「はじまりの記憶 杉本博司」で劇場デビューを飾った中村佑子監督。国際的にも話題となった前作に引き続きアートをテーマに制作されたドキュメンタリー映画「あえかなる部屋 内藤礼と、光たち」は、クラウドファンディングにより、ポストプロダクション費用、英語字幕版制作費約200万円を調達、完成にこぎつけました。
本作は、第47回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて展示された《地上にひとつの場所を》で注目を集めたアーティスト・内藤礼の存在と作品に迫った作品で、9月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開中です。なぜ、この作品を制作するに至ったのかについて、本作の中村佑子監督、助監督の大西隼さんに伺いました。
“内藤礼“が画面から消えたとき、「映画」の方向が固まった
大高:まずは映画の完成と公開、おめでとうございます。中村監督は、前作に引き続きアーティストをテーマにした作品を撮られたわけですが、どういった経緯で本作は生まれてきたのでしょうか。
中村:「はじまりの記憶 杉本博司」を完成させたときは、次の作品もまたアートで行こう…、とは全く思っていなかったんです。けれども、もともと私自身が内藤礼さんの世界への強い想いがあったんですね。彼女の「世界によってみられた夢」という本を読み込んでいたのと、直島にある「きんざ」は、涙が止まらなかったくらい好きな作品でした。でもそれは、とても個人的な作品との関係性でした。そして豊島美術館《母型》に出会います。映画の中では「息ができた」という表現をしましたが、自分の存在の開放のようなものを感じましたし、《母型》自身に、個人と作品との関係を超えた、ある拡がりを感じました。内藤さんがその眼で世界をどう見ているのか、内藤さんの作品の先にあるものは、いったい何なのかを知りたくなったんです。知りたいと撮りたいは私の中ではイコールなので、思い立ったときすぐに連絡をしましたが、お会いできたのは半年後のクリスマスの日でした。
©TV MAN UNION/YOICHI NAGANO
大高:半年も掛ったのですね。すごい。
中村:内藤さんはほぼ全てのことをシャットアウトして制作だけに没入していく方なんです。ちょうど作品の制作にかかっていた時期だったので、お待ちしました。そして内藤さんは、制作中の作品はほとんど見せない。豊島美術館でも制作中、作品の全貌を知ることができるのは限られた数名だったそうです。
大高:そういう意味では制作過程を見せず,ほとんど映像に登場しない内藤さんをカメラの前に登場してもらう、というのはそもそもチャレンジだったのでは。
中村:はじめて内藤さんにお会いした時から、普通のドキュメンタリーとして構成するのは難しいと予感していました。カメラという反射する鏡を介在して、対象に聞けることがあり、見えるものがあると、日頃私は思っていますが、内藤さんに対しても、そのように進めていきたいと思っていました。けれども、実際に撮影に入ると、カメラを通して自分の姿を映されることが、内藤さんが作品をつくる行為と全く相反するものである、という本質的な問題につきあたりました。その葛藤の結果、撮影の半ばで内藤さんは出演を辞退されることになります。
大高:それでも映画製作を続けたのですか?
中村:はい、そこから内藤さんを客観的に描くドキュメンタリーではなく、彼女の作品世界から私が受け取ったことを軸に、もっと別の世界を立ち上げる作品への転換を決めたんです。それに伴い、スタッフをきちんとフィクション映画用に組もうと決め、カメラマンの佐々木靖之さんや音響の黄永昌さん、助監督に声をかけ、一緒に作品を作ることになったんです。
大西:内藤さんを映せなくなりそうだ、という話を中村さんから聞いたとき、むしろ私自身は作品としては可能性が広がったと思いました。それは「不在」を描く、というチャレンジですから。
中村:佐々木さんに声をかけたのは、「不気味なものの肌に触れる」(2013年/ 監督;濱口竜介)を見て、佐々木さんのカメラは、この現実の中にいるのではなく、世界の外に立って俯瞰して撮っている感じがしたからです。はじめてお会いしたとき、そうお話したのを憶えています。なにをどのように撮ろうかと迷った場合、そのものの存在の屹立、立ち上がっていくさまを見てみたい、とよく佐々木さんと話をしました。そういうある意味哲学的な世界観を共有できるチームでした。