犀角の才覚
vol. 204 2021-04-09 0
ロケハンの日程が確定した。
撮影部、照明部が同行してくれる。
ここで撮影打ち合わせも出来ればと思っている。
あのロケ地にもう一度足を運ぶ。
本当なら美術班もいるべきなのだろうけれど。
それも考えて中野圭に車で一緒に行ってもらう。
僕の知らないことも中野圭は知っているから。
僕が一人で行ったロケ地の下見とはまるで違ってくるだろう。
撮影機材もここで下見をすることで固まっていく。
ここならどんな撮影が可能か、どんな画角が必要か。
照明はどこまで仕込まないといけないか。
そういう技術的な確認もすることになっていく。
ロケハンを終えれば。
衣裳類のリストアップ。
美術の大道具、小道具のリストアップ。
そして、準備稿から決定稿への最後の改訂からの台本入稿。
本来なら分業で行われるであろうことをやれる限り自分でやっていく。
まるで修験者のように、もくもくと独り進む。
今のところロケハン日程が雨天なことだけは心配だけれど。
まぁ、撮影日に晴れてくれればそれでいいさと開き直る。
下見は冬だったから、すでに新緑になり水田には水が引かれているだろう。
山の色だって変わっているはずだ。
雨も含めて新たな景観がイメージを更に豊かに拡げてくれる。
逆に雨の景色を撮影してくなることだってある。
技術的なこと、撮影の打ち合わせ、それにも増してイメージの拡大。
挨拶なんかもしなくちゃいけないところがあるだろう。きっと。
筍を食べる。
春の味覚。
例年よりもずっと早く筍が出てきているらしい。
やわらかかった。
なんでこんなに大変なことを独りでやろうとしているのか。
もうすでによくわからなくなってる。
やるためにやるのではないかと不思議に思う。
直感的に今だと動き始めたタイミングでもあったはずだ。
案外、こんな時期でも自ら動き出す人はいないんだと知る。
才能をセンスのことだと言う人がいるけれど違うような気がする。
結局、才能とは夢中になれるかどうかなだけだ。
セブンガールズを製作した時もこんな感じだった。
夢中で映画製作に邁進した。没頭した。
公開できるかどうかすらわからないのに何かが変わると信じていた。
それまでになかったような展開がその後に待っていた。
きっと同じことなのだと思う。
今、何かをするべきだと僕の内側から声が聞こえた。
そしてもう一度僕は夢中になっている。
もっと先へ。もっと向こうへ。
何も変わらない。
まだ映画「演者」は僕の頭の中にしかない。
脚本という地図はあるけれど、その全貌がわかる人なんかいるわけがない。
こんな時だからじっとしていようという人もたくさんいる。
それはきっと正解なのだよと僕は思う。
でも逆にこんな時こそ、何かを創作しようという人がいなくちゃいけないだろうさ。
僕たちの心に重くのしかかる暗雲を感じながらのリアルタイムにさ。
それが出来ないなら、目をつぶっているのと変わりゃしない。
この心のまま、何かを絞り出すんだ。
僕の頭の中ではとんでもない傑作なんだぜ。
稽古場の役者たちの息遣いを思い起こしながら僕はロケ地に立つだろう。
その時に見えるのはすでに映像なのかもしれない。
まだ世の中の殆どの人が知らない。
こんな映画が生まれようとしている。
誰も観たこともないような映画だ。
でもどこかで感じたことがあるような映画だ。
撮影日がじりじりと迫ってくる。
小野寺隆一