日本の伝統文化である落語に縁のある映画が相次いで制作・公開されます。ひとつは、自堕落な落語家を主人公に据えた壱岐紀仁監督の「ねぼけ」、そして人気落語家、柳家喬太郎主演の吉野竜平監督の「スプリング、ハズ、カム」。二人の監督はなぜ、同時期に落語や落語家にフォーカスし、そしてなぜ、MotionGalleryでのクラウドファンディングを通じて映画を作ろうと思ったのか。両監督との鼎談のなかから探ります。
噺家を映画にキャスティングする事になったわけ
大高健志:お二人が同時期に、落語という題材を扱い、クラウドファンディングで製作資金を調達したっていうのはとてもおもしろい偶然だと思うのですが、そもそもなぜ落語を映画に取り入れようと思ったのでしょう?
壱岐紀仁:映画を作る前、僕は単純に落語が好きで観に行っていたのです。映画「ねぼけ」は、落語家の生き様を通じて人間模様を描く群像劇で、演技力がものをいう映画なので、キャスティングには悩みました。最終的には、北区つかこうへい劇団出身の友部康志さんと、映画の経験が豊富な村上真希さんに主演をお願いして、その師匠役として本物の噺家である入船亭扇遊師匠を起用しました。その点では吉野さんと落語という共通点はあるんですが、出発点が違うかもしれません。吉野さんは柳家喬太郎師匠をピンポイントで登用しましたね。
映画『ねぼけ』より
吉野:僕はそれまで、寄席にも行ったことがなかったくらいの人間です。落語との出会いというか、喬太郎さんとの出会いになるんですが、ラジオで喬太郎さんが出ている番組を偶然に聴いたんです。初めて聴いたのに、とにかくおもしろいおじさんだ!と思った。視聴者から送られてきたお題で三題噺を作る。生放送で、番組をやりながら2時間の間で一つの噺を作っていくんです。それがオチまで見事で。
大高:ラジオが落語との出会いというのもおもしろいですね。
吉野竜平:検索してその人が柳家喬太郎だと知り、彼の動画をネットで何本も続けて観ました。さらに調べたら、映画への出演をされたことがなかった。もし、自分の映画で、あの年代のキャラクターが出て、芝居をやったら、とてもおもしろくなるはずだと思って。声を掛けてみたいな、って思っていたんです。
壱岐:吉野さんはキャスティングが上手いですよね。前の「あかぼし」もそうだけれども、普通のCMとか映画プロデューサーが“違和感”と感じるキャストを入れてくるんですよ。今回の喬太郎師匠もいわゆる職業俳優ではないですもの。でも演出も適切で、物語には全く違和感を感じさせず、惹きつけられる。物語にちゃんと馴染んでいる。
吉野:メインどころは役者じゃなくて良いんじゃないか、と考えているところはあります。その方特有の雰囲気や立ち居振る舞いが確立されていれば、その脇に、彼や彼女らをカバーする役者をきちんと配役する事で良い意味での化学反応が生まれてくると思っています。
もともと喬太郎さんは、演出家はこれを求めているのだ、というのを分析する力にすごい長けている方だと思います。今回の主人公は広島弁なんです。最初のうちは広島弁指導の人がいろいろアドバイスして、それを喬太郎さんが真似するようにやっていました。でも、このごろは指導の方の前にとりあえず喬太郎さんやってみてください、と言うようにした。その演技のあと、指導の人にアドバイスをいただくようにしたんですが、指導の方も「もうカンペキ」と。
大高:これまで配役されたキャストの方も同じ考え方に沿ってキャスティングされたのですか?
吉野:前作の「あかぼし」に主演し、今回も重要な役を演じていただく朴璐美さんもそうです。彼女もそれまで一緒に仕事したこともないし、ただネットで画像検索して見て、ああこの方、自分が考える役にぴったりな風貌をしているな、と思って。そこから、プロフィールを拝見して、舞台経歴が長かったので信用できると思ってお声をかけた。朴さんは声優の世界ではカリスマ的存在なんですけれども、その時点では、そのことも知らずに声を掛けていた。テレビを見ているときも、ぜんぜん演技と関係ない人を見ては、オーラや説得力に感心したりしていますね。わりとミュージシャンの方が多いですね。
映画『あかぼし』より
壱岐:吉野さんは、映画に対してとても誠実だから、キャストをネタ的に使わない。イメージにはまって起用する。喬太郎師匠も、下手にやると過剰な演出に溺れそうだけど、でも、人の個性を上手に引き出し、ブレンドする技術がものすごい監督なんだなと思っています。