OttO設立までの経緯
vol. 5 2025-01-16 0
OttO設立までの経緯
OttO設立までの経緯を時系列でまとめてみました。
30年前に決まった大宮駅西口の区画整理事業に端を発した本プロジェクト。
その後、家族の会話から映画館を含む複合施設の建設という思いもしないスケールの計画に育ちました。思い描くのは人の暮らしの中で寄り添い支え合う映画館のかたち。
紆余曲折を経て、ついに今春オープンします。
より多くの方へ私達のビジョンやチャレンジを伝えていきたいと思っておりますので
もし可能でしたらこのプロジェクトを周りの方々や、SNSなどにシェアしていただけると幸いです。
・プロジェクトページURL
1995年
- 5月に大宮駅西口第四地区画整理事業開始
2004年
- 仮換地指定(移転先の区画が決まる)
2013年頃
- 行政スケジュールに左右され移転時期が定まらない中、建て替えの建築検討を始める。
2014年
- 4月に建築家の佐々木氏に賃貸住宅の設計を依頼、最初の設計図面が引かれる。
2015年
- 行政スケジュールにより移転見込みが3年延期。
2016〜2017年
- 移転時期が長引く中で、新しいまちには通常の賃貸だけではない何かが必要なのではと家族内で話す様になる。
2018年
- 区画整理で画一的な街並みが広がってゆく事に疑問を感じ始めた義父から「次の世代の人たちが関わるものなので何か考えて欲しい」と頼まれる。
- 移転見込み時期が約2年延期となる。
2019年
- 何度もまちを歩き調べるなかで「映画館があったらどうだろうか」と思いリサーチを開始。大宮の文化や歴史について調査。 同時に「映画」「まちづくり]に関わる問題点や課題について調べる。
- 深谷シネマの深谷シネマの竹石研二館長(当時)を訪問。
- 建築家の佐々木善樹氏に映画館を含んだ賃貸住宅の検討を打診。
2020年
- 1月、コロナウィルスが確認される。
- コロナ禍で映画館や飲食店が大打撃を受ける中、新しい形での可能性を探す為に仲間を集めて複数回のブレインストーミングを行う。その後、幾つかのパターンの設計図が引かれる。
2021年
- 中小企業大学校の支援プログラムに参加し、事業計画書を作成。
- 移転見込みが更に約2年の延期となる。
2021〜2023年
- 上映機器やデジタルシネマ関連の企業を訪問しリサーチ。
- シネマチュプキタバタの平塚代表の勧めでアーツカウンシル東京主催のディスカッションに参加。
2023年
- 移転時期決定。
2024年
- 幾つかの困難を乗り越えながら、1月に銀行融資決定。
- 4月に着工。
- 11月末からクラウドファンディング開始(2/28まで)。
2025年春