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筒井武文監督作品『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作をクラウドファンディングで実現!
戦後日本を代表する映像作家、松本俊夫の全体像に迫った筒井武文監督のドキュメンタリー映画『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作。本作を国内外問わず多くの方々に届けるために、是非ともご協力をお願いします!
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『映像の発見=松本俊夫の時代』制作・宣伝部。筒井武文監督による全五部作、700分のドキュメンタリー映画。 12月初旬から渋谷シアター・イメージフォーラムにて松本俊夫作品とともに上映決定!
戦後日本を代表する映像作家、松本俊夫の全体像に迫った筒井武文監督のドキュメンタリー映画『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作。本作を国内外問わず多くの方々に届けるために、是非ともご協力をお願いします!
今年4月に逝去した戦後日本を代表する映像作家、松本俊夫。その多彩かつ広範な活動を追悼する特集上映が12月に渋谷のシアター・イメージフォーラムで開催されます。その追悼特集の中心となる作品が、筒井武文監督の『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作。今回が初の劇場公開となります。
明晰な論理のもと、飽くことなき実験精神とユーモアを駆使して、戦後日本の映像表現を進化・拡張させた作家の半世紀に及ぶ軌跡を、筒井武文監督が11時間40分にまとめ上げた渾身のドキュメント。そこに記録された貴重な映像や証言の数々は、松本俊夫という稀有な人物の歴史を繙くと同時に、彼が駆け抜けた1960~70年代という激動の時代、さらには現在にまで連なるさまざまな社会的、思想的課題を浮き彫りにします。
現在、特集上映も含めた劇場用パンフレットなどを制作中ですが、資金が不足しています。日本の戦後史=映画史を繙く「知の宝庫」ともいえるこの刺激的な大作をひとりでも多くの方々に届けるためにも、本作にご賛同、ご協力いただける方を募集しております。是非ともご支援のほどよろしくお願いいたします。
この作品は、日本戦後映画史、映画批評史における松本俊夫の役割を検証する目的で制作されました。松本俊夫の活動領域に従い、Ⅰ記録映画、Ⅱ拡張映画、Ⅲ劇映画、Ⅳ実験映画、Ⅴ映画運動(映画批評)の5部作からなります。
これは、松本が映画、映像のジャンルをまたいで活動しながら、それらの役割を拡張、進化させた、世界でもほとんど例を見ない先端的な映像作家(こう名乗ったのも、松本が最初である)であることを示しています。そしてまた松本は、1950年代後半から、日本の批評活動の論理的指導者という側面をもあわせ持っており、63年に刊行された第1評論集『映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー』は、同時代の人々にとどまらず、映画を志すその後の世代の人々までと幅広く、バイブルと呼ばれるほどの影響力を与えました。
取材は、2003年から始まり、06年川崎市市民ミュージアム、12年愛媛県久万美術館における大規模な回顧展のドキュメントを含め、13年まで続けられました。松本俊夫とその関係者20名の証言は、松本の映像と批評活動のもつ意味にとどまらず、さらに日本の戦後という時代そのものを浮かび上がらせます。
第Ⅰ部 記録映画篇
松本俊夫の映画活動は、広い意味での記録映画から開始されました。1955年、新理研映画に入社し、実験工房、円谷プロと組んだ『銀輪』(1955)を皮切りに、59年にフリーになってからも、注目作をつくり続けました。そして57年に教育映画作家協会の機関紙に発表した映画人の戦争責任を問うた論文は、反響を巻き起こし、『記録映画』創刊へと発展しました。『安保条約』(1959)、『西陣』(1961)等は賛否両論に分かれ、徐々に映画を撮ることが困難になり、活動をテレビ、ラジオ、演劇に拡大しますが、そこでも問題が起こり、約3年半のあいだ、映像作品の活動が停止。そして67年『母たち』のベネチア映画祭グランプリで劇的に復活するまでの、松本俊夫の創作活動を松本とその協力者の証言で追ったものです。主な出演者は、藤原智子、観世栄夫、湯浅譲二、一柳慧、工藤充。プロデューサーの工藤がベトナム戦時下での取材をめぐって語る場面は必見シーンのひとつです。
第Ⅱ部 拡張映画篇
1968年から70年にかけては、日米安保や大学改革をめぐる大衆や学生の運動、映画においては映画祭粉砕、万博に対する反対運動が吹き荒れた時代でした。松本俊夫はそれらの運動にコミットし、作品としては、映像と観客との関係変革を試みた、エクスパンデッド・シネマに取り組みます。西嶋憲生によるエクスパンデッド・シネマ講義、高山英男、畠山滋による『映像の発見』出版裏話、佐々木守による松本俊夫と大島渚の関係をめぐる証言、かわなかのぶひろや波多野哲朗による時代をめぐる貴重な発言等、複数の声が社会のなかでの松本俊夫の立ち位置を浮き彫りにします。日本初の3面マルチ作品『つぶれかかった右眼のために』(1968)がこれらの証言とカットバックされ、当時の世相がそこに浮かび上がるのです。そして、時代は70年大阪万博へと向かっていきます。そこでの、せんい館『スペース・プロジェクション・アコ』(1970)での試みはいかなるものだったのでしょうか……。
第Ⅲ部 劇映画篇
長篇劇映画処女作『薔薇の葬列』(1969)は、松本俊夫のデータ・ベースともなる重要作です。ここでは松本俊夫が劇映画4作品を含む全作品に通底するテーマを語ります。そして、『季刊フィルム』誌に、15歳にして『薔薇の葬列』論を発表した中条省平が、『修羅』(1971)の撮影現場におけるエピソードを語りつつ、松本俊夫の時代に先駆けたセンスを語ります。その『修羅』の興行的失敗から、その後の松本は思うように劇映画が撮れなくなりますが、完成後3年間公開されなかった『十六歳の戦争』(1973)での製作中の困難を、助監督だった菊地滋、撮影の押切隆世が語ります。そしてようやく実現した長年の企画『ドグラ・マグラ』(1988)では、助監督の佐々木伯が撮影の鈴木達夫との関係を、金井勝が共同脚本の大和屋竺との確執を証言。また、松本本人に逆らうように、その映像快楽主義を語る坂尻昌平、作品相互間の関係性に着目する西嶋憲生の批評も重要です。
第Ⅳ部 実験映画篇
第Ⅳ部のプロローグでは、2006年当時川崎市市民ミュージアム学芸員だった川村健一郎が、松本本人を展示準備中の会場に案内します。実験映画を制作、理論の両面から牽引した時代を振り返る松本俊夫。実験映画篇では、松本のグラフ・コンテが紹介され、自らの実験映画が投影されるスクリーンの前で、自作の背景とテクノロジーを松本本人が語ります。『氣=BREATHING』(1980)では、解説を忘れて武満徹の音楽に聴き入るほどの没入ぶり。内なる情念と形式的実験がきわどい均衡を保つ松本俊夫の映像世界は、やがて80年代末に大きく変容します。作者本人が作中人物として登場し、東欧の崩壊による世界情勢の力学の変化を語り出すのです。ここでは、松本俊夫の複数化をさらに加速させ、長年の作品制作中断の意味を苦渋に満ちた言葉で語り出していきます。そして回顧展会場に舞台が転じると、そこには松本俊夫の遺作(!)が展示されているのです。
第Ⅴ部 映画運動篇
第Ⅰ部から第Ⅳ部までで、松本俊夫の創作活動の全容を追ったわけですが、第Ⅴ部は取材を通して起きた疑問の数々を解き明かすべく、2012年に筒井武文が取り壊される寸前の自宅書斎に松本俊夫を訪ねた、全体の補巻とも言えるパートです。加えて、同年に愛媛県久万美術館で開催された松本俊夫回顧展「白日夢」の展示がカットバックされます。芸術運動、映画批評、戦争責任、論争、万博問題、共闘し別れた同志、自らの創作活動について、松本俊夫は何を語るのでしょうか。プロローグでのアテネ・フランセ文化センターで行われた松本と筒井のトークの撮影がかつての盟友、鈴木達夫であり、その手持ち撮影の映像も見逃せません。この作品全体が松本俊夫の次回作実現のために撮られたことも付記しておきたいと思います。
松本俊夫プロフィール
1932年愛媛県名古屋市生まれ、2017年死去。映画監督・映像作家・映画理論家。東京大学文学部美学美術史学科を卒業後、新理研映画に入社し、〈実験工房〉のメンバーを起用してPR映画『銀輪』(1956)を演出。その後、『記録映画』『映画批評』などの雑誌で理論家として活動しつつ、『安保条約』(1959)、『西陣』(1961)、『石の詩』(1963)などの記録映画を手がける。1968年に松本プロダクションを設立、ATG(日本アート・シアター・ギルド)と提携した『薔薇の葬列』(1969)で劇映画に進出。その後『修羅』(1971)、『十六歳の戦争』(1973-76)、『ドグラ・マグラ』(1988)などの劇映画と並行して、『つぶれかかった右眼のために』(1968)、『エクスパンション=拡張』(1972)、『アートマン』(1975)など数々の作品を製作し、国内における実験映画やヴィデオ・アートの動向を牽引した。イヴェント「クロストーク/インターメディア」(国立代々木競技場第二体育館、1969)では、『イコンのためのプロジェクション』で直径4メートルのバルーン20個に映像や照明を投影、また大阪万博「せんい館」では『スペース・プロジェクション・アコ』(1970)でマルチ画面の映像制作を行った。主著に『映像の発見-アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(1963)、『映像の変革-芸術的ラジカリズムとは何か』(1972)、『映像の探求-制度・越境・記号生成』(1991)[以上、すべて三一書房]などがある。
松本俊夫追悼特集へ向けて
松本俊夫という存在
今年、松本俊夫さんがお亡くなりになるという思いがけない悲しい出来事があった。僕の学生時代(1970年代末から80年代初め)なら、映画関係者で名前を知らない人はいないという方だった。彼の最初の映画評論集『映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(1963)は、映画書のバイブルとして、必ず読んでおかねばならぬ必読書だった。この本を読んで、映画・映像の世界を目指した若者は大勢いたのである。実際、僕の少し上の先輩は松本俊夫を神のように尊敬していた。今の若い人はどうだろうか。知らない人の方が多い気がする。僕も当然読んではいたし、彼の劇映画作品『薔薇の葬列』(1969)や『修羅』(1971)を見て、単なるアヴァンギャルドとしての挑発だけではない、論理と情念がギリギリまでせめぎ合う、その映像世界に圧倒されもした。だが、当時の僕はお会いする機会がなかったわけではないのに、おそらく、あまりにも偉い方というイメージで遠ざかってしまった。大学を卒業し助監督稼業のなか、ついた監督が松本俊夫さんのお弟子さんだったにも関わらず。編集中などに、松本監督の話が出ることが多かった。松本さんは定規とコンパスで作画したグラフコンテどおり、一コマの狂いもなく仕上げたとか、実直で冗談を言わない人だとか、鉄壁の映画理論で論争では絶対に負けない人とか、いわゆる松本俊夫神話を刷り込まれた。打ち上げをやっても、お酒を呑まないで早く帰るから、誘っても面白くないね、という人もいた。僕自身、松本俊夫の助監督をやる可能性もあった(そのことは、第3部で触れてある)のだが、避けてしまった。
本人との出会いから制作へ
そうした松本俊夫像が打ち砕かれたのは2002年の暮れである。鈴木達夫キャメラマンのドキュメンタリー企画が僕のところに来て、その監修者として松本俊夫さんが適任という声が出て、恐る恐る研究室を訪ねたのである。そうしたら、松本さんは快く引き受けてくださり、映画界に入って以来のあれこれを語られた。「エエッ、ずいぶん聞いていた話と違うぞ!」そう思いつつ、その武勇伝を聞いた。それが面白いの、なんの。封建的な映画界で一番下っ端の助監督だから虐められた、それにどう対抗したか、とは聞いてのお楽しみ(照明部のボスから日本刀を突きつけらたとの話は、キネマ旬報の松本俊夫追悼特集をお読みください)。ときには自虐的な物言いが混じることもあれど、松本さん、ユーモアのセンスお持ちじゃないですか。その帰り道で、プロデューサーにこう宣言した。松本さんのドキュメンタリーも一緒に作りましょう。
そうして、2003年より撮影が始まった。明晰でありながら、ユーモラス。最近の松本さん、丸くなったという方もいるが、これで丸くなったというなら、最盛期(一体、いつか?)はどんなに凄かったのだろう。カミソリのような切れ味とよく言われていたとか。たとえば、一作品15分で、企画からテーマ、撮影まで語ってください、と頼むと、誤差15秒以内でぴったり収める神業に、この人の頭のなかはどうなっているのか、精密コンピューターとしか思えなかった。
しかし、そうして撮影が進んでいくうちに、これは松本俊夫ひとりを描くことでは収まりきれない企画であることに僕の鈍い頭でも気がついてくる。これは日本映画史をもう一度勉強し直さないといけない。『映像の発見』に収められた数々の論文も、初出の雑誌に当たって、松本論文の前後の記事をあわせて読んでいくと、これは凄まじいばかりの映画の成立条件を巡る闘いのドキュメントであることに気づかされる。どういうことか。
「映像」の発見
松本は映画表現が大きくは「フレイミング」「モンタージュ」「コンストラクション」の三要素によると説く。ここで、それぞれの新しさが、新たに融合されねばならない。これは70年代に初めて読んだときには、あまりに自明なこととして受け止めただけだった。だが、「記録映画」とはいえ、50年代に企業や官庁のPR映画を作っていた大多数の映画人の表現は、実質、戦前、戦中の国策映画の主語を民主主義に取り替えたに過ぎなかった。先の三要素を単純化して言えば、「構図」「編集」「構成」ということになるだろう。劇映画でも、記録映画でも、「構成=脚本」に従い、よい「構図」で、よい「編集」をすれば、よい「映画」ができる。「よい」の定義は置いておくが、まあ革命後のアヴァンギャルドを抑圧したスターリン政権下の社会主義リアリズムをイメージしてもらうのが早いだろう。大衆に分かりやすい図式の物語を平明に語る映画。困難に打ち勝つ主人公の物語。しかし、その物語を成立させる構造を疑うことはない。主語が変われば、社会主義でも、資本主義でも、置き換え可能なドラマツルギー。「構成」→「編集」→「構図」という順番で、「よさ」が規定される。
松本は、こうした映画のありようを否定した。彼を触発したのは、アラン・レネの『ゲルニカ』(1950)である。ここでは、ピカソの「ゲルニカ」を正しく、または美しく描こうとはしていない。絵画「ゲルニカ」の全体を映し出すことはない。あるのは、断片化された「フレイミング」であり、前後が荒々しくぶつかる「モンタージュ」であり、観客に物語を分かりやすくは提示せず、迷路を彷徨わせる「コンストラクション」である。これは、「コンストラクション」が先行せず、まず対象への先入観に捉われない凝視があって、「フレイミング」され、試行錯誤された「モンタージュ」による「コンストラクション」なのである。制作過程を無視して、理想を言えば、「フレイミング」と「モンタージュ」と「コンストラクション」が同時に成立することが望ましい。松本的に言うなら、主体が対象という外部と格闘し、それを内部世界に引っ張り込み、再度、映画という外部に戻す運動ということになる。その結果、映画『ゲルニカ』は、絵画「ゲルニカ」の潜在的可能性を可視化した映画的展開なのである。
松本俊夫が自身の方法論によって撮ったのが、『安保条約』(1959)であり、『西陣』(1962)である。それらの作品は記録映画作家協会の機関誌『記録映画』で、激しい論争が起きた。旧勢力にとっては、不快極まりない作品であったことだろう。先の三要素が、松本の視覚の力学により、隠喩と表層で揺れまくる。つまり、『ゲルニカ』がそうだったように、第二次世界大戦後の表現であったのだ。つまり、ヒューマニズムの破産。それに比べると、『銀輪』(1956)のどこか牧歌的な感覚は、第一次世界大戦後のアヴァンギャルドにつながるものだったからかもしれない。
10年におよぶ作品の完成
ドキュメンタリーを撮り始めるにあたって、松本さんが希望されたので、僕のほぼ全作品をお送りして、観ていただいた。「あなたのやろうとすること、よく分かりますよ」と、松本さんはおっしゃった。今になって思えば、松本さんを撮りながら並行して撮った劇映画とドキュメンタリーは、かつて無意識に行なっていたことを表現として、より意識化しているのかもしれない。それは不可視の境界線を可視化することでもある。
2011年の初め頃、粗編集の段階の作品(その時点で、全18章、約8時間の作品となっていた)を松本俊夫本人に観てもらうことになった。胃の痛くなるような体験である。2回ほど休憩を挟み、とにかく1日で全部観終えられた後、恐る恐る感想を伺う。この段階では時系列で編集していたため、出来事の順番の違う点を指摘された以外は、好意的な反応というか、面白がられていたように思える。松本さんへの批判的なインタビューも、松本さんの話とぶつけるように編集していた部分もあるので(松本さんをバカボンのパパのように見せたかった)、やっぱり不味いかなあと伺ったところ、「これは筒井さんの作品なので、僕からここを使ってくれ、ここをカットしてくれ、とは一切言いません。すべてお任せします」との一言。苛烈な論争を繰り広げてきた人の度量の深さを見たように思えた。
それから、試行錯誤の編集と追加撮影を行ない、全5部700分の作品として完成した。松本俊夫を描くためには、この長さが必要だった。一人の人生とは思えないような多様な拡がり、しかも戦後日本映画史と直結した表現の振幅。そのすべてが表現できたとは思ってもいないが、完成版をご覧になられた松本さんが、その後、映画自体について特におっしゃることはなかったが、初公開された2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭以来、上映されるたびに、見た人から感想を気にされておられたので、電話やファックスで観客からの反響をお伝えした。最後の会話では、「筒井さん、健康には気をつけて。それが映画作りで一番大事だよ」と、非松本用語を語られ、それゆえ松本さん自身の無念さが伺え、胸の詰まる思いがした。松本俊夫が優れた教育者であったのは間違いないが、本当は松本俊夫の全活動が学ぶべきテキストの宝庫だったのだ。
最後に――「映像の発見」の再発見
このたび、12月に渋谷のシアター・イメージフォーラムで開かれる松本俊夫追悼上映のプログラムとして、『映像の発見=松本俊夫の時代』(2015)が初めて劇場で公開されることになります。松本俊夫をはじめとする20名の出演者の証言から、現在へと繋がる日本の戦後という時代=映画史が見えてくるはずです。
それは単なる過去の遺産として飾っておくべきものではありません。今後の未来を切り開いていく上で「再発見」すべき多様で豊かな可能性を持った鉱脈でもあるのです。3・11以降のドキュメンタリーの現状を見てみれば、そういう思いが一層募ります。素朴な素材主義で描かれた作品がほとんどで、まるで戦前の記録映画界に回帰したかに見えます。主語を取り替えたら、容易に権力に利用される作品ということです。つまり、「フレイミング」にしても、「モンタージュ」にしても、「コンストラクション」にしても、対象に寄りかかり、主体の意思が見えない。自らの表現を疑い、自己を鍛え直すことを放棄してはいないか。だからこそ、映画人の戦争責任、戦後責任を問い、新しい映画表現を模索した松本俊夫の作品を見直し、著作を読み直す必要があるのではないか。
松本俊夫は現在の映画作家(ここは松本俊夫本人に逆らって、映像作家という表記ではない)なのです。ただ、すでに観た若い方々から、作品中に出てくる用語(映画に限らず、政治、文化など)が分からないので解説書を作ってくださいとの要望がありました。そこで今回、映画のサブテキストとなるパンフレットを作成中です。作品共々、みなさまにご支援いただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
筒井武文
筒井武文監督プロフィール
1957年三重県生まれ。東京造形大学在学中に習作『6と9』(1981)を手がけた後、フリーの助監督、フィルム編集者を経て、独立後、自主制作映画『ゆめこの大冒険』(1986)を3年がかりで完成させ劇場公開。その他に劇団、遊◎機械/全自動シアターの世界を映像化した『学習図鑑』(1987)、3D作品『アリス イン ワンダーランド』(1988)がある。並行して、TV、記録映画、企業CMなど幅広く演出。『おかえり』(篠崎誠、1996)では製作と編集を、『どこまでもいこう』(塩田明彦、1999)では編集を担当。イメージフォーラム、映画美学校、東京藝術大学大学院映像研究科などで後進の育成につとめる。また、映画批評、海外映画人へのインタビューなども多数手がける。監督映画作品に『オーバードライヴ』(2004)、『孤独な惑星』『バッハの肖像』(2010)、『自由なファンシィ』(2015)、『映像の発見=松本俊夫の時代』(2015)がある。現在、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻教授。
『孤独な惑星』
パンフレット、チラシ、ポスター、劇場鑑賞券、HPのデザイン等の制作・宣伝費に使わせていただきます。
【コレクター限定近況アップデートを共有】
公開までの進捗状況、上映やイベントに関する情報などを随時お知らせいたします。
【監督よりお礼のメッセージ】
本作の監督である筒井武文より、感謝の意を込めたお礼のメッセージをお贈りします。
【特製クリアファイル】
今回の松本俊夫追悼特集限定のオリジナルクリアファイルを差し上げます。
【特集上映鑑賞券】
『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作を含めた今回の松本俊夫追悼特集の共通鑑賞券を差し上げます。
【劇場用ポスター】
今回の松本俊夫追悼特集と本作の劇場用ポスターを差し上げます。
【劇場用パンフレット】
今回の松本俊夫追悼特集と本作の解説が付いた劇場用パンフレットを差し上げます。
【「気鋭のクリエイターと語る映画『映像の発見=松本俊夫の時代』」でのトーク動画を共有】
池袋コミュニティ・カレッジで行われた上映講座「気鋭のクリエイターと語る映画『映像の発見=松本俊夫の時代』」での筒井監督とゲストによる貴重なトークを記録した動画をお送りします。
【「協力」「協賛」としてエンドクレジット、パンフレット、HPにお名前を掲載】
ご支援いただいた方のお名前を本作のBlu-rayソフト、劇場用パンフレット、公式HPに掲載いたします。
パンフレットへの掲載期限は11月24日までとさせていただきます。この日を超えた場合にはお名前を入れることができませんので、ご了承ください。
【マスコミ試写会にご招待(本特典は終了いたしました。ご了承ください)】
2017年11月に行われるマスコミ向け試写会にご招待いたします。場所は都内になりますので、予めご了承ください。日程は決まり次第お知らせいたします。
【特典者限定上映会&トークイベントにご招待】
筒井監督による本作にまつわる秘蔵映像の上映会とトークイベントにご招待いたします。場所は都内になりますので、予めご了承ください。日程は決まり次第お知らせいたします。
【本編全5部作収録Blu-ray】
全5部作を収録した本作のBlu-rayソフトをプレゼントいたします。お渡しは国内での巡回上映が終了後になりますので、予めご了承ください。
【本編未収録映像特典ディスク】
本編には収録されなかった貴重な映像をソフト化したオリジナルディスクをプレゼントいたします。
【打ち上げにご招待】
マスコミ試写会もしくは特典者限定上映会&トークイベント後に行われる打ち上げにご招待いたします。試写会や上映会と同様、場所は都内になりますので、予めご了承ください。
本作『映像の発見=松本俊夫の時代』は、今年亡くなられた松本俊夫氏の追悼特集というかたちで初めて劇場公開されますが、地方での上映に関しては現在未定です。達成率によっては、パンフレットやポスターなどの品質や枚数が変動することも考えられます。
しかし、目標額を達成することができれば、その売り上げをパンフレットの増刷や宣伝活動にあて、全国、そして世界へ向けた上映の拡大へ展開することができます。
映画を愛し、その可能性を信じる世界中の方々にこの作品を届けられるよう、スタッフ一同努力いたします。皆様のご支援、ご協力をどうぞよろしくお願いいたします!
2017年12月上旬、シアター・イメージフォーラムで上映予定の「松本俊夫追悼特集」にて劇場公開後、全国の劇場・美術館施設等での巡回上映を予定しています。
『映像の発見=松本俊夫の時代』
製作:プロダクション・バンブー
監督:筒井武文
プロデューサー:武井登美
撮影:瀬川龍、小野寺真、鈴木達夫(第Ⅴ部プロローグ)、筒井武文(第Ⅴ部町立久万美術館)
照明:市川元一
録音:山崎茂樹
助監督:加地耕三
編集:山崎梓
サウンドデザイン:森永泰弘
タイトルデザイン:上村浩二
2015年作品(撮影期間2003年~2013年)
SD/カラー/スタンダード/700分
1000 円
3000 円
5000 円
10000 円
30000 円
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300000 円
500000 円