作る芝居。音楽。
vol. 27 2020-06-28 0
6/27「ゑゔゃんげりよん」の通し「シン・デレラ」の最終通し
もはやルーティン、朝から「ゑゔゃ」の稽古をし、昼過ぎから通しを行った。
舞監の村雲さん、照明の國吉さん、音響の鷹取さん、衣装の山口さんも参加。
鷹取さんは、昨日ゑゔゃの通しをみて、今日、音をたらふく準備してきてくださった。
まじで、すごい。マジでたらふく。
ふざけて、とお願いしたらとことんまでふざけてくれる。最高す。
通し後、村雲さんや國吉さん、とも打ち合わせ。衣装の山口さんも、無い時間を作って手伝ってくださってる。
いやてか、一人一人上げるときりがないが、この計200分ほどの作品群に付き合ってくださっているという時点で、座組全員に土下座である。
マジで感謝。
夜は、「シン・デレラ」の最終通し。
安定感。でもこの安定感がなんか嫌だなとか思うのは天邪鬼か。もう少し、不安定を。
いやでも、このお話を、今上演するとどうなるのか。上演が楽しみだ。
後は小屋に入って遊ぶのみ。
◇
少し脱線したように感じるかもしれないが、今日帰り道、劇団員のサトシさんと藤屋と、主役の芝居、について話した。
いや、この言い方は、語弊を与えるかもしれないので、ここでは少しいいかえると
テンポを作る芝居とテンポに合わす芝居
と言えるのだろうか。
いや、厳密にはもうちょい違うニュアンスなのだが、そういってみることにしよう。
どういうことか。
多人数の時、テンポを作る芝居をする人間が一人いれば、物語は転がりやすい。
その人にあわせればいいのだから。
二人以上いる場合、軸はぶれる可能性はあるが、盛り上がりも増やせる。演出次第で。
ただ、このテンポを作る芝居をする人、しかいなかった場合、場が混乱する。ぐちゃぐちゃだ。
では、テンポに合わす芝居の場合どうか。
一人いれば、物語への没入度があがる。説得力が増すのだ。
二人以上いれば、空間の扱い方は難しいが、物語に厚みが出る。
ただ、このテンポに合わす芝居の人しかいない場合。
テンポがなくなり、物語が進んでいるように感じづらい。
良し悪しではある。
どちらもいいバランスでいることが、一つ、作品を作るうえで大事なことなのかもしれない。
そんなことを考えた。
これがどう、という話ではない。
ただこれらは、個性ではなく技、だと僕は思う。
ではどうすれば、出来るのか?伝えられるのか?考える。
◇
僕は、音楽が好きだ。
それは、コアな音楽が好きだ、ということではない。沢山アーティストを知っているわけでもないし、特別、楽器が弾ける、というわけでもない。
でも、音楽が好きだ。
これを書いているときも何かを聞いている。星野源も聞くし、リップスライムも聞くし、ハンバートハンバートも聞く。
コアかどうかではなく、音楽が好きだ。
それが文化だ。
人がどうとかではなく。
誰かが言っていたではなく。
個人の何かになっているもの。
それは、救世主のこともあるが、破壊者のこともある。
文化。
あなたが好きならそれは好きだし、あなたが良いならそれは良い。
今演劇を作っている。
この作品が、誰かの好きに良いになれるように。
何かに、なるように。
明日も頑張ろう。頑張れる音楽を聴こう。
次は、最終稽古だ。
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劇団藤一色
加藤広祐