【期間限定エッセイ】 やまだのまんま-その2
vol. 9 2014-06-08 0
アルバム制作キャンペーン期間中、山田の素顔を知ってもらうための、本人書き下ろしエッセイを不定期に公開。是非、こちらも読んでいただき、山田の音楽への思いやルーツを感じていただけましたら幸いです。
路上ライブを始めたのは高校1年の終わり、2000年3月23日のこと。部活動の仲間と2人で、地元の本厚木駅の前で、カバー曲を中心に唄い始めた。当時、私はまだギターを弾けず、パートナーの鳴らすギターに合わせてタンバリンを叩きながら、ただひたすら唄うだけ。しかし、生存表明を目的に唄い始めた自分にとっては、大きな声で唄い、道行く人の視線を集められる、それだけで十分だった。
路上ライブを開始したと同時に、アコースティックギターの練習を開始。大好きな曲の楽譜を買って、休みの日は友人の家で練習に励んだ。そのうち部活動も辞めた。そして、ギターに触れ始めて3カ月が経った頃、私は作曲を始めた。作曲の「さ」の字も知らなかったけれど、幼い頃にピアノを習っていた経験もあってか、最初から何とか曲らしく、奇跡的に形には出来た。曲を書く楽しみを覚えてからは、授業中もこっそり作詞ノートを開き、今まで塞ぎこんでいた自分の心を紐解くように歌詞を書き、曲を紡ぎ始めた。それが私の曲作りの原点。いや、今も原点のままなのかもしれないけれど。そして、あれは何番目に出来た曲だったか、「そら」というオリジナル曲が、校内のコンテストで準決勝まで勝ち残り、それが私にとって、自分の曲に初めて自信を持てた瞬間だった。
ギターも少し弾けるようになり、オリジナル曲も完成し、私の音楽に向ける想いは更に熱さを増していった。曜日を決めて週に1度は駅前でライブを行い、確実にファンを増やした。長い日で、一日4~5時間は唄っただろうか。何度も声を枯らし、それでも私は、道行く人に、なるだけ多くの人に私自身を見てほしかった。
加速していく音楽活動とは裏腹に、高校生活自体は順風満帆ではなかった。学校も変わり、環境も変わったのに、周囲からの嫌がらせは全く収束せず。毎日のようにバカにされ、けなされ、高校生にして明日の自殺を考える日々。でも、音楽だけは自分の味方で、音楽があるから生きていこうと思えた。学校が終わると、自分を探しに行くかのように駅前に飛び出して行った。
きっと、ここまで読んで驚かれている方が少なからずいるだろうと思う。私がミュージシャン山田尚史として抱かれているイメージとは、おそらく大分異なっているからだ。そこは「やまだのまんま」であるからして、特別公開だと思って頂いて。ここから更に深い山田尚史を見せて行きたいと思う。
(続く)