クラウドファンディングは、生前葬なのかもしれない。最初は、そう思った。
vol. 36 2026-05-06 0
クラウドファンディングは、生前葬なのかもしれない。
最初は、そう思った。
しかし違った。
これは「この雑誌に、まだエネルギーは残っているのか」を確かめる行為だった。
ものづくりは自己満足ではない。
そう言い切れるまでに、ずいぶん時間がかかった。
つくった本人がどれほど信じていても、
それが誰かのエネルギーにならなければ、循環は始まらない。
届かなければ、存在していないのと同じだ。
継続とは、美談ではない。
続けてきた年数にも、過去の実績にも、何の保証もない。
38年続いたから、これからも必要とされるわけではない。
最盛期、発行部数は85,000部だった。
二十数名のスタッフがいて、AからZまで26人の連載者がいて、
さらに50名以上の参加者がいた。
つまり、巨大な人数のエネルギーで一冊が動いていた。
現在の発行部数は1,000部。
それを、私一人と15名前後の参加者で支えている。
この差は、衰退にも見える。
いや、実際に衰退と言われても仕方がない。
しかし38年後に見えたものは、別の景色だった。
大量に届くことだけが、エネルギーではない。
大きな組織だけが、循環を生むわけでもない。
一人の自由が、本気で燃えていれば、
それは小さくても、驚くほど遠くまで伝わる。
ただし、それは自動的には起きない。
自由は、放っておけば孤立になる。
自己満足に閉じれば、ただの独り言になる。
だから問わなければならない。
この雑誌は、まだ誰かのエネルギーになっているのか。
この1,000部は、ただの部数なのか。
それとも、1,000個の発火点なのか。
答えは、こちらが決めるものではない。
受け取った人が、それぞれの場所で何かを発散した時に、
初めて答えが出る。
無用と思われるものから始まった雑誌が、
本当に無用だったのか。
それとも、誰かの内側に火を残してきたのか。
クラウドファンディングとは、
その現実を確かめるための、かなり残酷で、かなり正直な装置である。
freedomdictionary は今、
過去の栄光ではなく、
この1,000人が発する未来のエネルギーに賭けている。
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