私が一度「遊び」を失って、取り戻した話
vol. 14 2026-02-05 0
私が、これまでしつこく「遊び」を研究してきた理由があります。
私はずっと、
「遊びは学生までのもの」
「大人になったら生活を優先するもの」
そう教わって育ってきました。
人生は自分のためではなく、家族のために使うもの。
誰かが悪かったわけではありません。
ただその中で、「遊び」は大人になるにつれ、
私の人生から遠ざかっていきました。
昔、私には大事な遊び仲間がいました。
一緒にMVをつくり、展示会をやり、
彼女が表現し、私は撮影や編集など、
彼女の表現を支えたり、外の世界へ届ける役割をしていました。
一緒につくり、試していた、無我夢中の時間でした。
しかし彼女は自ら天国へ行くことを選びました。
そのとき私が感じたのは、悲しみよりも怒りでした。
「なぜもっと頑張らなかったのか」
「私は我慢して生きているのに」
私は彼女を「失敗した人」だと思おうとしていました。
けれど自分も大変な時期に体調を崩し、薬が増えていく中で、
彼女を裁いていた自分が、
同じ場所に立っていることに気づきました。
今なら言えます。
彼女も、私も、失敗作なんかじゃなかった。
ただ、他の生き方を知らず、自分の世界を外に出せず
自分で自分を追い込んでいただけでした。
その後、私は人生の中で今の家族や、多くの人に助けられ、
世界を知り、自分を知り、
少しずつ、また「遊べる」ようになっていきました。
遊びは、才能や余裕のある人だけのものじゃない。
自と他の越境の中から取り戻していけるものだと知りました。
不思議なことに、今、私がやっている仕事は、
彼女と一緒に遊んでいた内容、そのものであること。
このクラファンアップデート記事を書きながら気づきました。
つまり、今の私の仕事はすべて、
彼女と一緒に遊んでいた時間から始まっていだということです。
遊びたい先は実は幼少期にすでに決まっていたのかもしれない。
「真剣な遊び人たち=ギンギセルズ。」
なぜ子供達に「遊びなさい」と言うのか。
遊びの正体を、一緒に考えていけたら嬉しいです。
写真:石橋小真
