【期間限定エッセイ】やまだのまんま-最終回
vol. 12 2014-06-29 0
皆様のおかげで目標額を達成いたしました。
本当にありがとうございました。
8月より制作がスタートいたします。随時進捗は当ページでもアップしてまいります。
引き続き宜しくお願いします。
そして赤裸々な山田の本音エッセイ。。。
いよいよ今回でラストですが、新しい章をスタートさせる山田の今後にご期待いただき、最後まで読んでいただければ幸いです。
思春期に負った傷は、なかなか癒えないらしく、小・中・高の12年間で築き上げられたトラウマ達は、今も私の心に深く刻まれていて。これを書いている31歳になった今も、自己否定と自己肯定の間で苦しむことは多い。しかし何故だろう、結局否定が勝つことは無く、今まで音楽を続けてこられた。普段あまり見せない部分なのだけれど、きっと私は本当に負けず嫌いなんだろう。マイナスの物事に対する負けてたまるかという気持ちは、おそらく人一倍強い。
負けず嫌いで良かった瞬間が、きっと今までに多かった。だから、そんな性格でも良かった。しかし、その負けず嫌いさが、結果的に精神疾患を招いたように思う。ダメな自分を許せなかったし、認められなかった。理想だけが一人歩きし、ついていけなかった自分を責めた。そして、その固定観念は、真綿で首を絞めるかのように、じわりじわりと私を苦しめて行った。
今も私は、常に私を否定している。お前に歌なんか歌えるわけがない、と。しかし、心のどこかに、常に私を信じている自分がいる。どうして、その希望の部分を見失わなかったのかは分からないが、私の中には何故かいつも一片の自信があった。周囲に虐げられて育ち、認められることや褒められること、優しくされることが何よりも苦手なのに、矛盾する気持ちが私の中にある。それが自分でも不思議で。プライドというか、意地のような物なのだろうか。雑草魂。負けてたまるか的な。ああ、それこそ負けず嫌いの部分だ。
私の幼い頃の鈍い思い出たちは、きっとこのまま鈍いまま引きずって歩くんだろうと思う。でも、これから先、私が描いた夢を叶えられたとしたら、鈍い思い出にすらも光が当たって、これまでの私の涙も報われるんじゃないかと思う。自分では、自分は辛い道を歩いてきたとは思わないし、思いたくないけれど、私だって誰かに認められたいし、輝いて注目されたいというのが本音であって。
という、私の暗い経験と葛藤をつらつらと綴ってきたけれど、要するに、生まれたからには、もっと笑って生きていきたいし、もっと自分らしく声を上げていきたいということ。それって、極めてまともな欲求ですよね?私だって、“普通”を求める時があるのです。
今回の挑戦は、私の新たな夢の物語のプロローグ。新しいストーリーは、どんな展開が待ち受けているのだろう。皆さんも一緒に読み進めて楽しんでもらえると嬉しいです。