「ギャル音楽」についてのステートメント
vol. 5 2024-07-18 0
「ギャル音楽家」を自称しはじめたのが今年2月、それからウンウン悩んだり調べたりしていたのだが、最近「どういう意味なんですか?」というような質問を複数回受けたこともあり、そりゃそうだよねと思うこともあり、一旦公表することにしました。
私自身が混同していたのですけど、「ギャル」の「音楽家」ではないということに、早々に気づきました。
「ギャル音楽」を演奏・探求する人なのだと切り分けていて、では「ギャル音楽」とはなんなのか?
「ギャル音楽」とは何か
ギャルが聞いてる音楽ではなくて、独自の美意識を「ギャル的に」探求する音楽と考えています。
「ギャル的に」というのは、ギャルにまつわるキーワード、「媚びない」「逸脱者」「色気」「ストリート」なども含んでいるし、(私が勝手に思ってるだけかもだが)「ブリコラージュ的」と考えています。ブリコラージュは(レヴィ=ストロース読んでないけど)職人的訓練によって獲得された身体技術ではなく、日常生活と地続きの発想力で場や状況に感応する技術だと解釈しています。そのような技術での音楽創造行為を「ギャル音楽」とします。(独自の解釈で「ギャル」を名乗っていくことが既に「ギャル的」だとも思うね)
なぜ「ギャル」なのか?
上記のような既存のクリシェと独自の定義だけが理由ではなく、「ギャル音楽家」を名乗ること自体に「面白さ」があると考えています。
ー商業的な定型をハックしていく
「ギャル=若い女性、派手な服装」という定型から外れる人間が積極的に「ギャル」を名乗っていくことで、ギャルのようなストリートカルチャー、(「下位文化」という意味での)サブカルチャーが本来持っていた多様な要素、背景の「上澄み」を商業的に利用する資本に抵抗する。ギャルという言葉をハックすることで「ギャル=頭悪そうな若い女子みたいな扱いはダサい」という認識を一般化したい。
ーセクシャリティを自明なものにしないよ、という意思表明
「商用利用」をハックしていくと同時にセクシャリティを自明のもののように扱わない姿勢を持ち続けようと思っています。セクシャルマイノリティを自認して、自明な方もいると思うけれど、みんな安易に自明にしすぎなんじゃないかと思うんだよね。
この「ジェンダー」「セクシャリティ」については勉強が全く間に合ってないので、今後も考え続けたいと思います。
ー「野草」的文化に参与していくこと
インドア派な自分は「ストリート」には無縁な生活を送ってきたし送っているのだが、「天才作家」が創造する「芸術・文化」というような欧米中心、近代以降の文化観より、集団内で共有された認識が創出する匿名の文化に惹かれる。(それを「民族音楽」と称し誤解され亜tこともあったが...)今年の横浜トリエンナーレで魯迅の「野草」を引用していたけど、「それだ!」感あった。「野草」のような文化にコミットしていきたいと思っている。