稽古スケジュールの確定
vol. 176 2021-03-12 0
役所に行って施設利用団体登録をする。
ネット上で申請が出来ると書かれていたのだけれど。
仮申請までで、結局、その画面からプリントアウトして捺印して持っていく必要があった。
これで窓口に行って提出して、いつ発行されるのだろうと思っていたらその場でカードの発行になった。
カードが発行できればすぐにでもネットで施設利用申請が出来るようになるはずだ。
最初はネットで手軽にできると思っていたら、案外、手間がかかるとわかって。
これはちょっと借りる段階までは時間がかかりそうだと思っていたらそうじゃなかった。
帰宅してすぐにネットから施設利用申請をする。
発行直後でも確かに予約が出来た。
今は緊急事態宣言下で、定員の半数までしか入場できない。
とは言え、そこまでの大人数でもないから特別に問題はない。
21日まで延長になったから、稽古をするのはどうするのか悩んでいた。
移動だってしたくない役者がいるかもしれない。
それでも広いスペースで、ゆったりと話せるならもうそろそろだ。
去年の10月が解散した劇団の最後の稽古だった。
それまで20年以上、毎週稽古場に通い続けた。
それが僕たちにとっての日常だった。
顔を合わせるから、物事は進むのだと思う。
顔を合わせなければ、進んでいるのかもわからなくなる。
3月中旬から稽古開始と皆に言っていた。
前日に場所の確保が難しそうだからリモートで話そうかと連絡したばかりだった。
全員じゃなくても顔を合わせることが動き始めることになるからだ。
僕は一つ一つクリアしていくしかない。
まずロケ地を確保して。
その中で予算を決めていって。
ロケ地を下見した上で、稽古に使う準備稿を用意して皆に配る。
稽古場を押さえるとすればそれからだった。
そうじゃなければ、稽古場で稽古する台本がないということになる。
ロケ地の下見をしないと、脚本の改訂は進まない。
じりじりと焦れるなかでようやく集まれる日まで来た。
と言っても今週はちゃんと稽古するという形でもないと思う。
少し読み合わせをしたり、脚本についての質問を聞いたり。
今まで通りの舞台が始まる最初の頃の稽古場での会話のようなものだ。
そういう時間が意外に大事になる。
飲み屋でだらだらと話してアイデアが降ってくることもあるけれど。
大人数で集まって話すのはまた少し意味が違う。
最近は会社での会議が無駄だ!なんていうのを見かけるけれど。
会議っていうのとも違うし、もしかしたらエンジンを温めるようなことかもしれない。
リブートだ。
とか何とか言っているけれど。
なんだかんだ皆の顔が見たいだけなのかもしれない。
マスクをつけてるけどさ。
20年以上、運命共同体だったのだから。
こんなに長い間、顔を見ていないなんてことがなかったんだしさ。
せいせいしたぜって思う部分もあるにはあるんだけどさ。へへ。
全然、芝居とは関係ない部分というのはやっぱりあるのだと思う。
あまりしゃべらない無口なやつでも、そこにいるだけで違う。
ああ、今週、またやつらと会うのだなあと、今、不思議な感覚になってる。
どうせすぐに芝居もしたくなる。
僕たちは長い長い夢を見ていて、今、その夢から覚めたのだろうか?
この20年以上の時間を僕たちはどう感じて、どう思えばいいのだろう。
馬鹿みたいに笑った日もあったし、何人もの連中が涙をぼろぼろ流した。
なんだかんだ言い合いして喧嘩して、仲直りもした。
ただ芝居をやってた日々なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
その膨大な時間を僕たちは簡単に否定することも肯定することも出来る。
とっても楽しかった日々としてタンスにしまうことだってできる。
でも別に思い出作りをしていたわけでもないし、誰かのためだったわけでもない。
僕たちは僕たちの未来を自分で創るために運命共同体としてそこにいたはずだ。
確かに積み重ねてきたものだってあるはずだ。
いつか去っていった仲間たちの残した思いも背負っていたはずだ。
長く一緒にいたからだろうか。
不思議な共通の価値観を持ってる。
あのシーン良いよなぁと稽古場で思っていれば大抵の連中が同じことを思ってる。
あ、今日の稽古であのシーンがすごく変わったなって思っていれば、それも同じだったりする。
好き嫌いに違いはあっても、良い悪いはどこか共通してる。
皆で納得して、良い作品に仕上がったね!と満足できるまで進めるといいなあ。
稽古をしてもしても、稽古が足りないと思ってしまう部分があったとしても。
いつかの若い日に何が良くて何が悪いか何が面白いかもわからなくなった僕はもういない。
それはきっと僕一人で出来た価値観じゃない。
僕は脚本を書いて、監督をするけれど、別に偉くもなんともない。
関係性はフラットだ。
むしろ、ちょっといじられるような予感がするよ。
僕は僕の責任を果たして、皆は皆の出演する責任を果たしてくれたらいい。
舞台版「演者」の時も、積極的に役者の意見を聞くようにした。
その一言が作品を強く、そして深くすることを知ってる。
今回も舞台の時と同じように、役者の意見をどんどん聞く。
目を見ればわかることもある。
あ、こいつさては今週エヴァ観に行くんだな!とかもわかる。
なんかあったな。触れないでおくけど。とかもある。
そんな人が自分の人生に存在していることに感謝する。
世の人が僕を幸せに見えないと言ったとしても、笑い飛ばせるね。
結局、人は孤独だと思う、それは。
一人で生まれて、一人で死んでいく。
自分自身を完全に理解できないのに、誰かが完全に僕を理解できるわけがない。
それでも、簡単には出会えない人たちに僕は何人も出会ってる。
それが幸せなのかはわからんけど、僕の中にこいつらがいることだけは確かで。
僕は結局、究極のところ孤独だとしても、僕の心の中にはたくさんの人がいる。
僕たちは長い長い夢を見ていたんじゃない。
現実にある世界の中で、自分の肉体で歩いてきた。
まだ悔しい思いをさせるのかよとつぶやきながら。
そして確かに見つけたのだと思う。
もうとっくに僕たちは価値あるものを見つけていた。
面白いもの、良いもの、僕たちがみつけたものがある。
それは夢だとか、そんな曖昧なものじゃなくて、具体的なはっきりしたものだ。
この価値あるものがもっともっとわかるように届ければいいだけだ。
胡麻化さずにそのままさらけ出せばいい。
今週、どんな顔でもう一度みんなと会うのだろう。
全員が集まるわけでもないけれど。
まあたかだか数か月ぶりだし、大して懐かしくもないのだけれど。
遅すぎることなんか何もないよ。
むしろ、ここからが本番の始まりさ。
感動したい。
お客様は知らないと思うけれど役者は稽古場や本番で感動するんだぜ。
背筋を電流が走るんだ。
わあああ!すげぇの出た!!って。
その瞬間を待ってる。
皆から。自分からも。
そしてそれを映画にする。
はじまる。
小野寺隆一