『かげきはたちのいるところ』の着想について(冨坂)
vol. 12 2020-05-20 0
脚本・演出の冨坂友です。
さて、まだまだ5/10も過ぎ、パイロット版の公開もしましたが、全然終わっていない…どころか「まだ始まっちゃいねぇよ」な『かげきはたちのいるところ』でございます。
今日はクラウドファンディングのリターンの話や公演延期の話ではなくて、中身の話をしていこうかと思います。
『かげきはたちのいるところ』とはどういう話なのか、なんでそんな話をやろうと思ったのか。
“極左暴力集団のゆるふわホームコメディ”
『かげきはたちのいるところ』は、過激派左翼団体の若者達がルームシェアしていく様をコメディとして描く作品です。
1話20分の全6話構成。
「フルハウス」「フレンズ」「ビッグバン・セオリー」といった、海外の「シットコム」と呼ばれるTVのコメディドラマの構成をとっている作品です。
同じ場所、だいたい同じ登場人物が、たわいもない揉め事や、バカバカしい日常を過ごしていくタイプの、1話完結のコメディ。
この「極左暴力集団」と「ゆるふわホームコメディ」を掛け合わせているのがこの企画のミソです。
本来似合わないものを掛け合わせてコメディの設定にする、という手法。今回はこれを打ち出すことに決めました。
この設定を思いついたのは、とあるWEBインタビューがきっかけでした。
週刊ダイヤモンドによる、斎藤郁真・中核派全学連委員長(当時)のインタビュー
(1)https://diamond.jp/articles/-/148939
(2)https://diamond.jp/articles/-/148969
(3)https://diamond.jp/articles/-/149125
(4)https://diamond.jp/articles/-/149341
(5)https://diamond.jp/articles/-/149349
世間的には「過激派」と呼ばれ、警察からは「極左暴力集団」と指定される集団、中核派(正式には革命的共産主義者同盟全国委員会)。
その当時の委員長に行ったインタビューで、(1)(2)(3)(4)では現在の政治について、過去の内ゲバについて、革命についてなどを語っているのですが、(5)で「恋愛OK、活動家の集団生活とは?中核派・全学連委員長が激白」と語っているのが気になりました。
というより、この(5)の見出しを見てクリックしてから、遡って前の項目を読んでいったほどです。
「中核派」というちょっと怖い・いかつい名前と「恋愛OK」という軽薄な語句。まずここに惹かれまして。
そりゃよく考えりゃ「過激派」と呼ばれていようと「極左暴力集団」と呼ばれていようと、「革命」を唱えていようと、恋愛くらいするに決まってるんですけど。
いかめしくて堅苦しそうな集団にいようと、愛だの恋だのに一喜一憂する普通の人間なんですよね。
そもそもルームシェアの話をやりたかった
「中核派」と「恋愛」のギャップだけじゃなく、「活動家の集団生活とは?」が気になったのは、もともとルームシェアにまつわる話をやりたいと思っていたからです。
なぜなら、自分がルームシェア経験者だから。
ここ最近、アガリスクでは歴史モノのコメディをつくっていました(『わが家の最終的解決』『発表せよ!大本営!』)。
そして自分の実体験の国府台高校シリーズ(『ナイゲン』『卒業式、実行』『いざ、生徒総会』)とか。
でも、歴史ものばっかりやる社会派劇団という感じでもないし、かといって高校生ネタはだんだん演じづらくなってくるし。
国府台シリーズ以外で、自分が当事者として実体験を持って語れる設定は何か、手触りを持って描ける物語は何か、と考えると、ルームシェアなんですよね。
アガリスクハウスという家があった。
劇団員が、入れ替わり立ち替わり、三人でルームシェアした一軒家だ。
一階に共有スペース、二階に小さな個室が三つ。この家で色々なパーティーをした。鍋をして、餃子も作って、電気が止まって、ガスも止まって、洗面所は水浸しになった。 数々の会議と揉め事があって、そしてたくさんの作品を作った。
そんな家はもう無い。
今は、それぞれが自分の生活をしている。
でも、まだまだ演劇は続けている。だから、この物語を媒介にして、もう一度アガリスクハウスを出現させてみようと思う。 我々と皆さんのそれぞれのアガリスクハウスを。
特設ページやチラシでも書きましたが、冨坂と淺越とあともう一人は入れ替わり立ち替わりで、3人で一軒家をシェアして住んでいたことがありました。
その時のしょうもなさ、楽しさ、くだらなさを増幅して、圧縮して、コメディとして立ち上げたい、という気持ちはずっとどこかにあって。
でもただ若者のルームシェアを描くだけでは引っかからない。設定としてフックがない。自分達しか楽しくないものになりかねない。
そして我々は「劇団活動のため」という明確な理由があってルームシェアをしていたので、我々にとっての「演劇」にあたる何かをしている人のルームシェアにしないといけないと思いまして。
その「演劇」の代わりに代入するものをずーっと探していたんですが、「これだ」と。
我々が演劇をするためにルームシェアをしていたように、「革命」とか「活動」のためにルームシェアをする人達の話にすることに決めました。
もともと「過激派」に興味があった
っていうと語弊がありますけど。
正直、この2020年の日本において「革命」と言われるとポカンとする人が大多数だと思うし、ピンとこない人が多い。
そんな中で、今なお、60年代安保や70年代安保の時の熱量に負けず劣らず、信じている人がいる。
この「何かを信じてやまない人」(そしてそれが世間的にあまり理解されていないところも含めて)ってとてもグッとくる人物像なので。そういう意味で興味がありました。
そういう人達を、嘲笑するのでもなく、信奉するのでもなく、「しょうがねぇなぁ」と笑いつつ、その熱は信じたい。という思いです。
だから過激派の話は、これ以外でも前からやろうと思っていました。
オフィス上の空の6団体プロデュースに参加した時、『エクストリーム・シチュエーションコメディ(kcal)』という作品をやったのですが、最初は『世界革命戦争_予算案.xlsx』という話をやろうとしていました。過激派の人達が狭い部屋で膝付き合わせて予算会議をする話です。これはこれでやりたい設定ではあったので、本作の1エピソードとして吸収することになりました
なお、一軒家にルームシェアをする、小規模で完結する集団にしたい、との思いから、中核派とか革マル派みたいな既存の団体じゃなくて、架空の団体を設定することにしました。
延期になって時間もできたので、いまその団体の設定を詰めています。
「過激派を描く」というけれど…
というわけで、「過激派」と「ルームシェア」、そしてずーっとある「コメディ」という要素が結びついた結果、「極左暴力集団のゆるふわホームコメディ」というキャッチコピーを得て生まれたのが『かげきはたちのいるところ』です。
で、もちろん、自分達とは違う、架空の思想を持つ架空の集団の話なわけですが…。
今、そろそろ「若者」のくくりに入れるのがギリになってきたアガリスクエンターテイメントが、ほぼ劇団員みたいなメンツで、ルームシェアする若者の話を描くっていう時点で、自ずと自分達の話になってきちゃうと思います。
それは自分達のルームシェアエピソードを入れ込む、とかそういうレベルではなくて。
「自分達は何を目指して活動していくのか」「いつまで一緒に活動できるのか」「ライフステージの変化」etc…
そんなところも踏まえて、“若者集団の変遷と崩壊”を描くような、ちょっと苦めの青春群像劇になるんじゃないかなぁ…。
もちろんコメディとして今まで以上に笑えるものにするお約束はしつつ。
あ、別にアガリスクが今後すぐどうこうなる、って話が出ているわけではないですが、そういうことを考えたりもしつつ、自分達の実人生も投影した、気合の入った一作になる予定でした。
そして延期してさらに気合の乗った状態で劇場での上演に臨みたいと思います。
延期もしたし、パイロット版も公開しましたが、これから「待ち」ではありません。
創作と発表は継続して、なんなら「連載」するくらいの気持ちでこの作品をずーっとお届けしていきます。
5/10のパイロット版のアフタートークでもお話しした通り、毎月なにかしらのコンテンツを発表していきます。(朗読配信なのか、文章なのか、映像なのか、月によってコンテンツの内容は変わるかもしれませんが)
まだまだ始まったばかりの『かげきはたちのいるところ』、今後の展開をご期待ください。
(脚本・演出:冨坂友)