この場所をつくる人|Vol.1 岩澤哲野 ― 原風景を更新する
vol. 2 2026-03-04 0
クラウドファンディングがスタートして数日が経ちました。
改めて、応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
先日は応援メッセージをご紹介させていただきましたが、SEE/SOWや常盤平についても、少しずつメンバーそれぞれの自分の言葉で書いていけたらと思っています。
トップバッターは代表の岩澤。
岩澤にとっての「常盤平」について、なぜこの場所でやりたいと思ったのか、その原点のような話から始めてみたいと思います。
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原風景を更新する
クラファンが始まりました。
はじめてのことでずっとドキドキしている岩澤です。
今日は「常盤平と岩澤」の話をしようと思います。
自分は、生まれてから小学校に上がるまでの6年間、常盤平団地のE街区というところに住んでいました。
物心がつき始める時期を常盤平で過ごしたからこそ、常盤平というまちには感情以上に風景としての記憶がたくさん残っています。
キッチンに立つ母の背中、姉妹と父4人で一度に入る小っちゃいお風呂、家族5人で川の字で寝る6畳間、ベランダから眺める景色、取り込んだ洗濯物の山、朝ドタバタしながら車を取りに家を出る母の背中と戻ってくるまでの自由時間、線路沿いの駐車場から帰りの道のり、毎週土曜日近所のお母さんたちで集まる生協と友達、知らない大人が集まってわいわいしている日曜日、コープとピザーラと西友、アルトピア、けやき通りのケーキ屋さん、4階から見る桜通り、団地の夏祭り、団地と団地の間の芝生と水遊び場...
こんなふうに、絵としてはすごく覚えているものがあるけれど、前後はどれもおぼろげで、はっきりとした記憶はあまりありません。それでも昔の常盤平を思い返すとそんな風景が思い出されます。
団地と団地の間にて
先日、omusubi不動産のラジオ「まつどっとラジオ」に出演して、その時も常盤平の話をしたんですが、そこで「あなたにとって松戸とは?」という問いがありました。
そのときにぼくは「原風景」と答えたんですが、風景だからこそなのか、上で書いたような記憶は、大人になってからふとデジャブのように思い出されたりします。だから原風景だし、今では自分にとってのアイデンティティなんだと思うようになりました。
あれから30年。そんな常盤平に、団地に、今度は自分が結婚し妻と一緒に住んでいます。昔住んでたからとかではなく、今の自分の感性で改めてそこに魅力を感じ、新たな住まいに選びました。
ちなみに、10代の頃はとにかく松戸から出たかった。
千葉の江戸川沿いから川向こうの東京を見て、大人になったら向こうに行くんだと叫んだ高校時代(←これマジ)。
大学時代と卒業してしばらく住んだ東京を経て、今また生まれた地に戻っていますが、あんなに離れたかったところが気づけば一番落ち着く場所になっている。
そもそもなぜ松戸に戻ってきたかというと、20代演劇業界の中で奔走している中で、自分の中でふと「このままでいいのだろうか?」「やりたいことができているのだろうか?」という疑問が浮かび上がり、そんな時にとある研修事業の中で常盤平のことを思い出したのがキッカケでした。
とある研修での一コマ
その時に常盤平や松戸のことを調べて、それまでに自分が培ってきたことが、このまちでなにか還元できるのではないか、それはきっと自分にとってもやりがいや生きがいになっていくのではないか、と思い、すぐに松戸に拠点を構えることを決めました。2019年の話です。
もちろん最初から常盤平に拠点を構えようとしたんですが、何もないところからいきなりは色々ハードルがあって、最初はお隣の八柱から始まりました。いつか常盤平にという思いはずっと持ったまま。
そこから今日までの7年間は今に至る学びが本当に多くありました。だから今であってよかったし、だからこそ「改めての常盤平」に来れたのだと思っています。
八柱で最初に構えた拠点・せんぱく工舎12号室
僕にとって常盤平は原風景です。
そんなマチで、いよいよ本格的にワークも始めていくことになります。
自分にとっての原風景を更新していく時間の始まりです。これからにすごくワクワクしています。
次回はそんな常盤平で、自分がやってみたいことを書いてみようと思います。
※「まつどっとラジオ」でも上記のことやこれからのことをもう少し詳しく話しています!ご興味持っていただけた方はぜひそちらもお聞きいただけたら嬉しいです。
https://open.spotify.com/episode/4mKvOamj0Zb86Xw140uGeH
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