俳優の軸、作品の軸
vol. 4 2020-06-05 0
6/4「ゑゔゃんげりよん」一日稽古。
この作品タイトルは「ゑゔゃんげりよん」であり「えゔゃんげりよん」ではありません。あるまじきことではありますが、僕自身が昨日のアップデートで誤って使っておりました。深く謝罪申し上げます。ごめんなさい。
さて!今日は、丸一日、「ゑゔゃ」稽古。
参加できていなかった劇団員の藤口圭佑のシーンも組み立てつつ、ほぼ全シーンをひとまずさらった。
さらに各シーンの面白さを膨らませるために、この作品の構造についての話し合いも行った。役は知らなくてもいいが、役者が知っていると、演じるうえで、アウトラインが見えやすくなり、それに応じて、やれることも増える。
劇団員の藤澤サトシと藤口圭佑は、どちらも、別ベクトルで何を考えているかわからない。けれど、それがうまく作用する場面がいくつかあり、バカほど面白かったので、もっとおかしくしたい。
◇
せっかくなので、この機会に主宰の遠藤遥風(以下遠藤さん)の俳優について。
藤一色のほぼ全脚本を担当しているのが遠藤さんである。脚本と同時に俳優もほぼ毎回行っている。
その遠藤さんの面白さをやっと今日、軽く言語化出来た。
あるシーンで遠藤さんに僕の代役を頼んだ時に、遠藤さんが軟体動物もびっくりのグニャグニャ加減で舞台上に出てきて、舞台上にただただ転がるシーンをした時。
僕は「遠藤さんは軸がないから、最高に面白い」と表現した。
しかしそれは正確には、軸がないのではなく
相手役に、本当に文字通り、全てを預けた結果だということに気づいた。
舞台上では、一人で完結してしまう表現ほど、つまらないものはない、と僕は思う。(例外もある)
誰かに影響を及ぼして、影響を及ぼされて初めて、人間の人間らしさが表出すると考えている。
そこでいくと、遠藤遥風は全てを相手にゆだねるのである。つまり、無責任なほど相手役に影響を及ぼす。
僕が演出するとき、僕のやり方を基本全て尊重してくれるのも、その性格的なところからきているのであろう。
俳優は舞台上でしばしば、孤独や不安により、一人で芝居をしてしまう。
俳優の僕にも、もっと無責任な芝居を求めたい。
◇
客席とはなんなのだろう。
舞台上で嘘をつくなと、度々言われる、し書かれる。
嘘をつくな?となれば、客席が見えている状況でこんなセリフが言えるものかね?とかをよく考えていた。
その一つの道が最近見えてきた。
客席とは、他者の視線である。
人間は生きながら、色々な視線を気にして生きている。
街を歩くと、他人の存在が目に入る。
「あの人の服はこうだな」「あの人の歩き方はこうだな」
そして、それは、翻って自分に返ってくる。
「今日の服は大丈夫かな」「この行動は変じゃないかな」
他にも
「この行為をすると、誰かが傷つくかもしれない」
とか
「この格好は誰かに嫌われそうだ」
とか。観てくる本人不在の場所で勝手にその人の視線を作り上げることがある。
役に取って、観客の視線はこういう類のものなのだろう。
今日の稽古場でも話した。
「客席ってなんなんだろうね」
この関係性を詰めることが、演劇が演劇たる理由の一つなのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
劇団藤一色
加藤広祐