インドネシアメディアの取材をうけました。
vol. 37 2026-10-15 0
9月17日インドネシアの Tribunnews.comの取材をうけました。
Film Dokumenter Laut Ronga, Telusuri Luka Keluarga Keturunan Tentara Jepang di Aceh
ドキュメンタリー映画『海とロンガ』アチェにおける元日本兵の子孫たちの心の傷に迫る
https://www.tribunnews.com/internasional/7884273/film-dokumenter-laut-ronga-telusuri-luka-keluarga-keturunan-tentara-jepang-di-aceh?lgn_method=google&google_btn=onetap#goog_rewarded
インドネシア人がどう見ているのかーインドネシア語なのと、広告が多くて読みにくいので、翻訳してみました。
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日本のドキュメンタリー映画『ロンガの海』は、マリオ・クロイワが、元日本兵であり、後にインドネシアの独立戦争に加わった祖父・黒岩通の足跡をたどる物語である。この映画はまた、黒岩が妻と子供をアチェに残して日本へ帰国した理由を含め、家族の抱える傷についても明らかにしている。
東京発 — 日本のドキュメンタリー映画『ロンガの海』は、元日本兵であり、後にインドネシアの独立闘争を支援した祖父・黒岩徹の足跡をたどる黒岩マリオの旅を描いている。上映時間83分のこの映画は、インドネシアを20回以上訪れている日本人の小西晴子氏が監督を務めた。「約26年間にわたる長い取材を経て完成した」と、小西氏は木曜日(2026年9月17日)、Tribunnews.comの独占取材で語った。
小西監督はジャカルタで偶然マリオと出会い、インドネシア在住の日本人3世であるマリオの家族の物語に興味を抱くようになった。ヘンドリは幼い頃からいじめに遭い、「日本の植民地支配者の子」と呼ばれた。その偏見により、ヘンドリと彼の家族の人生は困難なものとなったが、不屈の精神と努力により、彼はアチェでコーヒー加工事業を立ち上げ、成功を収めた。
祖父の足跡をたどり、宮崎へ
マリオは自身の家族の歴史をたどろうと試み、日本の宮崎県に至るまで祖父の足跡を追った。彼の祖父、黒岩通は、第二次世界大戦中にアチェやメダン地域に派遣された日本の精鋭兵士だった。当時、黒岩はアチェの特殊警察部隊の指揮官を務めていた。彼は、反日運動に関与していると見なされた住民への取り締まりに関与し、恐れられる存在となっていた。しかし、第二次世界大戦で日本が敗戦した後、インドネシアの独立を認めず、連合国軍とオランダ軍が再び侵攻してきた際、黒岩はインドネシア国民の闘争に加わることを選んだ。彼は部隊を率い、約4年半にわたって続いた独立防衛戦争において最前線で戦った。
「ムハンマド・アリ」という名前の使用
その後、黒岩はアチェに定住し、「ムハンマド・アリ」という名前を使うようになった。彼は現地の女性と結婚し、マリオの父であるヘンドリを含む2人の子供に恵まれた。しかし、1955年、黒岩は突然日本へ帰国。家族が理解できるような説明もなしに、妻とまだ幼い子供たちを残して去っていった。ヘンドリは心の傷を抱えて育ち、長年にわたり父親に見捨てられたと感じ続けていた。黒岩が日本に戻った理由についての疑問は、数十年にわたり家族の中に秘められてきた。マリオの旅を通じて、この映画はいくつかの疑問に答えようとしている。黒岩通とは一体何者なのか?なぜ彼はインドネシアに残り、その独立のために闘うことを選んだのか?そしてなぜ、その後、家族を残して日本に戻ったのか?
映画『ロンガの海』は、ある日本兵の歴史を明らかにするだけでなく、その子供や孫へと受け継がれたトラウマも描き出している。「ロンガ」という名前は、黒岩家の旅路と関連のあるアチェの海岸地域、ロクンガに由来している。本作は、占領期の暴力から、インドネシアの独立闘争に参画した元日本兵たちの姿に至るまで、インドネシアと日本の関係の複雑な側面を描き出している。
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