2009年、松の湯と模型と私
vol. 3 2023-04-10 0
今日は私(古川)が黒石と関わったきっかけを紹介できればと思います!
青森市出身の私は、高校卒業後、神奈川県の大学の建築学部に入学しました。
今から13年前、学部の3年生、21歳の私はイキっていました。
「目指すは有名建築家、徹夜で模型も作ってやるぜ!」
そんな私が、当時の大学院の先輩の紹介で参加したのが、
NPO法人まちづくりデザインサポートが主となって行っていた
「シャレットワークショップ」という
建築、都市を学ぶ学生を集めて「5日間も!」その地域で
寝泊まりしながら行われるワークショップでした。
そのワークショップが黒石で行われたのが全ての始まりです。
青森県出身なのに、黒石に行ったのはそのワークショップが初めて。
周りは大学院の先輩ばかり。
イキっている私は青森県出身という理由で、そのワークショップに申し込み、
本来は学部生NG?という噂だったのですが、
学部3年生ながらそのワークショップに参加させてもらえることになりました。
当時の街歩きの様子です。今、当時の資料を見返すと、2009年のストゼンビルが写ってますね。
自販機がたくさん!!笑
建築を学ぶ学生34名が黒石に集まりました。
街歩きが一通り終わり、最初のディスカッションが終わると、地元の人たちと交流会に。
津軽弁で自己紹介する古川。(左はじ)
同じ大学の先輩方があたたかくも、こいつ大丈夫か?的な微笑みで私をみてますね。
よされも踊りましたね。
なつかしー。
2日目からは、グループに別れて作業とエスキスチェックを繰り返します。
私が選んだグループは
「松の湯の再生」
をテーマにしたグループです。そう、今の松の湯交流館がまだリノベーションされる前、
閉店した松の湯を改修し、新しくこんな場所にしたい!という思いを形にするグループでした。
大学院の先輩と議論を交わす、いきった学部の3年生。
先輩方が、「松の湯をコミニティスペースに!」「カフェに!」
という素晴らしいアイディアを出しまくってる中、
私が出したアイディアは
「おばけ屋敷」・・・・・
今でも、先輩方の「お前大丈夫か?」という視線が忘れられません。
4日目、5日目になると、模型を作り始める強者もいます。
私です。
松の湯の1/30の模型を作りました。
赤い屋根の大きな模型。
写真右が私です。
徹夜で作業して模型を作っていたので、朝方、
左手をカッターでスパッと切りました。
そして病院に運ばれました。
左手の包帯がいたいたしいですね。
それでも作業を続けようとするあたりは、情熱がありました。
そして、地域のみなさん、当時の市長の前で、考えた成果をプレゼン。
お化け屋敷案は採用されませんでしたが、先輩たちと意見をかわし
模型を作り、指を切り、最後の発表までなんとかたどりつきました。
今写真を見返すと、首にオレンジのタオルを巻いて人様の前でプレゼンしてますね。
ヤベェやつですね。
そんなこんなで、松の湯の再生の最初の最初に関わらせて頂いたご縁もあり
今の活動につながっています!
当時、学部の3年生だった私を拾い、ワークショップに参加させてくださった
講師の皆さん、先生方にはなんとお礼を言ったらいいか。
先生方、ありがとうございました!
なんとかまともになりました。笑
2009年の頃は黒石にまた戻ってくるなんで夢にも思っていませんでした。
まさか、あの「お化け屋敷の古川」がまともになるとは私もびっくりです。
黒石は楽しかった思い出がたくさん。まだまだ黒石はいい街になりますよ!!