新月の夜に、整理がつかないいくつかのこと
vol. 148 2021-02-12 0
週に一度の全員公開の日がやって来た。
先週から大幅に進んでいたらと願っていたけれど。
その場で足踏みが続いている。
やはりロケ地の確保が決まらないと詳細な部分で進まない。
ここを乗り越えないことにはなんともだ。
前回も撮影前の最大のミッションの一つだったように。
何も進んでいないようだけれど、こういう時期があるのは仕方がない。
そしてこういう時期に頭の中で考えたり感じたりしていることこそ重要なのだと思う。
現在、世界やこの国で起きていること、日々感じていること。
そういうことが作品と繋がっていくのはこういう時期があるからだと思う。
自分の生活や、日常の中からにじみでてきたものがないといけない。
そのためには、日々感じ続けること、思うこと、そういう時間も必要で。
そういうものの全てが繋がって爆発する瞬間を待つことが創作なのだと思う。
時に映画や演劇などの創作作品は、信じられないような偶然を生み出す。
まるで未来を予言したかのような作品が生まれてしまう。
最近では、AKIRAがまるで預言書のようだなんて騒がれたけれど。
それは必然なのだと思う。
作家が無意識のレベルで世界と繋がっていればそういうことは起きる。
自分の肉体から生まれる言葉は全て生きている今に接続されているのだから。
全ては繋がっていくのだと僕は思う。
だから閉じ籠っちゃいけないんだ、想像力だけでも。
今回の「演者」にはいくつかのテーマを置いているのだけれど。
ベースとなる部分に日本の家父長制を強く反映させている。
今、日本も世界も大きな変革の中にあると感じているけれど。
家父長制というのはとても根っこの部分にある大きな問題だと思っていて。
それが未来への枷となるのか、それとも別の考え方を持つべきなのか。
映画の中で答えを出すとか問題提議をするつもりもないのだけれどそこに当たり前に存在させている。
儒教的な思想で、年配を敬うとか、先祖を敬うということがあるけれど。
そういう思想が生まれる前から、かなり根強く生活に組み込まれてきたものだと思う。
村の長老とか、集落の酋長とか、伝統芸能や古武道でも、年寄への崇拝は存在していて。
それは実はこの国の社会システムにも組み込まれている。
それこそ象徴としての天皇制の男系だってそうだし、世襲議員たちの家だってそうだ。
高度経済成長期以降、中流階級が圧倒的多数となって核家族化してから、そういう感覚がどんどん薄れていった。
実際、僕も中学校に進学した瞬間に、先輩後輩という縦の関係に急に抑圧されて、あれ?たった1~2年先に生まれただけでなんでこんなにえばるんだろう?なんて思った口だ。
父や母はどちらも4人兄弟で上の兄弟の方が多いから、年功序列というものを僕よりもきっと生活に根差した感覚で持っていた世代だと思う。
父は祖父に敬語を使っていたしさ。僕は父に敬語で話しかけたことがないしさ。
それでもまだ僕が演劇の世界に飛び込んだ頃ははっきりと年功序列が残っていて、先輩、後輩というのが明らかにあった。
その僕の世代の子供たちにとっては年功序列なんて、もう過去の遺物かもしれない。
あれから数十年も経過しているのだから、年功序列なんてもうどんどん希薄になってきていると思う。
社会のシステムには存在したまま、現在を生きる人との感覚と乖離していってる。
年功序列よりも実力主義の方が合理的だというのはすごくわかる。
大企業を除けば終身雇用制なんて壊れつつあるのもとっても現代的な現象で。
ただそればかりが正しいというのもどこか違うような気がしている。
自分が老人になってからこれを口にしたら、ちょっといやだなぁと思うから今のうちに言えば。
高齢化社会を迎えて、どこか年寄は荷物のように表現されることが増えてきた。
なんだか人間を生産性で考えているような気がしてそれはすごく寒々しい世の中なんじゃないかと思う。
古い考え方と何もかも切り捨てていく合理性は、大事な何かも切り捨ててはいないだろうか。
歳を重ねた先輩方の智恵を侮り過ぎてはいないだろうか。
僕は最初の核家族の世代だからやっぱり年功序列というものにはどこか違和感を感じてしまうけれど。
逆に、子供と名前で呼び合ったり、友人関係のようだというのにも違和感を感じたりする。
どっちつかずで、やれやれと思うのだけれど実際にそうなのだから仕方ない。
まあ、違和感ぐらいだからいいのだけれど。
中には嫌悪感をもつ人もいるようだし、なんだかとても難しい狭間に立ってる気がする。
ついこの間までこの国には一般家庭のレベルでも厳然たる家父長制が当たり前だった。
もちろん、今もそういう家庭が世の中にはたくさんあると思う。
社会のシステムの中にもそういう部分はあるし、旧家にも残ってる。
一方で、核家族化は進んで、インターネットの普及で個人化まで進んでる。
そんな時期に、アメリカの大統領は歴史上最高齢だという。
日本の政治家の定年制も何度も議論に上がってる。
例の委員長の問題なんかは、実はとっても小さな問題だよなって思う。
どうせ当たり前のように軽薄なコメンテイターたちが老齢蔑視発言をするのだろう。
そしてそんな中で、医療関係者の次に高齢者からワクチンの接種が始まる。
僕はうまく整理がつかないまま。
少なくとも高齢だからと言ってお荷物扱いだけはしないようにしたい。
それはいつか来る未来で、自分がお荷物になるという考え方だからだ。
まだまだ先の話だけれど、僕が年を取る頃には元気なジジイが活躍する国であってほしい。
僕自身の頭の中で答えが見つからないから。
映画の中でそのまま答えも出さずに、存在させていく。
社会のシステムと個人の関係性は全ての映画にとってのテーマなのかもしれない。
クラウドファンディングが終わって初めての新月の夜。
古い考え方とか、新しい考え方とか。
そういう区切り方をしていてはいかんなと思っている。
最近はやりの「意識のアップデート」なんてしないでいい。
どうやって積み重ねていくかだ。
見ろよ、太陽も月も何度も繰り返してらあ。
そして本当の個人の尊厳がどこにあるのかをちゃんと探すことだ。
きっとこんなことを感じていることが全て映画になる。
でも、若い奴らはすげーなーって思ったりもするんだよな。
それとこれとは別か。
新しく月が生まれ変わるよ。
想像せよ。想像せよ。
全てが繋がるはずだ。
小野寺隆一