足が前に出る理由
vol. 197 2021-04-02 0
週に一度の全員公開の日。
毎日、限定の製作日誌もを更新しているけれど。
その中で一歩ずつ一歩ずつ進んでいる。
今日もまた一歩だけ前に進んだ。
でも週に一度だけ読む人には一気に進んでいるように見えるかもしれない。
すでに本読み稽古も終わり、スタッフィングも固まりつつある。
念願だったスタッフさんに意を決して連絡する。
嬉しいことに色よいお返事のメールをいただいた。
スケジュールに少しだけズレがあるけれど問題ないと思っている。
実現するといいなぁ。
去年の今頃は緊急事態宣言直後だった。
不安ばかりを刺激するような日々。
6月の舞台は不可能だという方向に話し合った日々。
今、もう一度緊急事態宣言が発令されて解除されたばかりだけれど。
相変わらず感染者数は微増している。
関東より早く緊急事態宣言が終わった関西では、新しくマンボウなるものが発令される。
マンボウとはなんなのか、これまでと何が違うのか。
まだ僕の中できちんと整理すら出来ていない。
劇団であるとか、インディーズバンドであるとか。
この国では個人が自分たちで思い思いに発信する文化が根付いているけれど。
それが根こそぎやられてしまった。
観客を集めて何かを開催することに大きなリスクが出来てしまった。
出演者に一人でも体調不良がいれば開催中止をせざるを得ないという状況。
自分たち内部ならまだしも、不特定多数のお客様を集めての開催は際どいギリギリの端に立つようなものになってしまった。
そのリスクを背負った上で開催出来るか出来ないかになってしまった。
文化庁の支援策の多くは法人であることが前提のものが多い。
個人では抱えきれない負債になる可能性を加味した上での挑戦になってしまう。
これまでも興行というものは、いずれにせよ水物ではあった。
何かの事故で中止になるリスクというのは常に付きまとっている。
それに観客動員が伸びなければ赤字に簡単に落ち込んでいく。
そのリスクを抱えきれるか常に計算しないと維持することは難しい。
僕たちは劇団でそのリスクを分散して、劇団員で持とうと話していた。
その上で赤字転換しないように細心の注意を払っていたはずだ。
それでも今、劇場には行きづらいなぁというお客様を否定することはできない。
無理に舞台に誘うことはむしろ害悪のようにも感じられる。
この状況では個人で分散してという形では厳しいと思う。
誰かが、僕の主催でやります!と責任を背負う形が望ましいのだと思う。
大きなカンパニーや、法人主催の公演がどんどん多くなってしまうけれど。
二度と活動できないほどの傷を負ってしまう可能性だって常にそこにある。
春になってプロスポーツが開催され始めている。
国際試合も世界各地で徐々に開催されるようになった。
東京五輪に向けて、聖火リレーも続いている。
もちろん観客上限数という規制はあるのだけれど。
この状況はかなり、お上からの中止命令が出づらい状況だとは思う。
マンボウというのはどうなのだろう?
関西でのプロスポーツの試合だけ時間制限などをかけたりするのだろうか?
プロ野球やサッカーだと不公平が生まれてしまう。
僕が読んだ記事ではそういう規制はあまり見当たらなかったけれど。
何人かの仲間を誘って舞台をやりたいなぁと考えたりもするけれど。
もしそうなった時に責任の所在を考えてしまう。
もう劇団ではないのだから、赤字になった時の責任を分散しようと誘うことは難しい。
仮にそれが出来たとしても、だったら今じゃないだろうという意見が強くなるだろう。
じゃあ、僕個人が責任取るからやろうぜ!ということに出来るのかどうか。
大金持ちの家にでも生まれていればできたかもしれないけれど。
やはりリスクが少なくて、なおかつ活動できることを考える方がベターだと思う。
というか、そんな風に仲間と何かをやるのは大抵、酒席で生まれる勢いが必要だ。
一緒にユニットでもやろうぜ!という話が出て、盛り上がりでもしないと厳しい。
その酒席がないような状況では、悶々と想像することしか出来ない。
まぁ、それは古い体質なのかもしれないけれどさ。
それともなきゃ、何かやってよとスポンサー的な何かが現れるかしかない。
あるいは数人のユニットやフリーランスでどこかの主催公演に参加する形だ。
音楽やお笑いなどは、ライブハウス主催のイベントもある。
演劇もあることにはあるけれど、かなり限られている。
演じ手たちにどんな道があるだろう。
表現したい人の立場だけで考えてそうなのに。
僕たちには待ってくれている人たちだっている。
3月21日に関東の緊急事態宣言が開けてから今週末で2週間になる。
ほとんどの専門家たちが第4波がやってくると言っている。
もしやって来たらそこから関東でもマンボウとやらが発令されるのだろうか。
この「演者」は僕が責任を持つという形で仲間に声をかけている。
ここからどんなことが起きるか見えないことだらけで眩暈がしてしまうよ。
だから僕なりに考えて今、出来ることを。
待っている誰かに一番安心した形で、届けられることを。
そして表現の世界にいた皆が止まることなく進める場所を。
それがこの撮影なのだと信じて進むしかない。
稽古も撮影もリスクはあるけれど、お客様との接触はない。
お客様へのリスクは限られている。
乾坤一擲。
今、出来る最大級の表現を。
僕が僕の責任でやり通す。
それは30年も演劇の世界にいた答えだ。
そして僕たちは何よりも僕たちの目の前にいたお客様に届けてきた。
その顔が見えている。
その視点を常に持っていることこそ、僕たちの誇りだ。
小劇場のやり方で映画を創る。
責任も分散させない。
仲間たちにはたくさん頼るけれど、それも全て背負う覚悟で。
そう思えば一歩ずつでも前進できる。
小野寺隆一