が今年の初夢の話をした。
これはなんの符牒だろう。
ただの偶然だけれど、その偶然にきっとメッセージが詰まってる。
僕たちは毎日メッセージを受け取っているけれどその多くを見落としている。
吉兆というにはあまりにも暗い曇天と雨、疫病と外交のニュースに囲まれている。
世の中がネガティブな報道で溢れている中で、僕はピィという鷹の鳴き声を聞いたのかもしれない。
撮影日の車両についての確認やその他色々な確認をしている中で。
とあるベテランのスタッフさんから連絡が入った。
数々のすごい作品の現場にいた助監督さんだ。
もし偶然でもスケジュールが空いていたらと以前にお願いして無理だった。
ただお声がけしたし、これもご縁なのでと脚本を送っていた。
忙しい中で、中々時間も作れなかったと思うのだけれど読んでくださってのご連絡だった。
とても長文の感想をいただいて、決定稿に向けて大きな勇気をいただいた。
僕がやろうとしていることを強く理解してくださっているとすぐにわかった。
ロケハンを終えて最後に決定稿を出す。
もちろん撮影や編集でまだ変更はあるかもしれないけれど。
撮影に向けてという意味では最終稿。
そこに何を追加して、何を削るべきなのか。
何を面白く、どこを強調するべきなのかが自分の中でも光の道のように見えてきた。
この状況下で様々なものが終わってしまった。
僕の所属する劇団が解散しただけじゃない。
いくつもの劇団やバンドが解散を発表している。
完成している映画でさえ公開を延期し、製作中の映画も撮影が止まっている。
表現の場だけではなくて、商店街を歩けばかつてあった店が閉店していたりする。
終わったってまた始めればいいのかもしれないけれど。
一度止まってしまえば、再び動き始めるのに倍以上の力が必要になる。
まだまだ青かった日々。
初期衝動でやってやるぞと走り始める。
その衝動が落ち着いてきた時に僕たちはくじけそうになる。
衝動だけで創作は出来るけれど、衝動だけで継続は出来ない。
創作は喜びと共にたくさんの苦しみも運んでくる。
自己肯定と自己否定と自己矛盾の間に立ってもがく。
案外苦しんでいるのは、そんな世代なのかもしれない。
ただでさえもう継続するのは難しいと考えている時に疫病禍がやって来たのだから。
まだ若さという名の衝動が残っている人とは違う体力が必要なのかもしれない。
もっと根源的な表現に向かうための衝動を自らの内側に見つけないと進めないだろう。
「我々は試されているのかもしれませんね。」
お互いの作品の健闘を願う中でそんな言葉をいただいた。
まったくその通りだ。
ワレワレハタメサレテイル。
こんな状況下でも折れぬ何かを腹に持っているかどうか。
多様性を認めようという言葉ばかりのスローガン。
性や人種のようなお題目がなきゃ簡単に不要不急と切り捨てられたことは忘れない。
国会議事堂や東京都庁を創った建築家も、その座る別珍の椅子も、赤い絨毯も、スーツやネクタイでさえ。
表現という同じ地平に立つ者がいるから今も存在している。
新しい国立競技場は芸術的な景観をしているけれど不要不急だっていうならただの蒲鉾型の体育館にするべきだったぜ。
街をみよ。
不要不急で溢れてる。
僕たちは豊かに生きる権利がある。
その豊かさを資本だけだと思っているのだとすればそれこそ貧しいことだ。
目を見開けば見えるはずだ。
豊かで、人の心を動かすような、創作者たちの想いが。
料理人のちょっとした心づくしに気付かないようなことこそ、貧しいことだ。
機能性に隠されたデザインを見落としているようなことだ。
細心の注意は払うさ。有用な何かよりもずっと。
僕は不要不急という言葉を今も1mmも認めない。
強い意志を持って進む。
そんな僕でも鷹が目の前を横切るだけで吉兆だと信じる。
運のようなものにすがり、神頼みをする。
鷹など、ただの鷹だ。
自然界に生きる自由な鳥だ。
偶然、僕の目の前を飛んでいっただけなのに。
かつて誰かが一本の丸太から鷹を彫刻した。
あるがままの自然の形を、今にも飛び立たんとする鷹へと加工した。
低く一直線に滑空する鷹をその人は観ただろう。
長い時間をかけてでも木を削りだしたその想いはどんなものだったろう。
偶然が偶然を呼び、同じ彫刻が二体、僕の目の前に現れた。
あいつが見た初夢は僕が現場でもう一度みせることにする。
ワレワレハタメサレテイル。
そこに祈りがあるのか。
そこに願いがあるのか。
そこに想いがあるのか。
小野寺隆一