サカルトヴェロから考える 6
vol. 16 2023-08-12 0
第6回
さて帰りの飛行機。私は一人、カタルーニャでの所用をこなし2日遅れで東京にむかう。Air Franceもいまシベリアを通れない会社なので数年前までとは違ったルートでパリと東京を繋ぐ。そう黒海のぎりぎり安全なラインで東を目指す。搭載の地図を開く。トラブゾーン、バトゥーミ、セナキ、ソクーミ、クタイシ、トビリシ、今回のチームが多少はなじんできたこの地域の町の名がある。帰りにバトゥーミへ向かう途中、バスがパンクして立ち往生した何もない原っぱのちょっと北の集落コブレティまである。しかしその地図にない町がある。ポチ。
しかしポチの港がサカルトヴェロ経済を実は支えている。八月はバカンスだった。私たちの滞在した宿の目の前の道は閑散としていた。しかし九月になればまた南からトラックの列が数珠繋ぎになる。バトゥーミのすぐ南、サルピから国境を超えたトルコの流通会社のトラックは北へ、北へ消えていく。ほんとうに消えていく。自由貿易地区・自由産業地区というフェイクへとそしてその北へと。
日本を経つ前にある大使館に連絡をとる。来ないで欲しいと言われた。少なくとも何か起きた時に大使館はそこに自国民が行っていたことを聞いていなかったとする。と言われた。が同時に、何も起きないと思う、とも言われた。
私たちが到着した頃、ポチの町から海に注ぐ川の最上流部で大きな地滑りが起きた。しかしそれを報道の通りに「自然災害」と呼んでよいのか。首都では政府の責任を追求する集会も開かれる。その拡大をおそれて半ば戒厳令的に集会の禁止が通達される。私たちの予定公演日もそこにかかる。予定公演会場も政府管理のため責任者の地位を守るため使わないことにする。そして友人たちが唯一完全に管理する本拠地の劇場に潜んで、政府の意向に沿わない実行を地元役場が黙認してくれる言質をとって、上演は成し遂げられた。
ポチの劇場は壊れた旧本拠地の近くに小さな老建築を仮本拠地と割り当てられていた。元の大劇場に戻る日を何年も夢みて、戻った時に本格始動するはずの演劇祭を始めていた。昨年九月その夢を私は目の当たりにする。だから私が東京から紹介する作品は老建築から溢れ出る規模のものでなければいけなかった。が、私たちが準備するうちに、旧本拠地への立ち入り禁止通達があり劇場藝術監督がソ連時代からの名優から小規模劇場での経験しかない若造に交代する。どちらも中央からの決定。それに反発して夢を語る総監督は退任していた。退任しようが事実上まだ全てを取り仕切る。とはいえ今年の演劇祭の最後のステージが生まれ故郷を文化の中心の一つにする企ての一区切りであることに変わりはない。
今回の上演の意味を感じていた、私と総監督の共通の友人はミンスクから駆けつけてくれた。ベラルーシ最大の演劇祭だったはずのほんとうは今ないはずのしかし実はある演劇祭のプログラム・ディレクター。演劇とは場の共有でしかないし場を共有すれば鬪争を挑み続ける力がそこに生まれることを知っている女性。今回の上演の意味を感じていた、総監督の元指導教官は首都で政治家たちと渡り合ってくれていた。ソ連最末期から再独立・内戦・再侵略を生き延びてきている人。ソクーミからトビリシに疎開している劇場の藝術監督も人の紹介などいろいろと支えてくれた。このクラウドファンディングに賛同してくださったみなさまもお一人お一人がこの戦列に連なっている。
そんな真の地下潜伏。9年間まともな作品発表の機会を奪われていた女がいた。その間、故郷に現実の橋をかけ現実の劇場を整えている男がいた。その二人を引き合わせようとの企図。果たしてうまくいったのか。「ここに移らなくてはならなくなってから何年も経ってしまったが、今日の上演で始めてこの劇場と呼んでよいのかわからない建物がほんとうに劇場になった気がした。ありがとう。」カーテンコールに引き続いた場でそう舞台上で伝えられた。できないことは何もないはず、なのだ。そのための連帯。
ポチなどそこにはない。が、ある。