うちのこ記録ノートを作ろうとおもった動機
vol. 8 2020-02-01 0
1/31、長男、陣の10回目の命日でした。
当時の自分はなにも知らなかった。
陣は助かると思ってたし、陣が覚悟を決めて「陣」をやめて、命の灯火が消えてくまでの時間を待つ、ただの「猫」に戻ることも、なにも知らなかった。
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大好きなママに威嚇する陣を見ることになるとは思ってもいなかった。
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それでも、花音の叫び声と私の笑う声に「陣」を取り戻し、「ごめん(威嚇して)」と言った。
そして激痛の中、全力で腕によじ登り、「もう離れない」と言った。
それが「最後だから」だなんで、自分にはまったく覚悟がなかった。
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最後の最後まで、腕の中で添い寝しながら、じーっと、ずーっと「ママ」が目覚めるのを待って、目に焼き付けようとするかのように、じっと顔を眺めていた。
そして起きたのを確認すると、私と友達の間によろよろと歩き、そしてお別れを言いながら陣は倒れた。
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急性膵炎。
激痛にもがき苦しみながら、旅立った。
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あれから10年。
陣に教わったことを頼りに、今を生きている。
ゆず店長、みー社長、新米りんと共に。
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この区切りの年に、これまでの21年と5ヶ月の猫との暮らしから見つけた自分なりの「人と猫や犬との暮らし」のありかたについての、一つの結論として、「うちのこ記録ノート」を作ろうとしていいます。
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バラバラにメモした陣や花音の治療やケガの記録は、残念なほど散らばっていて、もっと今になって読みかえしたかったことがはしょられてしまっている・・・。
なぜもっと記録しておかなかったのか。今でもそう思います。
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だから写真を沢山撮るようにした。
日々の他愛のない動画も沢山撮るようにした。
でもメモはやっぱり散らかっていて。
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だからまとめようと思いました。
緊急時、人にお願いする時、それももちろんなのだが、その前に、記憶の彼方に消えて行く、小さな小さな「生きた記録」を整頓したい思いも強いです。
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みーすけを引き受けた時も、おばあさんは高齢とはいえ突然旅立ち、若い猫らは家族である「おかあさん」だけでなく、行き場も生き場も失い、同時に「生きてきた記録」もおばあさんと共に消えていきました。
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もしゆず店長らを誰かに託さなければならなくなるとしたら、それはおそらく突然で想定外に起こるだろうと思っています。
「だからあえて、貴重でマニアックなファンのいる犬種を選んでブリーダーさんから引き受けるのだ」
という意見をこないだ聞いて。
納得。
みーすけ以外の「アメショ」と「茶トラ」らはすぐに引き受け手が決まりました。
人とはそういうものなのだろう・・・。
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普通の子でも、「ああ、ここまでわかるなら、ちょっと考えようかな」、たとえばそんなきっかけの一つになりはしないだろうか。
そんなことも考えながら作っています。
情けない。人とはこんなにも情けないのか、という思いと、本当に考えてる方の役に立ちたい気持ちとがごちゃまぜです。
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それでも。
もっと記録を残したかったという初動だけは確かです。
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10年の間に情けないなりに陣から学んだことを、形にしようと思いクラウドファンディングにチャレンジしています。
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陣。お帰り。
ママはだめなりに、今もがんばって生きてます。
してあげられなかったことは、これからしてあげればいい。
君に教わったことはゆっくりひとつずつ、形にしていきたい。
un Jour ART WORKS 和希