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戦後混乱期 横須賀の映画「Yokosuka1953」の書籍出版をクラウドファンディングで実現!

終戦から80年、2025年。
戦後混乱期 横須賀の映画「Yokosuka1953」の本を出版したい。  

2022年に劇場公開した映画「Yokosuka1953」。この映画で調査して知った当時の人々の言葉、この映画をきっかけに知った戦後混乱期の女性と子供たちの物語。それを文章に紡ぎ、出版するプロジェクト。

コレクター
75
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PRESENTER
木川剛志

和歌山大学観光学部 教授。日本国際観光映像祭総合ディレクター。ポルトガルの国際観光映像祭ART&TUR審査委員。福井駅前短編映画祭PD。専門は観光映像と建築・都市形態学。落語と映画が大好きです。京都市上七軒界隈生まれの滋賀県大津市育ち、和歌山市在住。映画「Yokosuka1953」監督。

星の流れに

vol. 9 2024-12-31 0

 現在、執筆中の「(仮)横須賀一九五三」の中から、一部をみなさまに紹介します。完成原稿では少し違う形になっているかもしれません。

 神奈川文書館で、戦後混乱期の女性たち、子供たちの過酷な現実を知り、横須賀中央駅についたのはすでに日が落ちる時間だった。ニューヨコスカホテルに荷物を置き、いつも訪れる大滝名店ビルに向かう。ここはドブ板通り近くの米兵たち向けのバーが並ぶ界隈の中で、ひときわ異彩を放つ建物だ。一部の店は米兵向けだが、多くは日本人がかつて訪れたと思わせるような古風な店。聞けばこのビルは戦後、すでに形成されていた商店街を整理する形で建設されたという。一階には花屋やバーが並び、2階にはスナックやジャズバーがある。そしてその上層階には住居があるらしい。その異彩を放つビルの中でもさらに独特な雰囲気を醸しているのが「小料理うなぎ河助」だった。

 河助の店主は高齢の男性で、岡山出身。普段は店に客はなく、店主はいつも店のカウンターに座りながら居眠りをしている。看板には「うなぎ」とあるが、店主によると、うなぎ屋を居抜きで譲り受けた際に名前も看板もそのままにしたという。実際、メニューにうなぎ料理が載っているのは見たことがない。
 ただ、その日はすでに二人の客があった。
 一人はこのビルの上層階に住む住人で、もう一人はすでに退職した教員だった。店主に「この二人は常連だ」と紹介された。言葉を選ばないといけないが、確かにこの店に似合う雰囲気の二人だった。
 私が、戦後混乱期に横須賀で生まれた混血児の女性の実母探しをしていることを伝えると、それからは店主を交えた3人の昔話となった。

 元教員の男性が言う。
「昔、この近くの学校でも教えていたけど、米軍は本当にシビアだったね。基地で働くベトナム人やフィリピン人の子供たちは地元の公立学校に通わせる。でも白人の子はベース内の学校に通わせるんだよ。今でもそういう子たちはいっぱいいる。昔は春を売る女性の子供たちもいたと聞いたな。僕が住んでいるのはここからバスで4駅ほど向こうなんだけど、そこにも昔は遊郭があったよ。だから通りが広いんだ。今でも普通の車が通る道路よりずっと広い、倍くらいある。そこを花魁が歩いていたんだよ。」

 もう一人の客は横須賀育ちで、基地との関わりについて語ってくれた。
「米軍基地の中に皿洗いの仕事があったんだ。そこに行ったらいいもの食えるんじゃないかと思ってね。実際、肉とか食えるようになった。そしたらおふくろに怒られてさぁ。『お前が肉を食べるようになってから洗濯物の汚れが落ちなくなった』って。たぶん、汗とかに脂が出るようになったんだろうね。そうやって基地に中に出入りするようになって、米兵のボクシングのフライ級のチャンピオンと知り合いになって、『柔道を教えてくれ』って言われた。それで教える代わりにボクシングを教えてもらった。そしたら、試合に出ろって言われるもんだから、試合にも出た。いいファイトマネーをもらえたんだ。勝ったらファイトマネーが10ドル、負けたら5ドル。当時の給料が20ドルだったから、いい稼ぎだった。だ、減量に失敗すると一銭ももらえない。だから食事を我慢したよ。腹減るとイライラするんだよね。だから、金はあるから女を買ったよ。アメリカ人もみんないらいらしてた。でも試合だと合法的に日本人を殴れるんだよ。だから弱そうな日本人がいっぱい試合に呼ばれてたね。日本人が殴られるとみんな大喜び。そのかわりファイトマネーをいっぱいもらえるんだ。よくできてるよね。あ、そうだ」

 そして、その男性は少し店をでて、自分の家から写真を持ってきた。
「これがボクサーの頃。空母の甲板の上に作られたリンクでも試合をやった。空母ってすごいね、中にエレベーターがあるんだ」

「そういえば衣笠もそうだよね」
 元教員が口を開いた。
「広島カープのあの鉄人、衣笠祥雄ですか?」
「そうそう。あの人も混血児で孤児だったんだ。その施設が衣笠にあったから名字が衣笠になったらしい。苦労したんだろうけど、やっぱり黒人とのハーフは運動能力が高いよね」

 元ボクサーが街について語り出す。 
「たいていの赤線がある街ってのは港ですよ。船員が寄港したら女が欲しいから。だから、ほとんど港町にある。でも、あの頃の横須賀は特異な街だったよ。横須賀出身だっていったら、みんなにパン助で有名な街だって言われたよ。ドブ板通りに代筆屋がいっぱいいて、相手の米兵の住所だけ聞いてやって、代わりに英語で手紙を書いてやるんだよ。それでえらい大金をもらってたよ。英語でそれもすごい達筆で書いてたから何を書いてるのかわかんない。パン助は何を書いているかわかんないだろうから、俺が適当に書いてその商売やろうかと思ったぐらいだったよ」

 続けて、当時の赤線について昔話は続く。
「横須賀は、昔からパン助の街ってことで有名だった。小さい頃、街を歩いてたらそういう家の中で下着姿の女が扇風機に向かって涼んでるのを見たことがあるよ。市川房枝が売春防止法を作るそれまでは、うちの親父なんかは『男なんだから素人の女には手を出すな、金で買ってこい』と教育されたもんだよ。そうだ『こんな女に誰がした』っていう曲は知っているかい?本当は『こんな女に誰がした』っていう題名だったんだよ。でも、当時のGHQに言われて「星の流れに」という題名になった。これも、横須賀の歌なんだよ」

 その日は土曜日。店を出てホテルに向かう道では、酔った米兵たちが歩き、その周りを軍服姿のMPが監視している。店の中からは原色のネオンがこぼれ出て、流行りの音楽が聞こえてくる。

 ホテルに戻り、今日聞いた話のことを調べてみた。私自身、京都出身だったので、どこかで広島の衣笠は京都出身だと聞いた記憶があったので、その違和感を確かめた。元教員がいった「衣笠」は確かに横須賀市にある地名だが、調べた限り、衣笠祥雄とは特に縁はなさそうだ。戦後に多くあった地元のエピソードと、横須賀の人にはよく知る地名の「衣笠」がどこかで混同されたのだろう。

 そして「星の流れに」も調べてみた。この曲は作詞 清水みのる、作曲 利根一郎、菊池章子が歌った昭和のヒット曲だった。1947年に発売された歌謡曲で、作詞の清水みのる氏が、戦後混乱期を生きる女性の気持ちを綴ったものだ。むしろ、東京の上野界隈を歌った曲であり、横須賀の歌ではない。
 一人、菊池章子が歌う「星の流れに」を聞いてみた。明るく軽やかなイントロで曲は始まる。今はもうなくなったキャバレーのステージで、ありったけのスポットライトを浴びる歌う女性の姿が見えてきた。

 (「星の流れに」歌詞)

 怨念を歌うものではない。むしろ淡々と歌われる。しかしこの曲の背景を知った今、その言葉はより深く心に届くことになっていた。「こんな女に誰がした」。全国各地から多くの女性がこの横須賀に集まり、生きるために夜を歩いた。
 多くの歌手がこの曲を歌っていた。ちあきなおみ、藤圭子、春日八郎、美輪明宏、天童よしみ、石原裕次郎、美空ひばり。きっと彼らもこの曲を歌い、当時の女性たちを想っていたんだ。それを今まで知らなかった自分がいた。
 これは横須賀の歌だった。ただ、横須賀だけの歌じゃない。戦後混乱期の夜に生きざるをえなかった女性たちの歌だった。

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